第一話 異世界に呼ばれた小坊主
目を覚ましたとき、背中に冷たい石の感触があった。
硬い。
とにかく硬い。
寝床にしては、あまりにも寝心地が悪い。
「これはまた……ずいぶん変わったところですね」
ゆっくりと目を開ける。
最初に見えたのは、見上げるほど高い天井だった。
青白い石を組み上げた丸い天井。
そこには、翼を持つ人や、光る杖を掲げる人物が色鮮やかに描かれている。
壁には、赤や青や黄色の硝子。
そこから差し込んだ陽の光が、石床へ色とりどりの模様を作っていた。
少なくとも、私の知っている寺ではない。
鼻をくすぐる匂いも違っている。
慣れ親しんだ香ではなく、蝋燭の油と乾いた石、それから嗅いだことのない甘い花の香り。
私は身体を起こした。
その瞬間、妙なことに気づいた。
「おや?」
腕が細い。
手も小さい。
皺も染みもない。
声までずいぶん高くなっている。
私は両手を顔の前へ持ち上げ、それから頭を撫でてみた。
髪はきれいに剃られていた。
身につけているのは、墨染めの小さな僧衣。
見覚えがある。
ずっと昔。
まだ寺で掃除や雑用をして、悪戯をしては叱られていた、小坊主の頃に着ていた僧衣だった。
「これは……ずいぶん若返りましたね」
私は自分の頬をつまんでみる。
「痛い」
ちゃんと痛い。
夢ではないらしい。
身体は幼い頃へ戻っている。
けれど、頭の中には、その後に過ごした長い人生の記憶が残っていた。
修行をしたこと。
偉そうな人たちと問答をしたこと。
笑ったこと。
怒ったこと。
詩を詠んだこと。
そして――最後に、自分の命が尽きたことも。
私は確かに死んだはずだった。
「死後の世界にしては、ずいぶん賑やかですね」
「しゃ、喋ったぞ!」
すぐそばから声が上がった。
振り返る。
白い長衣をまとった老人が、目を見開いてこちらを見ていた。
長い白髪。
整えられた髭。
胸元には、金色の太陽をかたどった大きな飾り。
手には、青い宝石がついた杖を持っている。
その後ろには、同じような白い服を着た男女。
さらに銀色の鎧をまとった兵士たちが並んでいた。
「召喚は成功したのですか?」
「しかし、子どもではありませんか」
「何だ、あの服は?」
「見たことがないぞ」
皆が私を見ながら、好き勝手に話している。
私は、自分が横たわっていた床へ目を向けた。
石床には、大きな円が描かれていた。
円の中には、見覚えのない文字と複雑な模様。
線は青白く輝き、少しずつ光を失っている。
「なるほど」
どうやら、これが私をここへ連れてきたらしい。
「静まれ!」
白髪の老人が杖を床へ打ちつけた。
かつん。
硬い音が建物の中に響き、ざわめきがぴたりと止まる。
老人は胸を張った。
「異界より来たりし者よ。ここはアルカディア聖王国。その王都に建つ中央大聖堂である」
「大聖堂」
私は周囲を見回した。
寺とはまるで違う。
けれど、人々が祈りを捧げるための場所なのだろう。
「そして私は、この中央大聖堂を預かる大司教バルロムだ」
「これはご丁寧に」
私は軽く頭を下げた。
「一休と申します」
「イッキュウ?」
「はい。一度休むと書いて、一休です」
「何を言っているのかは分からぬが、名は一休なのだな」
「そのとおりです」
大司教は、私の頭から足元までを眺めた。
「その黒い衣は何だ?」
「僧衣です」
「ソウイ?」
どうやら、こちらにはない言葉らしい。
「私のいたところで、修行をする者が着る衣です」
「異界の司祭か?」
「そちらの司祭がどのような方かは知りませんが、掃除をしたり、教えを学んだり、叱られたりしていました」
「最後のものは役目ではあるまい」
「私の場合は、ずいぶん多かったものですから」
後ろにいた若い聖職者が、少しだけ笑った。
大司教は面白くなさそうに咳払いをする。
「我らは神託に従い、異界より大いなる力と知恵を持つ救済者を召喚した」
「救済者ですか」
「そうだ。この国は今、魔物や魔族による脅威にさらされている。神は我らへ、異界より救い手を招けとお告げになったのだ」
「それで私を?」
「そのとおりだ」
私は、自分の小さな手を眺める。
「ずいぶん頼りない救済者を呼びましたね」
「姿など関係ない」
大司教は自信満々に言った。
「異界より召喚された者には、神より特別な天職と、強大な能力が授けられると伝えられている」
