07
◇
調合局でサリサさんと話をした翌日。
もしかしたら、ザラへと出掛けて数日は帰ってこられないかもしれない。
そんな可能性を予見して、朝から私もリフジーさんも簡単な旅支度をしていた。
「エスト、そろそろ出られそうか?」
「はい。私はもう大丈夫ですよ」
「よし、俺のほうも間もなくだ」
部屋から持ち出した小さなリュックサック。リフジーさんはそれを担ぐ。
なんとも流離いの旅人然とした風体の出来上がりである。
もう勇者というより単なる旅行客でしかない。(苦笑)
今更今更。一体、何を咎めることがあるんだ。
「リフジーさん。完全に行楽気分じゃないですか……?」
「む? そんなことないぞ」
そう言いながら、水筒を首から提げようとしている。
あ、旅人じゃなくて登山好きのお父さん然とも言えそう。
「……。違うんですか? てっきり休暇を楽しもうとしてるのかと」
「断じて違う」
違わないと思うけど、やっぱり認めないよねこの勇者。
『メイワード様御一行』なんて手旗でも持っていこうかしら。
それに、長剣を背負った上にリュック。という彼のスタイルは非常にシュールな絵面である。
私は私で、左肩から提げ慣れたこの補佐官用の鞄とは別に、反対の肩からもう一つ斜めに白い革鞄を提げている。
うん。私も割とダサさを極めている気がするよね。たすき掛けみたくなっとる。
「じゃあ、そろそろ行こう」
「はい。目標は明日中に帰宅で」
「そいつはどうだろうな……」
こうして私達は、遠路はるばるザラ地方へのお出かけをスタートさせたのだった。
午前九時。
石畳の伸びるルードン街の出入り口まで来て、私はふと気になったことを彼に問いかけていた。
「え、リフジーさん。そもそもこのまま、ザラまで歩いていくつもりですか?」
「うん。歩いていける距離だし、そのつもりだったけど……?」
「……」
私が黙ったままでいると。
「ん? どうしたエスト。そんな墓石みたいに固まったりして」
リフジーさんは飄々とした様子で私を見る。
ていうか誰が墓石だ。ここに骨を埋められた覚えはないが。
「あれ? あぁ、ひょっとして体力に自信ないのかな?? 笑」
……はぁ??
口角を上げながら、リフジーさんは含みのあるセリフを続ける。
「まぁ仕方ないか~。エストも女の子だもんな。ピヨピヨひよっこ補佐官にザラまでの道のりは険しかったか」
「~~っ!」
拝啓、ズレた勇者に仕える補佐官のみなさま――
下手な挑発ほど血管にクるものってないですよね。
そう。これは挑発に乗るわけじゃない。
挑発を挑発だと知った上で、その挑発の下手さ加減にキテるってだけ。本当にそれ。
「……。いいですよ? 私は徒歩でも平気ですから。もう全っ然余裕ですね」
「あはははっ! ごめんごめん。途中、疲れたら休憩を入れよう」
「リフジーさんが途中でへばったら、休憩を入れてあげなくもないですよ」
「……こ、こいつ」
リフジーさんからそっぽを向いて、私はずんずんと前へ進んでいく。
私は愚か者である。
ただ隣の勇者はもっともっっっっっと愚か者である。むしろそうであれ。
馬とか、行商人の馬車とか、さ。
多少足になるものを使ってザラまで行くのだと思っていた。
しかし、この勇者にそんな甲斐性がないことはハナからわかっていたはずである。
希望や期待は、旅のお荷物でしかない。
無論、この勇者の前では特にそう。捉え方を変えていこう。
人はこれを魔法ではなく処世術と呼ぶそうな。
◇
ルードン街からザラ地方までの道のりは、平坦な草原と点在する荒野とで織りなされている。
街を出た時点で、もうすでにザラ山脈の姿は遠景として眺められているのだけれど、長距離がゆえにそれは若干薄く白んでいて。
「この距離、時間にしてどれくらい掛かるんですか?」
ぽつんと一つ呟く私。
隣のリフジーさんは「そうだな……」と一呼吸置いてから。
「たぶん数時間か、半日は掛かると思う」
「そうですか」
思ったほどじゃないな、と私は感じていた。
「……」
「……」
長い道のりをひた歩く私達だから、時々はこうした会話の切れ目に見舞われる。
着任から数日が経って、次第に私は彼との沈黙にも慣れつつあったけれど。
「……」
「なんか、気持ちのいい風が吹くな」
「そうですね」
リフジーさんの短い髪や、足元の草花がそよ風に揺れている。
こうした緩い時間こそが遠出の魅力なのかもしれない。
そう感じつつ、並び歩く。
しばらく歩いていると、私の中でふと、些細な話題が浮かびあがってきたのだった。
「そういえばリフジーさん」
「ん? どうした、エスト」
「調合局のサリサさん。とんでもなく綺麗な人でしたね」
「そうだな。あの背の高さには驚いたけど」
「……。あ、あの足、見ました? すらーっとして、長くって。大人のお姉さんって感じでしたよね」
「そうだな」
リフジーさんは、特別この話に興味も関心も、焦りなんかも見せずに返答してきたのだった。
「…………」
おかしい。
私はギルド所で『リフジーさん、可愛い女性や綺麗な女性と話すのは苦手説』を有力視していたのだけれど。
あのサリサさんは、ルックスで言えばもう一級品。それは同性の私から見てもそうなのだから、異性のリフジーさんなんて、もっとドキドキしていてもおかしくないでしょ……?
