第二話 絵の中の竜を退治せよ
シミッツ・アジカガ大将軍――私が「将軍様」と呼ぶことにした人の城へ向かう馬車の中で、私は黒パンを頬張っていた。
一つ食べ終わる。
二つ目へ手を伸ばす。
それも食べ終えると、今度は肉と豆を煮込んだ温かいスープをいただいた。
「……よく食べるな」
向かいに座っていたシンエモンさんが、呆れたように私を見る。
「育ち盛りですから」
「お前は大聖堂で、自分は一度死んで、昔の身体に戻ったような話をしていなかったか?」
「身体は立派な育ち盛りですよ」
「そういうところだけ子どもになるのだな」
「便利ですから」
「堂々と言うな」
シンエモンさんは深いため息をついた。
真面目な人なのだろう。
私が何か言うたび、眉間の皺が一本ずつ増えていくように見える。
「シンエモンさん」
「何だ」
「眉間に皺がありますよ」
「誰のせいだと思っている」
「将軍様ですか?」
「なぜそうなる!」
馬車の奥で、将軍様が声を上げて笑った。
「はっはっは。面白いではないか、シン・ウェーモン」
「大将軍閣下が面白がるから、この子が調子に乗るのです」
「私はまだ何もしていませんよ」
「今の時点でもう十分だ!」
私は残っていたスープを飲み干した。
温かいものが腹に入ると、ようやく人心地がつく。
知らない世界へ突然呼び出され。
魔力も天職もないと言われ。
外へ追い出されそうになった。
それなのに今は、大将軍の馬車へ乗せられている。
人生というものは、分からないものだ。
いや。
一度死んだ後なら、人生と呼んでいいのかも分からない。
「それにしても」
私は窓の外へ目を向けた。
「ずいぶん変わった町ですね」
石造りの建物が並ぶ大通り。
屋根の形も、窓の形も、私が知っている町とはまるで違う。
行き交う人々の服装も見慣れない。
もっと変わっているのは、生き物だった。
荷車を引いているのは馬だけではない。
額に一本の角を生やした牛のような獣。
青い羽毛に覆われた、大きな鳥。
背中に荷物を積んだ、六本脚の蜥蜴のようなものまで歩いている。
店先には赤や緑に光る石。
建物の軒下には、小さな火の玉が灯りのように浮かんでいた。
「本当に、異世界なのですね」
「今さら気づいたのか?」
シンエモンさんが聞いてくる。
「大聖堂の中だけなら、大層変わった夢とも思えましたから」
「夢ならよかったな」
「なぜです?」
「夢なら、これから大将軍閣下の難題に付き合わされずに済む」
「シン・ウェーモン」
将軍様が静かに名前を呼んだ。
「はい」
「私はいつ、難題を押しつけた?」
「……何度か」
「ほう」
「何度も、ではありません」
「言い直しても変わらないと思いますよ」
「一休! 余計なことを言うな!」
やはり苦労しているようだ。
私は少しシンエモンさんが気の毒になった。
「シンエモンさん」
「今度は何だ」
「頑張ってください」
「何をだ!」
◇
しばらくして、馬車は王都の中心から少し離れた丘を登り始めた。
その先に、大きな城が見えてくる。
白い石壁。
高い城門。
何本もの塔。
そして正門の上には、金色の鳥をかたどった紋章が掲げられていた。
「あれが将軍様のお城ですか」
「そうだ」
将軍様が答える。
「ずいぶん大きなお屋敷ですね」
「城だ」
「掃除が大変そうです」
「なぜ一番に気にするのが掃除なのだ」
シンエモンさんが呆れる。
「広い建物を見ると、つい」
「小坊主の習性というものか?」
「たぶん」
「たぶんで済ませるな」
馬車が城門をくぐった。
中庭には大きな噴水があり、兵士や使用人たちが忙しそうに動き回っている。
「大将軍閣下、お帰りなさいませ!」
一人の兵士が駆け寄ってきた。
「例の件は?」
将軍様が尋ねる。
「昨夜も確認されました。大広間を警備していた兵士二名が、あまりの恐ろしさに持ち場を離れております」
「情けない者たちだな」
将軍様はそう言った。
だが。
ほんの少しだけ、表情が強張った気がした。
私は隣のシンエモンさんへ顔を近づける。
「将軍様も怖いのですか?」
「一休」
「はい」
「本人に聞こえる」
「聞こえておるぞ」
将軍様がこちらを向いた。
「私は怖くなどない」
