08
◇
何時間くらいこの子のそばに居たんだろう。
水を飲んだりしてだましだましやってたけどお腹の虫ももう限界だし、堅い大樹の根に座り続けたせいでお尻はカチンコチンだ。
周囲の植物が擦れ合う音も、汗で定期的に曇る私の眼鏡も、何度繰り返してるかわからない。
このどこか停滞した空間の中で、私の付けてる腕時計だけが唯一といっていい現実感だったかもしれない。
「午後五時……」
頭上にいたはずの太陽は、すっかり確認できなくなっている。
ていうかリフジーさん、目的忘れてないよね……?
「あの、リフジーさん。もう五時を回りました」
「そうか……」
「山村へ到着する前に日が暮れちゃいますよ」
ずっと言わないでおいたけど、いい加減切り出さなくちゃいけない気がした。
「ここへやってきた目的、覚えてますよね?」
「……ん」
ザラの山村へ向かうこと。ザラヤマドリの羽根を入手すること。
中級依頼顔負けのこんな計画を実行していながら、一匹のカラスにかまけてる時間なんてあるのだろうか。
「けど、こいつ、さっきエストの拾ってきた木の実を食べたんだ。少しずつ回復してきてる」
「元気になるまで悠長に待つつもりですか?」
カラスが悪いとは思わない。それに、リフジーさんも悪くない。
ただそれでも、時間には替えられない。
「リフジーさんの気持ちはとてもわかります。でも――――」
「仕方ない。この子も連れていこう」
「え?」
私の言葉を遮ったリフジーさんは、それまで眠るように休んでいたそのカラスを、丁寧に抱きかかえた。
「エスト、前を歩いてほしい。足もとに注意して」
「わかりました……!」
言葉数も少ない中、私はリフジーさんの気持ちがなんとなくわかってしまった。
衰弱してるから、あまり動かしたくない。
安静に、繊細に看病してあげないと、この子は絶命するかもしれない。
そんな危険を感じ取って、一瞬でも気持ちが揺らいでいたんじゃないか。
「少し道が開けてきましたよ、リフジーさん」
「……」
私は道の先へ顔を向けたまま、後ろを歩くリフジーさんに話しかけていた。
日没まで、あと二時間もないと思った。
◇
午後七時手前。
私達はもはや悲願とも言うべき目的の一つを叶えていた。
「やりましたよ、リフジーさん! あれを見てください!」
「あ、ああ……。あの村だ……。あの村で間違いない」
日の入りに間に合う形で、私とリフジーさんはザラの山村へと辿り着いていた。
無論、彼の腕の中には道中拾ったあのカラスもいる。
村は石垣で出来た小さな塀に囲われていて、私とリフジーさんはその石塀の切られた村の入り口前に立っていた。
奥には家々が見えており、夕暮れの薄暗さに反した柔らかな灯りが漏れ出している。
「ちゃんと到着できた……到着できたんですね……」
私はちょっと……、いや、ちょっとじゃないな……。うん。実は、かなり感動していたと思う。
歩き疲れて節々が泣いている両足。
汗で背中に貼りつくベトベトのブラウス。
けれど、いや、だからこそだと思うけど、この疲弊した身体の欲しがっているソレが、山の合間にこっそりとご褒美みたいに立ち現れたから。
胸の奥にじ~~んっと来たっておかしくないよね?
「…………エスト?」
「ひ、ひとまず、村人を探しましょう」
「……そうだな。今日はもう遅くなってきたし。寝泊まりできる所も聞こうか」
リフジーさんも安心したように一つ、肩で大きく息をする。
それから幼い我が子でも見つめるかのように、カラスへ目を向ける。
腕の中でスヤスヤ寝付いている。
素直にかわいい……。
私だって、ザラヤマドリの件が無ければ可愛がりたいのに。
リフジーさんのポジションがちょっと羨ましいな、などと不意に思ったりもしていた。
「その子、気持ちよさそうですね」
「ん? ああ。途中で意識が戻ってきて、木の実もたくさん食べたからな。お腹いっぱいでまた寝たんだろうね」
「ふふ」
元気になっても、絶対その子リフジーさんから離れないんじゃ? なんてことを、私は簡単に想像できてしまう。
それほど、今の彼とそのカラスとの取り合わせは様になっている。
カラスに懐かれる勇者。……このラベルに妙な微笑ましさを感じるのは、その勇者がリフジーさんだからかもしれない。
そんなことを私が考えていると、
「あっ! ……そこの君。ちょっといい?」
リフジーさんが、目の前を歩いていた女の子に声を掛けていた。
「……? あれ、もしかして旅の人?」
七歳か八歳くらいだと思う。
茶髪の小さなポニーテール。くりんとした愛らしい瞳。
山育ちにしては珍しい色白の肌が、私の目を惹いた。
「ああ。この村に少し用事があってやってきたんだ。俺はリフジー。こっちはエスト」
「そうなのね。……あたしはカナーナっていうの」
カナーナ。そう名乗った女の子は、幼い見た目の割にはどことなく落ち着きがあって、静かな雰囲気をまとっている。
「カナーナ。……大人の人っているかな?」
リフジーさんはカラスを抱えたままその腰を少し降ろし、片膝を着く。
紳士的ポージング。カナーナと同じ目線になって、話を続けようとする。