「なるほど」
そこで私は、一つ気になった。
「ところで私は、呼ばれる前に承知した覚えがないのですが」
「神の御業に、人の承知など必要ない!」
大司教は当然のように言い切った。
私は首を傾げる。
「知らない場所へ勝手に連れてくるのは、神様なら許されるのですか?」
しん。
大聖堂の中が静まり返った。
「……貴様」
大司教の眉がつり上がる。
「神を愚弄するつもりか?」
「いいえ。分からないことを尋ねただけです」
「神のなさることに疑問を持つな!」
「疑問を持たなければ、答えも見つかりませんよ」
「口の減らぬ子どもだ!」
「昔から、よく言われました」
どうやらこの世界では、神様についてあれこれ尋ねるのは、あまり喜ばれないらしい。
気をつけよう。
もっとも、もう遅い気もするけれど。
「まずは、そなたの力を調べる」
大司教が片手を上げた。
二人の聖職者が、奥から大きな水晶玉を運んでくる。
大人が両腕で抱えるほどの大きさだった。
透明な水晶の中では、白い靄のようなものがゆっくりと渦巻いている。
「これは何です?」
「鑑定水晶だ。手を置けば、天職、魔力、固有能力が文字となって現れる」
「便利なものですね」
私は立ち上がった。
だが、今の身体では少し高い。
近くにいた若い聖職者が、慌てて踏み台を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
踏み台へ乗り、右手を水晶に置く。
ひんやりとしていた。
直後。
水晶が強い光を放つ。
「おお!」
「何という光だ!」
「勇者か?」
「いや、賢者かもしれない!」
周囲から期待の声が上がる。
皆が水晶へ身を乗り出した。
やがて、その中に文字が浮かび上がる。
【名前 一休】
【天職 なし】
【魔力 零】
【固有能力 なし】
大聖堂が静まり返った。
「……零?」
誰かが呟く。
「魔力がない」
「天職もないぞ」
「固有能力も……何もない」
大司教は、水晶へ顔を近づけた。
右から。
左から。
何度も確認する。
「そんな馬鹿な……」
最後には杖の先で、水晶を軽く叩き始めた。
「壊れているのではないか?」
「叩けば直るものなのですか?」
「黙れ!」
「私は最初から、強い力があるとは言っておりませんよ」
「召喚に失敗などあるはずがない!」
「ですが、そこには何もないと書いてあります」
「水晶の故障だ!」
「先ほどは、神より授かった力が正しく現れるとおっしゃっていましたね」
「貴様が細工をしたのではないか!」
「私は今、初めて触ったばかりです」
私は水晶を眺める。
「細工の方法をご存じなら、逆に教えていただきたいものです」
また、どこかから笑い声が漏れた。
「笑うな!」
大司教が睨むと、聖職者たちが慌てて顔を伏せる。
「大司教様」
兵士の一人が、恐る恐る尋ねた。
「この者は、王城へお連れするのでしょうか」
「連れていけるものか!」
大司教は吐き捨てた。
「陛下には、異界より偉大なる救済者を召喚すると報告してあるのだぞ! 魔力も天職もない子どもなど連れていけば、私が笑いものになる!」
なるほど。
この人が心配しているのは、私でも王国でもない。
自分の評判のようだ。
「では、どうなさいますか」
「王都の外へ追い出せ」
「私をですか?」
「当然だ。魔力を持たぬ者など、何の役にも立たぬ」
「勝手に呼び出して、役に立たないから追い出すのですか」
「口答えするな!」
「ならば元いた場所へ戻してください」
「異界へ戻す方法など知らぬ!」
大司教は、当たり前のように言った。
私はしばらく黙った。
「呼ぶ方法は知っているのに、帰す方法は知らないのですか」
「神託には、帰還の方法など記されておらぬ!」
「帰れない人を呼んでもよいかどうかも、書かれていなかったのでしょうね」
「兵士!」
大司教が杖を掲げる。
「今すぐ、この者を大聖堂から連れ出せ!」
兵士たちが私を取り囲んだ。
私は素直に両手を上げる。
今の身体は子どもだ。
大人相手に力比べをしても仕方がない。
「分かりました。出ていきます」
「最初から素直にしておればよい」
「ただ、その前に一つお願いがあります」
「何だ!」
「何か食べるものをいただけませんか?」
大司教が眉をひそめる。
「食べ物だと?」