「そうですか」
「何だ、その顔は」
「何も」
「信じておらぬな?」
「まだ何も言っていませんよ」
シンエモンさんが頭を抱えた。
「一休。お前は口に出さなくても余計なことが伝わるのだな」
「便利ですね」
「褒めていない!」
◇
城へ入る。
内部は、大聖堂とはまた違った豪華さだった。
磨き上げられた石の床。
金色の飾りがついた柱。
天井には巨大な硝子の灯り。
壁には高価そうな布が掛けられ、廊下には剣や鎧、壺や彫刻が並んでいる。
だが、大広間へ入ったところで、私は思わず足を止めた。
「……」
右を見ても。
左を見ても。
どこを見ても。
将軍様がいる。
もちろん、本物の将軍様がたくさんいるわけではない。
絵だ。
壁一面に、将軍様の肖像画が飾られている。
剣を掲げる将軍様。
馬に乗る将軍様。
狩りをする将軍様。
大勢の兵士を率いる将軍様。
華やかな宴で杯を掲げる将軍様。
魔物を踏みつける将軍様まである。
私は一枚ずつ見て回った。
「これは……」
「どうだ」
将軍様が、少し得意そうに胸を張る。
「王都でも名の知れた画家たちに描かせた」
「ずいぶん将軍様がお好きな画家なのですね」
「何?」
「こんなに将軍様ばかり描くのですから」
「私が描かせたのだ」
「ああ」
私は納得した。
「将軍様がお好きなのは、画家ではなく将軍様ご自身でしたか」
「どういう意味だ!」
「ぷっ」
横から妙な音がした。
シンエモンさんが顔を背けている。
「シン・ウェーモン!」
「はい!」
「今、笑ったな」
「笑っておりません!」
「肩が震えておるぞ!」
「咳です」
「ずいぶん楽しそうな咳ですね」
「一休、お前も黙っていろ!」
どうやら、この二人のやり取りを見るだけでも退屈はしなさそうだ。
「それより、竜を見せてください」
「そうだったな」
将軍様が大広間の奥を指さした。
「あれだ」
そこには、ほかの絵とは比べものにならないほど大きな絵画が飾られていた。
燃え上がる山。
黒い空。
その中央に、翼を大きく広げた赤い竜。
黄金色の瞳。
鋭い牙。
赤黒い鱗。
今にも絵の中から飛び出してきそうなほど、よく描かれている。
「立派な竜ですね」
「そうであろう」
将軍様は満足そうだ。
「これも王都一の名匠に描かせた」
「将軍様より格好よいですね」
「なぜ私と比べる!」
「一休」
シンエモンさんが額を押さえる。
「話が進まない。頼むから少し静かにしてくれ」
「分かりました」
「本当だな?」
「たぶん」
「不安だ」
私は絵の前まで歩いた。
「昨夜、この竜が鳴いたのですね?」
「そうだ」
将軍様が答える。
「正確には、この絵の辺りからだ」
第一話で感じたとおり、この人は決めつけない。
そこは大司教より、ずっと話が早そうだ。
「どんな声です?」
「地の底から響いてくるような、低い唸り声だ」
「毎晩?」
「ここ三日ほどだ」
今度はシンエモンさんが答える。
「だいたい夜半を過ぎた頃に聞こえる。大広間だけでなく、近くの廊下でも確認されている」
「絵が動いたところを見た人は?」
「いない」
「竜の口が動くところは?」
「それもない」
「目が光ったりは?」
「していない」
「魔法は?」
「宮廷魔術師が調べたが、絵にも壁にも魔法の痕跡はなかった」
「呪いも?」
「聖術師が否定している」
「なるほど」
私は竜の絵を眺めた。
絵の具。
額縁。
壁。
床。
周囲の柱。
何か特別なものがあるようには見えない。
私は額縁へ顔を近づけた。
「一休」
「はい」
シンエモンさんが声をかけてくる。
「何をしている?」
「見ています」
「それは見れば分かる」
「匂いも嗅いでいます」
「なぜだ」
「何か分かるかもしれないでしょう?」
私は額縁を指でなぞり、壁との隙間を覗いた。
次に、絵の横の壁を軽く叩く。
こん。
こん。
少し乾いた音がした。
「どうだ?」
将軍様が尋ねる。
「まだ分かりません」
「ずいぶん触っていたではないか」
「触っただけです」
「異界の知恵者とは、もっとこう……一目見ただけですべてを見破るものではないのか?」
「そんな便利な者を召喚したかったのですか?」
「まあな」
「残念でしたね」
「自分で言うな!」