ましてや、リフジーさんは独身。周囲からも疎まれがちで、女性との縁の無さは折り紙付きと言ってもいいだろう。(かなり失礼)
その意味で言えば、サリサさんはリフジーさんへの決定的な試金石だったとも思う。
それなのに。
「ん? エスト、サリサさんのことで何かあったのか?」
「……いえ、別に」
いや、落ち着いて。落ち着くのよエスト。
リフジーさんは、私が知らないだけで、稀に見る百面相の天才なのかもしれない。
ギルド所の受付さんにはどういうわけかその百面相が使えないだけで、本当はすべての場面で仮面を付けているって可能性も……さすがにそれはないか。
「……。ちょっと休憩しようか?」
「え? あ、はい。そうしましょうか」
草原にひょこっと顔を出していた手頃なサイズの石に、私達は腰を掛ける。
リフジーさんは首元の襟に指を掛けて、
「ふー。……ちょっと暑くなってきたな」
「今日、ザラ地方は夏日になるらしいですからね」
「うわ。それじゃ暑いわけだ」
私もリフジーさんも、徐々に上がり続ける気温を受け、じっとりと汗をかき始めていたのだった。
◇
「ここから山道だな」
「ちょっとは涼しいですね」
平坦な道から、地続きでザラの低山帯へと差し掛かる。
それまでまともな木陰もほとんど無かったことを思えば、この山中、生い茂る雑木林は、天然のトンネルと言えるくらい私達に深い影を落とす。
抜ける風も冷ややかで、かいた汗の一滴一滴が私達を癒してくれるようで。
「エスト、大丈夫か?」
「はい。足もとが湿ってますけど、大したことありません」
所によって土が湿り、泥濘のようになっている。
リフジーさんが私の先を歩いては、時々振り返りそんな声を掛けてくれる。
「ここら辺から、特に深くなっていくみたいだな」
「ブナの木の群生地……でしょうか。それにしても……ちょっとここは……」
「ああ。もう道が、消えかけてるな」
リフジーさんの言う通り、山の遊歩道がもうすっかり消えかけていた。
ここへ来るまでは「こっちが道ですよー」と言わんばかりに柵が立てられていたのだけれど、その柵も無し。誰かの歩いた踏み跡だけが、山の奥へとクネクネ伸びている。
「木の根で躓くなよ? この辺は特にひどいぞ」
「だい、じょうぶですっ!」
ゴツい木の根を飛び越え、私達はさらに奥へと進んでいく。
散り散り無数に差し込む木漏れ日と、遠く聞こえる野鳥のさえずり。
踏みしめる木の葉とざわつく木々のうねりの中で、私はリフジーさんの声にハッとさせられた。
「エストッ! ……ちょっと見てくれ」
「え?」
立ち止まるリフジーさんの後ろから、私はそっと顔を覗かせた。
「カラス……ですか?」
「ああ」
そこにいたのは一羽のカラスだった。黒い羽根。毛羽立つ頭。
緑の隙間から降り注ぐ灼熱の太陽に照らされ続けている。
ただ、そのカラスの様子がどうも普通じゃない。
地面に横たわるみたいにして、ぐったりとしている。
「だいぶ、弱ってるみたいだ」
「この暑さのせいでしょうか? よく見ると呼吸も浅そうですね……」
「……」
木陰が多いって言っても、十分ここも暑いから……。
カラスに同情しちゃうくらい、私も相当ヘトヘトだしね。
「よし、ちょっと待ってろよ……」
「えっ……リフジーさん?」
リフジーさんは何か思いついたのか、そのカラスに声を掛けて抱きかかえる。
そのまま、そばにあった大きな樹木の陰にカラスを移してあげると。
「どうするつもりなんですか?」
「どうって……まぁ、ちょっと?」
彼は詳しく告げないまま、リュックサックの中から飲み水を取り出す。
一緒に取り出した木製の平皿を、カラスの顔の近くに置く。
「ほら。ここに水を置いた。飲めるなら飲んでいいんだぞ……?」
「……」
カラスに言語が通じるわけもないけれど、それでもリフジーさんは声を掛けている。
動く気配すら感じられない。
カラスのその口に、優しく数滴お水を垂らしたりもして、どうにか回復を計る。
「……」
「反応、無さそうですね……」
「ひどく弱ってるからな。…………もう少し、待ってあげよう」
「そうですね……。良くなるといいですが……」
「……」
静かに。うそみたいに静かに。
リフジーさんはそのカラスから片時も目を離さず、できる限りの介抱に神経を注いでいた。
なんというか、その姿はとってもいじらしくて、純粋で眩しいくらいだった。
サリサさんの言っていた「勘」のことも、こんな光景を見ていたら妙に腑に落ちる。
と、そんな風に私が、この一人と一匹のことを近くで眺めていると。
「エスト、何か木の実とか、食べ物を探してきてくれないか?」
「木の実ですか?」
「ああ。なんでもいいと思うんだけど。こいつ、たぶんお腹も空いてるはずだから……」
リフジーさんは「今、ここを離れたくないんだ」と言いたげな表情で私を見つめる。
なにその真剣で透き通った目。
こういう時だけ勇者っぽい顔するの、ずるくないですか……?
その後、私は落ちていた適当な木の実を集め、リフジーさんの元へ戻った。
「はい。どうぞ」
リフジーさん所望の木の実をバラバラと渡す。
「おっ、ありがとう。……あれ? このクルミ。もしかしてエストが割ってくれたのか?」
「こ、このままじゃ、カラスは食べられないと思ったので……」
「わかってるね~。笑」
「……」
いちいちニヤけないでほしい。
それからも、私達は一匹のカラスを甲斐甲斐しく介抱してあげたのだった。