「こちらへ来てから、何も食べていません。子どもの身体というのは、ずいぶんお腹が空くものですね」
「大聖堂の食料は、神と王国へ仕える者のためのものだ」
「では、水だけでも」
「水も同じだ!」
私は思わず目を丸くした。
「この国では、神様は水まで独り占めなさるのですか」
「貴様ぁ!」
大司教が杖を振り上げた。
そのときだった。
大聖堂の巨大な扉が開いた。
「ずいぶんと騒がしいな、バルロム」
大きな声ではなかった。
けれど、不思議とよく通る声だった。
それまで怒鳴り散らしていた大司教が、びくりと身体を震わせる。
私は入口へ目を向けた。
何人もの騎士を従え、一人の男が歩いてくる。
年は四十を少し過ぎたくらいだろう。
艶のある黒髪をきれいに整え、目元は細く涼しげ。
顔立ちは端正で、表情には余裕がある。
身につけている衣装は、とにかく華やかだった。
白を基調とした長衣には金糸の刺繍。
肩には深い紫の外套。
腰には宝石を散りばめた剣。
指にもいくつか指輪をつけている。
けれど、不思議と派手すぎるようには見えない。
むしろ、それが似合うだけの風格があった。
この人は偉い。
誰かに聞かなくても、それくらいは分かる。
「これは……!」
大司教が慌てて頭を下げた。
「シミッツ・アジカガ大将軍閣下!」
大将軍。
なるほど。
どうりで偉そう――いや、偉いわけだ。
「よい。頭を上げよ」
男――シミッツ・アジカガは、軽く手を振った。
「それより、例の件はどうなっている」
その一歩後ろには、銀色の鎧をまとった男が立っていた。
三十歳前後。
黒に近い茶色の短髪。
真面目そうな顔つきで、腰には長剣。
姿勢がぴんと伸びている。
「大司教殿」
騎士が口を開いた。
「昨日も申し上げましたが、大将軍閣下の城では、昨夜も例の怪音が確認されています」
「シン・ウェーモン殿。その件につきましては……」
「宮廷魔術師を三名、大聖堂から聖術師を二名呼びましたが、原因は不明のままです」
シン・ウェーモン。
少し長い名前だ。
私は心の中で何度か繰り返した。
シン・ウェーモン。
シンウェーモン。
シンエモン。
最後が一番呼びやすそうだ。
「大聖堂へ任せれば解決すると、そなたは言ったな」
シミッツ様が大司教を見る。
「そ、それは……現在、調査を……」
「もう三日になる」
「申し訳ございません!」
大司教の額に汗が浮かぶ。
そのとき、シミッツ様の視線が私へ向いた。
「ところで」
細い目が、少しだけ見開かれる。
「その妙な格好をした子どもは何者だ?」
「この者は……」
大司教が私を見る。
何かを思いついた顔だった。
ろくでもないことを思いついた顔というのは、世界が違ってもよく分かる。
「たった今、異界より召喚した知恵者でございます!」
「知恵者?」
「はい! 名を一休と申します!」
私は大司教を見上げた。
「つい先ほどまで、何の役にも立たない子どもとおっしゃっていませんでしたか?」
「聞き間違いだ!」
「魔力も天職もないから、王都の外へ追い出せとも」
「異界の者ゆえ、我々の言葉を正しく理解できていないのだ!」
「なるほど」
私は感心したように頷いた。
「こちらでは、都合の悪い話を聞き間違いと呼ぶのですね」
「貴様は黙っておれ!」
すると。
「ふっ」
小さな笑い声がした。
見ると、シミッツ様が口元をわずかに緩めている。
「面白い小坊主だな」
「小坊主をご存じなのですか?」
「いや。今、そなたがそう名乗っていたのを聞いただけだ」
「なるほど」
「一休と申したな」
「はい」
「私はシミッツ・アジカガ。このアルカディア聖王国で、大将軍の任を預かっている」
「大将軍」
「国王陛下より王国軍と王都の守りを任されている」
「なるほど」
私は改めて、目の前の人を眺める。
華やかな衣装。
堂々とした態度。
周囲の者たちが皆、頭を下げている。
「では、将軍様ですね」
「……まあ、そうだな」
「では将軍様とお呼びします」
「好きにせよ」
意外と話が早い。
私はその隣の騎士へ目を向けた。
「あなたは?」
「シン・ウェーモンだ。大将軍直属の騎士で、領内巡察も任されている」
「シン・ウェーモンさん」
「そうだ」
やはり少し長い。
「では、シンエモンさんとお呼びします」
「なぜ縮めた?」
「呼びやすいからです」
「人の名前を勝手に縮めるな」
「では、シン・ウェーモンさん」
「……」