私は絵の前へ戻った。
「それで、将軍様」
「何だ」
「私に何をしてほしいのです?」
「もちろん、竜を退治してもらう」
「竜を?」
「大司教は、そう言っておったからな」
私は将軍様の顔を見る。
少し楽しそうだ。
なるほど。
私を試しているらしい。
「分かりました」
「できるのか?」
「シンエモンさん」
「何だ?」
「剣を一本貸してください」
「剣?」
「はい」
シンエモンさんは眉をひそめる。
「お前には重いぞ」
「持ってみなければ分かりません」
「いや、見れば分かる」
「そこを何とか」
シンエモンさんは将軍様を見る。
将軍様は、口元に笑みを浮かべながら頷いた。
「貸してやれ」
「……承知しました」
シンエモンさんが腰の剣を抜いた。
私へ柄を向けて差し出す。
両手で受け取った瞬間。
「お、重いですね」
「だから言っただろう!」
剣先が石床へついた。
ずしりと腕に重さがかかる。
私は両手でどうにか剣を持ち、がりがりと床へ引きずりながら、竜の絵の前まで歩いた。
「一休」
「はい」
「本当に大丈夫か?」
「何とか」
「何とかに見えない」
私は剣を構えようとした。
重い。
とても振り回せそうにはない。
それでも、竜の絵の前に立つ。
そして待った。
一息。
二息。
三息。
何も起こらない。
「……」
「……」
「……」
さらに待つ。
将軍様が痺れを切らした。
「一休」
「はい?」
「何をしておる」
「待っています」
「何をだ?」
「竜です」
「竜?」
「絵から出てくるのを待っています」
「出てくるわけがなかろう!」
将軍様が即座に答えた。
私は剣を下ろす。
「出てこないのですか?」
「当然だ。それは絵だぞ」
「では、将軍様」
私は笑った。
「まずは、その竜を絵の中から追い出してください」
「何?」
「出てきたところを、私が退治いたします」
大広間が静まり返る。
「絵の中から竜を追い出せるわけがないだろう」
「では、私にも退治できません」
「なぜだ」
「出てこないのですから」
「ぐ……」
「それとも」
私は重い剣を、少しだけ持ち上げた。
切っ先を竜の絵へ向ける。
「このまま絵を斬ってしまいましょうか?」
「待て!」
将軍様が、すぐに絵の前へ飛び出した。
「この絵がいくらしたと思っている!」
「竜を退治せよとおっしゃったのは、将軍様ですよ」
「絵を破れとは言っておらぬ!」
「では、絵の中の竜を退治する必要もありませんね」
「……」
「……」
将軍様が私を見る。
私は将軍様を見る。
やがて。
「ぷっ」
シンエモンさんが吹き出した。
「シン・ウェーモン!」
「も、申し訳ございません!」
「笑ったな!」
「笑っておりません!」
「今、確実に笑ったぞ!」
「咳です!」
「シンエモンさんは、よく咳をしますね」
「一休! お前は黙っていろ!」
私は剣をシンエモンさんへ返した。
腕が痛い。
やはり、剣を振るうのは私には向いていないようだ。
「一休」
将軍様が腕を組んだ。
「なるほど。絵の竜を退治せよという難題なら、そなたの勝ちとしよう」
「ありがとうございます」
「だが」
将軍様の表情が少し真面目になる。
「夜ごと聞こえる怪音は、本当に存在する」
「分かっています」
「それも解いてみせよ」
「最初から、そう頼んでくださればよかったのに」
「難題を出したほうが面白いだろう」
「シンエモンさん」
「何だ」
「やっぱり苦労していますね」
「今、分かったか!」
「将軍様」
「何だ」
「今夜まで待ちましょう」
「今夜?」
「実際の音を聞かなければ分かりません」
「今すぐ解けぬのか?」
「聞いてもいない音の正体を当てろというのですか?」
「できそうな顔をしている」
「どんな顔です?」
「こう……」
将軍様が私の顔を見た。
「生意気そうな顔だ」
「それは褒め言葉ですか?」
「違う!」
私はもう一度、竜の絵へ目を向けた。
額縁の端。
壁とのわずかな隙間。
そこへ手を近づける。
ほんの少し。
冷たいものが指先へ触れた。
風だ。
「ただ」
私は呟く。
「この絵の裏には、何かありそうですね」
◇
夜。
城中の灯りが少なくなり、大広間は昼間とはまるで違った雰囲気になっていた。