「お父さんはまだ帰ってきてないけど、お母さんならいるよ?」
「じゃあ、お母さんとお話したいんだけど……。……ん?」
リフジーさんは、急にそこで話すのを止めた。
カナーナが腕の中のカラスをじっと見つめたまま、微動だにしないからだ。
「あの……カナーナ、どうかした?」
「……ねぇ、その鳥。どうしたの?」
「ああ。途中で拾ったんだ。とても弱っていたから、なんとかしてあげたくて……」
「今は眠ってますけど、拾った時は危険な状態でしたよね」と横から私。
私達の言葉を聞いたあと、カナーナは彼とカラスをもう一度見やると。
「リフジーさん。……その鳥、たぶんカラスじゃないと思う」
「「…………え?」」
カナーナの発言に私達は耳を疑った。
「旅の人なら聞いたことあるかもしれないけど、その子、ザラヤマドリっていう鳥なの」
「え?」
カナーナは驚愕の事実を私達に告げた。
「ちょっと待ってくれ、カナーナ。この鳥はカラス……じゃないのか? こんなに全身真っ黒けなんだぞ⁉」
「……。でもそのカラス、羽根の色が変じゃない?」
カナーナは、リフジーさんの抱えるカラスに指を差す。
「ん? ……あれ?」
「っ⁉ リフジーさん、一本だけ羽根の色が違います!」
私達は一瞬、状況が飲み込めなかった。
日中に見た時は、まるで気付かなかった。
でも、今こうしてカナーナに指差された箇所を注視してみると、明らかにその羽根は他と異なっていて。
「その羽根が証拠。ザラヤマドリはいろんな鳥に化けることができるって、前におじいちゃんが言ってたの」
唖然とする私達二人をよそに、カナーナは「カラスにも化けるんだ。ふふっ、可愛い♪」なんて、のんきに微笑んだりしている。
「カ、カナーナ。今すぐお母さんと……いや、おじいさんと話をさせてくれないか?」
「え? いいけど……?」
私達は、いわば第一村人であるカナーナに連れられて、彼女のお家にお邪魔させてもらうことにしたのだった。
◇
小さくても住み心地の良さそうな木造家屋。
玄関ドアを開けた瞬間、琥珀色の灯りとなんてことない夕食の香りがほんのりと漂ってくる。
…………。あ、ダメだ。
気を抜いたらホッとしてこのまま眠りこけちゃいそう。
山旅で疲れた身体をそっと抱きしめてくれそうな、そんなお家にカナーナ親子は暮らしていた。
「ただいま。ねぇお母さん、友達連れてきたよ」
「お友達……?」
玄関を開けてまず第一声、カナーナは、後ろに続いてやってきた私達を母親に紹介する。
「リフジーさんと、エストさん」
「まあまあ! お友達っていうからどんな子かと思ったら、……カナーナよりずっと大きいお友達じゃない!」
大きいお友達……。間違ってないけど間違ってる気がするのはなぜだろう。
「ふふっ♪ お母さん。驚いた?」
「驚いたに決まってるじゃな~~い!」
「クスクス」
この優しそうなお母さんの前だからだろうか。カナーナは、さっきまで見せることのなかった子供らしい、いたずらっ子のような立ち振る舞いをしている。
それにしても、私達は彼女の中で『お友達』枠だったらしい。
誰でも彼でも友達扱いできるのは、この年頃の特権というか……、素晴らしい世界観だと思った。
「……こ、こんばんは。ルードン街で勇者をしています。リフジー・メイワードといいます」
「その勇者の補佐官をしています。エストです」
おずおずと、紹介に預かった流れで口を開く私達。
「このカラス……じゃない、この鳥のことで、詳しい話をお聞きしたいんですが――――」
「リフジーさん達ね、おじいちゃんと話がしたいんだって」
リフジーさんのセリフを遮って、カナーナがママさんに相談する。
「あら、そうなの? お義父さんなら二階にいるから呼んでくるわね」
「ありがとうございます」と、私が会釈をすると、ママさんは『うふっ♡』と目を細めて、簡単に会釈のお返しをしてくれた。
……お上品。なんていうか、お上品な方ですわね!(※移った)
そこから、ママさんがお二階に上がってる隙をついて、リフジーさんがボソッとつぶやく。
「でもカナーナ。さすがに俺がお友達っていうのは、無理があるんじゃないか……?」
「ええー? そんなことないと思いますけど……リフジーさん、あたしと友達じゃイヤですか?」
「イヤってこともないけど……なんだかなぁ?」
リフジーさんはそう言いながら、横に居る私の顔を見る。
え、ここで私? 私に振るの……? ふーん。
「えっと……お友達でいいんじゃないですかね」
「エスト……この裏切り者っ――――‼」
リフジーさんには社交的になってほしいし、ちょうどいいよ。
「裏切り者って、どういうことですか……?」とカナーナは追及する。
「えっとね、リフジーさんは今、逃げ道を探してたんだけど、それを私が塞いじゃったの。だから、逃げられなくて参りました。って、なってるんだよ」
「へぇ~。……もしかして、リフジーさん。お友達少ないんですか?」
「……」
それから間もなくして、ママさんがお義父さん(おじいちゃん)を二階から連れて降りてきたのだった。




