第六十四話 魔王
「おおおおおおおおおおお!!」
唯が気づいたときには、唯の横腹に魔王の拳がめり込んでいた。
唯が殴られた場所を確認しようと首を動かそうとしたときには、唯の体は空中を横切るように吹き飛んでいた。
「げほっ!?」
唯が吐いた血は、唯から遠く離れた場所に落ち、大地を赤く染めた。
重力を無視して飛び続ける体を止めるため、唯は大きく空気を吸って、進行方向へと吐き出した。
吐き出した空気が抵抗力となって、唯の体を減速させる。
唯の体が落下を始め、地面に触れた瞬間ごろごろと転がった。
唯は即座に起き上がり、近づいてくる魔王を見た。
「何よ!! 今までで一番強いじゃない!!」
血を吐きながら、唯は叫んだ。
魔王の一撃は、唯の喜びをさらに刺激した。
勇者たちの神具よりも、王族たちの変化した異形の一撃よりも、滅国魔法よりも、魔王の一撃は重かった。
唯が咄嗟に全身に力をいれて強化していなければ、今頃は内臓も骨も弾け、砕け、唯は全身が破片と化して絶命していただろう。
全身の強化は、唯の命を守る最後の鎧だ。
が、唯は容易に最後の鎧を脱ぎ捨てた。
「馬鹿なのか貴様!?」
全身の力を抜き、代わりに目へと力を込める。
虫一匹、砂一つの動きも見逃さないように。
全てを捨てた、視覚の超強化。
「よっと」
爆発的に向上した動体視力によって、唯は魔王の動きを捉える。
そして下した判断は、意思を持った回避では決して間に合わないという事実。
唯は即座に視覚での勝負を捨て、次に反射神経へ集中力を向ける。
魔王の拳が近づくと、唯の体は唯の意志に反して動き、魔王の拳を空ぶらせた。
「ぬう!?」
「そこぉ!!」
攻撃をされた直後は、最大の攻撃タイミング。
唯は反射神経を捨て、拳ひとつに力を込め、跳んで魔王の顔面を殴りつけた。
「があぁ!?」
「硬いわね。手の骨、折れそう。つーか、折れたわ」
魔王は首を捩じることで、唯の拳の力を流していた。
即座に首の捩じりを直し、唯を絞め殺すべく、唯の首へと手を伸ばす。
唯は両手を組み、自身に向かってくる魔王の手を思いっきり叩き落す。
「ぐう!?」
「見慣れれば、大した速さでもないわね」
そのまま空中で体を回転させ、力を脚へと移し、前傾に傾いた魔王の顔を側方から蹴りつけた。
「があっ!?」
蹴りの威力に押され、魔王は二歩横へと動く。
「……っつ!?」
唯もまた、今持てる最大限の力を部位から部位へと瞬時に切り替えるという神業の反動で、全身に死にも等しい痛みが走った。
一度着地して、魔王から距離をとる。
魔王の鋭い眼光が、唯に突き刺さる。
唯は僅かも怯えることなく、にいっと微笑んだ。
キラキラと輝く瞳は、ずっと買って欲しかったおもちゃを買ってもらった子供そのもの。
唯の精神は、絶頂へと至っていた。
魔王は、決して唯を甘く見てなどいなかった。
何人もの王族が唯に負けた事実が、魔王に油断を与えなかった。
そのうえで、魔王は勝算を持っていた。
しかし唯は、魔王の想像を確実に飛び越えていた。
「馬鹿な……さらに速く……強く……。むう!?」
油断などないからこそ、魔王は唯の強さの理由を看破した。
絶頂に至った唯は、部位から部位に力を移動させる過程で、魔力を細胞レベルに注ぎ込んで滞在させることで、その身を強化していた。
髪の毛の先から足の指の先まで、なんて大雑把なレベルではない。
唯を構成する細胞一つ一つに唯の魔力が注がれ、付加され、その性質を戦闘特化に変えていた。
部位から部位へと移動する力は、偶然の産物に生れた目くらまし。
唯の身体能力は、いつの間にか人間を超え、魔王の域に至っていた。
「あはははは! なにこれなにこれ? 今までで一番! 人生で一番! 体の調子がいいわ! もしかして、これが最強なのかしら? あたしの欲しかった、世界最強なのかしら!!」
唯は、自分に酔いしれていた。
今なら誰にも負けないという奢りを抱きかかえ、決して失わない様に、拳を振るった。
「あははははは!」
「嘗めるなあああ!!」
自身の身体の変化を自覚した唯は、さらに自由に体を動かす。
唯の拳と魔王の拳が、正面からぶつかる。
周囲には一瞬の真空が作られ、世界を構成する空間にひびが入った。
大気にひびが入り、小さな穴が開く。
穴の先は、黒。
塗りつぶされた黒。
黒の中からは、人々のざわざわとした声が漏れ出てくる。
「空間を……!?」
「何よそ見してんの? 来なさいよ! ほら! ほら!! ようやく!! 楽しくなってきたところじゃない!!!」
しかし、唯は気にしない。
世界の異常など、唯にとってはどうでもいい。
目の前の最強と呼ばれている存在を倒すこと以外、興味がない。
絶対の存在である魔王は、横で死が手招きしていることに気づいた。
「あはははは! こんなに強いのに、何で今まで隠れてたのよ!? そんなんじゃあ、力を持て余しちゃうでしょ!? 戦いを楽しめなくなっちゃうでしょ!?」
楽観を多分に含んだ唯の声が、魔王の怒りを刺激する。
魔王は、戦う存在。
かつて、魔王は戦いを楽しんでいた時代もある。
しかし、ある日を境に楽しむことができなくなった。
己の運命を呪うことしかできなくなった。
「黙れ……! 貴様は何も知らぬから、そんなことを言えるのだ! 神なる邪悪が作った、この世界のシステムを! 我らが忌むべき宿命を!!」
魔王は、叫んだ。
魔王の奥底からの叫び声が、空間の穴を通し、全世界に広がっていく。