月明かりが窓から差し込む。
巨大な竜の絵が、その薄い光を受けてこちらを睨んでいる。
私と将軍様。
シンエモンさん。
それから数人の騎士。
皆で、音がするという時間を待っていた。
私は石床へ座り、借りた毛布を身体へ巻いた。
「一休」
「はい?」
「なぜ寝る支度をしている」
シンエモンさんが呆れた顔でこちらを見る。
「音がするまで、まだ時間があるのでしょう?」
「だからといって寝るな」
「眠いと頭が働きませんよ」
「もう少し緊張感を持て」
「慌てない、慌てない」
私は毛布へ潜る。
「一休み、一休み」
「本当に休むな!」
シンエモンさんが毛布を引っ張った。
「シンエモンさん」
「何だ」
「もう少しでいい夢が見られそうだったのですが」
「知らん!」
「夢の中にお饅頭が出てきそうだったのです」
「マンジュウとは何だ!」
「この世界にはない、とても大切なものです」
「余計に分からん!」
そのときだった。
ごおおおおおお――。
低い音が、大広間に響いた。
私はすぐに身体を起こした。
窓硝子が、かたかたと震える。
ごおおおおお――。
確かに、不気味な音だ。
大きな獣が喉の奥で唸っているようにも聞こえる。
「これだ!」
将軍様が声を上げた。
見ると、いつの間にかシンエモンさんの半歩後ろへ移動している。
「将軍様」
「何だ」
「シンエモンさんを盾にしていませんか?」
「これは指揮官として、部下を前へ出しているだけだ」
「大将軍閣下!」
シンエモンさんが振り向く。
「堂々と私を盾にしないでください!」
「怖いのですか?」
「怖くない!」
「お二人とも仲がよいのですね」
「どこを見てそう思った!」
二人の声が重なった。
私は笑いながら床へ耳をつけた。
音を聞く。
低い響き。
石を伝う振動。
竜の絵そのものから出ている音ではない。
もっと奥。
壁の向こうからだ。
私は立ち上がり、壁へ手を当てる。
「シンエモンさん」
「何だ?」
「松明を一つ貸してください」
「ああ」
松明を受け取る。
竜の絵の右側へ近づけてみる。
炎が、わずかに横へ流れた。
「やはり」
「何がだ?」
シンエモンさんも近づいてくる。
「風があります」
「風?」
柱の根元。
額縁と壁の間。
そこから、冷たい風がわずかに流れ出している。
「将軍様」
「何だ」
「この絵を外してください」
「なに?」
「壁から下ろすだけです」
「傷つけぬだろうな?」
「将軍様は、本当にこの絵がお好きですね」
「高かったのだ!」
「好きなのは値段ですか」
「一休!」
将軍様の許可を得て、騎士たちが絵を外す。
四人がかりで、巨大な絵を慎重に床へ下ろした。
そして。
「これは……」
シンエモンさんが目を見開いた。
絵があった壁の中央に、古びた鉄格子があった。
その向こうには、人一人が通れそうな暗い穴が続いている。
「こんなものがあったのか」
将軍様も驚いている。
「ご存じなかったのですか?」
「この城は、私が生まれるより遥か昔から存在している。使われなくなった通路も多い」
私は松明を格子へ近づけた。
穴の奥から風が吹いてくる。
鉄格子が細かく震えた。
ごおおおおお――。
「同じ音だ!」
シンエモンさんが声を上げる。
「これだったのか」
「おそらく」
私は格子を観察する。
「夜になると外から入ってくる風が強くなって、この細長い穴の中で音が響くのでしょう」
「では、竜の声ではなかったのだな」
将軍様が、少し安心したように息を吐いた。
「はい」
だが。
私は格子へ近づいた。
「ただ、これだけではなさそうですよ」
「何?」
鉄格子の何本かに、黒い布が結びつけられている。
自然に引っかかったようには見えない。
「シンエモンさん」
「ああ」
シンエモンさんが布を外す。
指先で触り、匂いを嗅いだ。
「油が染み込んでいる」
「誰かが、わざと結んだのでしょう」
「何のために?」
「風を受けて震えれば、音が大きくなります」
シンエモンさんの表情が変わった。
「つまり、誰かが意図的に竜の鳴き声を作った?」
「たぶん」
「なぜそんなことを」
私は少し考えた。
「最近、城の中で何かなくなっていませんか?」
「なくなったもの?」
将軍様が首を傾げる。