「シン・ウェーモンさん」
「……シンエモンでいい」
「はい、シンエモンさん」
「なぜ少し嬉しそうなんだ」
思ったより、話の分かる人だった。
「それで、将軍様」
私はシミッツ様を見る。
「大聖堂へ何のご用だったのですか?」
「そなたが聞くのか?」
「先ほどから、怪音がどうとか」
「そうだったな」
将軍様は腕を組んだ。
「我が城の大広間に、一枚の竜の絵がある」
「竜?」
「夜になると、その絵の辺りから竜の唸り声のようなものが聞こえるのだ」
「絵が鳴くのですか?」
「そう思われている」
「思われている?」
「私はまだ、そうと決めたわけではない」
私は少しだけ感心した。
大司教とは違う。
この人は、分からないことを分からないままにしている。
「大司教は、呪われた絵ではないかと言っておる」
「そ、それは可能性の一つとして!」
「宮廷魔術師は魔法の痕跡なし。聖術師も呪いではないと言った」
シンエモンさんが補足する。
「けれど、毎晩音だけはするのです」
「なるほど」
少し面白そうだ。
「一休」
将軍様が私を見る。
「異界の知恵者だというなら、そなたにも見てもらおう」
「大司教様が勝手にそう呼んだだけですよ」
「では、知恵者ではないのか?」
「それを決めるのは、私ではないでしょう」
将軍様の目が少し細くなった。
笑っているようにも見える。
「ますます面白い」
「伯爵――ではなく、大将軍閣下」
シンエモンさんが口を挟む。
「本当にこの子どもを連れていかれるおつもりですか?」
「よいではないか」
「魔力も天職もないと、先ほど聞こえましたが」
「魔術師も聖術師も解けなかった」
将軍様は私を見た。
「ならば、魔力のない者へ聞いてみるのも悪くなかろう」
「将軍様は、変わったことがお好きなのですね」
「退屈が嫌いなのだ」
「そこはよく分かります」
「分かるのか?」
「私も退屈は苦手ですから」
将軍様が笑った。
「決まりだ。一休、我が城へ来い」
「よいのですか?」
「ただし」
将軍様が指を一本立てる。
「見事、怪音の正体を突き止めれば褒美を取らせよう」
「失敗したら?」
「大司教へ返す」
「それは困ります」
「そこまで嫌なのか!」
大司教が怒鳴った。
私は少し考える。
この大聖堂にいても追い出される。
王都の外へ出ても、何も分からない。
将軍様についていけば、少なくとも寝るところと食べるものくらいはありそうだ。
それに。
絵から竜の声がするというのも、気になる。
「分かりました」
私は頷いた。
「将軍様のお城へ参りましょう」
「ほう。解決する自信があるのか?」
「まだ見てもいないのに、そんなものはありませんよ」
「言い切ったな」
「分からないものを分かったふりするほうが、よほど危険です」
そのとき。
ぐうううううう。
大聖堂に、妙な音が響いた。
「……」
「……」
「……」
皆の視線が、私へ集まる。
私は腹を押さえた。
「ですが」
「何だ」
「難問より先に、こちらを解決していただけませんか?」
「腹が減ったのか?」
「はい」
私は大司教を見る。
「水も食べ物もいただけなかったので」
将軍様の顔がゆっくり大司教へ向いた。
シンエモンさんも眉をひそめる。
「バルロム」
「は、はい!」
「召喚した子どもへ食事も水も与えなかったのか?」
「そ、それは鑑定の直後で……」
「大聖堂は、子ども一人へ水を与える余裕もないほど困窮しているのか?」
「滅相もございません!」
「ならば、なぜだ?」
「す、すぐに用意いたします!」
大司教が慌てて聖職者たちへ命じた。
「食事を持ってこい!」
「先ほどは、大聖堂の食料は神様に仕える人だけのものだと」
「一休!」
大司教が顔を真っ赤にする。
「よいから食べろ!」
「ありがたくいただきます」
私はにっこりと笑った。
剣はない。
魔法もない。
天職もない。
この世界のことだって、何も知らない。
それでも。
考える頭と、ものを尋ねる口だけは、ちゃんと一緒にこちらへ来てくれたらしい。
こうして私は、異世界へ来て最初の難題へ挑むことになった。
相手は、夜な夜な唸るという絵の中の竜。
そして――。
「シンエモンさん」
「今度は何だ」
「将軍様のお城には、甘いお菓子はありますか?」
「今から気にすることがそれか!」
どうやら、退屈する暇だけはなさそうだった。