すると、シンエモンさんが顔を上げた。
「あります」
「何?」
「地下の食料庫です」
「何か盗まれたのか?」
「三日前にも報告いたしました!」
「そうだったか?」
「小麦、干し肉、葡萄酒。それぞれ少量ずつですが、帳簿と数が合っていません」
「なぜ覚えておらぬのだ、私は」
「こちらが聞きたいです!」
私は暗い穴の先を見る。
「おそらく、誰かがこの道を使っているのでしょう」
「この通路を?」
「竜の声を聞けば、人は大広間へ近づかなくなる」
私は鉄格子を指さした。
「怖いものほど、立派な番人はありませんから」
「シン・ウェーモン!」
「はい!」
「調べろ!」
「承知しました!」
騎士たちがすぐに動き出した。
◇
暗い通路を調べると、その先には古い隠し扉があった。
扉を抜けた先は、地下の食料庫へ続いていた。
そして。
そこに二人の使用人がいた。
ちょうど、小麦の袋を運び出そうとしているところだった。
「貴様ら!」
将軍様が低い声を出す。
二人の使用人は、顔を真っ青にして床へ膝をついた。
「お、お許しください!」
「城の食料を盗んでいたのは、そなたらか」
「申し訳ございません!」
二人とも、ひどく痩せていた。
服は擦り切れ。
手は荒れている。
贅沢をしている人間には見えない。
「なぜ盗んだ」
将軍様が尋ねる。
一人の使用人が、震える声で答えた。
「村にいる家族へ送るためです」
「家族?」
「今年は、雨が少なく……麦がほとんど採れませんでした」
もう一人も頭を下げる。
「税を納めれば、冬を越すだけの食料が残りません!」
「何だと?」
「このままでは、子どもや老人から死んでしまいます!」
私は、将軍様を見る。
将軍様の顔から、先ほどまでの怒りが少し消えた。
「シン・ウェーモン」
「はい」
「不作の報告は?」
「来ています」
「なぜ私へ報告しておらぬ」
「しました!」
「いつだ?」
「五日前です!」
「……そうだったか?」
「大将軍閣下!」
シンエモンさんの声が地下へ響いた。
私は思わず笑いそうになった。
しかし。
床へ伏している二人を見て、笑うのをやめる。
「将軍様」
「何だ、一休」
「絵の中に竜はいませんでしたね」
「そのようだ」
「でも」
私は将軍様の豪華な服を見る。
金糸。
宝石。
腰の立派な剣。
「この城には、別の竜がいるのかもしれません」
将軍様の目が細くなる。
「どこだ」
「金銀を集めて」
指輪を見る。
「食べ物を山ほど蓄えて」
地下の食料庫を見回す。
「困っている人からも取り立てる竜です」
「……」
将軍様が私を見る。
「私を竜だと言いたいのか?」
「私は、将軍様とは一言も言っていませんよ」
私は首を傾げる。
「将軍様ご自身が、そう思われたのですか?」
「ぐ……」
「ぷっ」
隣から声が漏れた。
「シン・ウェーモン!」
「申し訳ございません!」
「笑ったな!」
「咳です!」
「今夜だけで何度目の咳ですか」
「一休! お前も黙れ!」
将軍様は大きく息を吐いた。
「一休」
「はい」
「領地というものは、そなたが思うほど簡単ではない」
「そうでしょうね」
「兵士を養い、道を直し、城を維持し、魔物から領民を守る。そのためには金も食料も必要だ」
「はい」
「税を取らなければ、国は動かぬ」
「はい」
私は頷く。
「ですから、税を取るなとは言っていませんよ」
「何?」
「取ったら死んでしまう人からまで、同じだけ取る必要があるのですか?」
将軍様が黙った。
「今年たくさん取ったとしても」
私は二人の使用人を見る。
「村の人が飢えていなくなれば、来年は誰が畑を耕すのでしょう?」
「……」
「今年少し減らして、来年も再来年も作ってもらうほうが、長い目で見ればたくさん取れるのでは?」
「お前は随分と商売人のようなことを言うな」
「そうですか?」
「情ではなく、損得で私を説得しようとしている」
「将軍様には、そのほうが分かりやすそうでしたから」
「本当に口の減らぬ小坊主だ」
けれど。
将軍様は怒っていなかった。
むしろ、少し楽しそうだった。
「シン・ウェーモン」
「はい」
「不作が起きている村をすべて洗い出せ」
「承知しました」
「収穫量を調べ、税を納めれば冬を越せぬ村は今年分を減免する」
二人の使用人が顔を上げた。
「それから、城の備蓄から小麦を出せ」
「よろしいのですか?」
「古くして鼠へ食わせるくらいなら、人へ食わせたほうがよい」
シンエモンさんが、少し笑った。
「承知しました」
「ただし!」
将軍様が私を指さす。
「一休に言われたからではないぞ!」
「もちろんです」
「本当か?」
「将軍様は最初から、領民思いの立派な方だったのでしょう?」
「そうだ!」
「立派な方なら、このくらい当然ですよね」
「当然だ!」
シンエモンさんが私へ顔を寄せてきた。
「一休」
「はい?」
「今、うまく大将軍閣下を乗せただろう」
「何のことです?」
「その顔は分かってやっている顔だ」
「シンエモンさんも、だんだん私のことが分かってきましたね」
「嬉しくない!」
私は、床に伏せた二人へ目を向ける。
「将軍様。この二人はどうなさいますか?」
「事情があるとはいえ、盗みは盗みだ」
「そうですね」
「罰を与えぬわけにはいかぬ」
少し考えて。
私は言った。
「では、この二人を食料庫で働かせてはいかがです?」
「盗人を食料庫で?」
シンエモンさんが驚く。
「危険ではないか」
「でも、この二人は隠し通路も、食料を持ち出す方法も知っています」
「だから危険だと言っている!」
「泥棒のやり方を知っている人は、泥棒を見つけるのも上手いですよ」
「信用できるのか?」
「では」
私はシンエモンさんを見る。
「シンエモンさんに見張ってもらいましょう」
「なぜ私の仕事を増やす!」
「得意そうなので」
「何がだ!」
「苦労することです」
「誰のせいだと思っている!」
将軍様が声を上げて笑った。
「よい」
二人の使用人を見下ろす。
「一年間、食料庫で働け」
「は、はい!」
「給金から、盗んだ分を少しずつ返してもらう。ただし食事は出す」
「ありがとうございます!」
二人は何度も頭を下げた。
これでよい。
盗みを何もなかったことにするのも違う。
だからといって、家族を救おうとした者を牢へ入れて終わりにするのも、少し違う気がする。
「さて」
将軍様が私を見る。
「一休」
「はい」
「褒美を取らせよう」
「本当ですか?」
「約束だからな。金でも宝石でも好きなものを申せ」
将軍様は、私の僧衣を見る。
「望むなら、もっと立派な服を仕立てさせてもよいぞ」
私は自分の袖を見た。
「この僧衣で結構です」
「そんな黒くて地味な服がよいのか」
「着慣れていますから」
「ならば何が欲しい?」
私は少し考えた。
そして、大切なことを思い出す。
「お饅頭が欲しいです」
「マンジュウ?」
将軍様が首を傾げる。
「小麦粉で作った皮に、甘く煮た豆を包んで蒸す食べ物です」
「知らぬ」
「……」
「何だ」
「この世界には、お饅頭がないのですか?」
「少なくとも私は聞いたことがない」
私はシンエモンさんを見る。
「シンエモンさんは?」
「知らん」
「そんな……」
魔力がない。
天職がない。
元の世界へ帰れるかどうかも分からない。
けれど。
今聞いた中で、これが一番大変なことのような気がした。
「一休?」
「これはいけません」
「何がだ?」
「この世界には、解決しなければならない問題が多すぎます」
「その中にマンジュウも入っているのか?」
「もちろんです」
「もちろんと言い切ったぞ、この小坊主」
私は立ち上がった。
「分かりました」
「何が分かった?」
「まずは、お饅頭を作りましょう」
「褒美の話はどこへ行った!」
「材料を褒美としていただきます」
「結局、食べ物ではないか!」
「食べ物は大事ですよ」
「一休!」
「はい」
「そなたという小坊主は――」
将軍様の声が地下へ響いた。
その横では、シンエモンさんが深々とため息をついている。
私は二人を見ながら、少しだけ笑った。
知らない世界。
知らない人。
知らない魔法。
何もかもが、まだ分からないことだらけだ。
でも。
分からないなら、考えればいい。
困ったことがあれば、知恵を絞ればいい。
そして疲れたなら。
少し休めばいい。
どうやら、この世界でも。
退屈する暇だけは、なさそうだった。




