03
午後一時。ピチャス村沿岸。
――――ザザーン。ザザーン。
悲しいかなそんな奇病に喘ぐでもなく、私はピチャス村の小さな浜辺でしゃがみ込んでいた。
「エスト、しっかり網を広げてくれ」
「……」
燦燦ときらめく太陽。
照りつけたその日差しをカンカン帽で凌ぎつつ、リフジーさんのそばで網を広げる。
波打ち際からいくらか離れたその砂地を踏みしめて。
「はい、どうぞ」
「よしっ。この辺はアサリが固まってるみたいだ」
「そのようですね」
「ザクザク獲れるなぁ。大漁大漁~♪」
熊手とスコップを手に、砂をほじくり返すリフジーさん。
言葉のとおり、面白いくらいザクザク現れるアサリの群れ。
「それにしても暑いですね……」
「ああ。立ってるだけで汗だくになるからな。幸い、漁夫のシーアさんから椅子を借りられてよかった」
「……ですね」
確かに。
こんな長丁場を前屈みやしゃがんだ姿勢だけで過ごしていたら、老婆にも負けない腰曲がりになってしまう。
私達は各自、借りてきた折り畳み椅子に腰を落ち着けた。
「……はい。これ」
「え?」
どこに仕舞っていたのか、リフジーさんが私に飲み物の入った瓶を差し出す。
「水分。…………ちゃんと取らないと倒れるぞ」
「ありがとうございます」
意外と、私のことも見てるんだ。
ていうか、こういうのは私の仕事じゃないのかよ私。
「ッスー。……いい風だ」
「そうですね」
たまに吹く潮風が、私達の額の汗を冷やす。
気持ちいい。いろんなことを忘れてしまいそうになるくらい。
「? ……ていうか、なんですか? その小瓶の噴霧器」
私はリフジーさんの腰の辺りにそれを見つける。
「ああ。護身用にな。小さいけど、サッと相手を眠らせることができる優れものだ」
護身用って……。
少なくとも、こんな潮干狩りにはいらなくない……?
そんなのんきな疑問などに心を移していると。
「おーーーい。リフジーさーーーん!」
向こうから、とある男性が私とリフジーさんの元へ駆け寄ってくる。
その、日に焼けた手を振りながら。大きな声をあげながら。
今回の依頼者、漁夫のシーアさんである。
「……どうしました?」とリフジーさん。
「ッハァ……ハァ……。いや、今どれくらい獲れてるかなーと思って。もうかれこれ二時間やってるでしょう?」
「言われてみればもうそんなに経ちますね」と、私が革鞄の中の時計を確認していると。
シーアさんは私のそばに置いてあった網袋に目を向ける。
「おお。すごい獲れてますね!」
「ま、まぁ。……どうもこの辺で群生地に当たったみたいだからなぁ」
「あと一時間くらいで引きあげようと思ってたんですけど。さすがは勇者ですね! 思ってもない健闘っぷり!」
予想外なのはそう。私もそう思った。
リフジーさんは潮干狩りの天才かもしれない。
もう勇者関係ないと思うけど。
「それに、エストさんもすごいですよ!」
「はい?」
「アサリの穴を見つけてバッチリ仕留めちゃうんだからな~。こりゃあリフジーさんと二人で漁師に転職するって未来もアリじゃないですか?」
「いえ、……穴とか、ほんと全部たまたまですから」
ていうか、リフジーさんと漁師って……どんな未来予想図?
生き方のベクトルねじ曲げすぎてるでしょ。正して正して。
「あ、それとお伝えしたかったんですけどね? この仕事が終わったら、報酬金だけじゃなくて、ちょいとウチの奥さんが作ったスープでも召し上がってってくださいな」
「え? いいんですか?」とリフジーさんが意表を突かれたように応える。
シーアさん、年齢は三十代くらいだと思う。
そんな彼が、屈託ない笑顔を私達に向けている。
「もちろんですとも。むしろあなた達にご馳走しなかったらバチが当たりますよ!」
「……」
「……」
私とリフジーさんは目を合わせて、それからシーアさんに向き直る。
「「じゃあ、お言葉に甘えます」」
偶然だけど、そのセリフだけは妙に被ってしまったのだった。
◇
シーアさんは「じゃあ向こうでまた引き続き獲ってきますね! もう少ししたらまた呼びに来ますんで~~!」と、潮風みたいな爽やかさで私達から離れていった。
自由闊達ってああいう人を言うんだろうなぁ。とか考えながら、私はシーアさんの背中を見送る。
「シーアさんて、年の割にはこう、若々しいっていうか、無邪気な方ですよね」
「ああ。ピチャス村の人に限らないだろうけど、田舎独特の空気っていうかね。ゆっくり流れてる時間の、その恩恵が現れてる感じだよな」
「そうですね」
しかし、それから一時間経っても、彼は私達を呼びにこなかった。
ちょくちょく時間を気にして、私が革鞄から時計や依頼書を出し、落ち着かないでいると。
「……なぁ。……エスト」
「はい?」
「やっぱり、さすがに遅いよな? シーアさん」
「はい。私もそう思いますけど……」
リフジーさんも気にしていたのか、手を止めて私に声を掛ける。
「ちょっと見てこようかな」
「リフジーさんが行くなら、私も同行します」
私達は椅子から立ち上がり、シーアさんが走っていった方向へと歩き始めたのだった。
幸運だったことに、シーアさんの足跡はまだ砂浜に残っていた。
これを辿っていけばいい。
この、彼の潮干狩りポイントへの道しるべを頼りに、私達は歩を進める。
そうして歩き始めて、二十分くらい経った頃。
「結構、俺達の居たポイントから離れてきたな」
「そうですね。もう途中の足跡が潮でかき消されてきています」
だんだん雲行きが怪しくなってきている。
私も、リフジーさんも、直接言葉に出さないけれど、疑い始めている。
シーアさんに何かあったんじゃないか。
そんな不安が、脳裏にこびりつき始めていた。
その時だった。
「あっ……⁉」
私の前を歩いていたリフジーさんが声をあげる。
「どうしました? ……っ!」
私達の数十メートル先に、シーアさんらしき人物が倒れていたのだ。
「エスト! 走るぞ‼」
「は、はいっ‼」
二人して大急ぎで彼の元へ駆けよる。
バシャバシャと激しく立つ水しぶき。
潮が満ち始めて、私達の足もとまで伸びてきていた。
「大丈夫ですかシーアさん⁉」
リフジーさんが彼の上半身を抱き上げるも、呼びかけには反応しない。
「しっかりしてください!」
私も慌てて声をかけるけれど、彼は無言のまま具合悪そうにぐったりとしている。
「リフジーさん。シーアさんの顔色が……」
「ああ。一体、何が起きたんだ……?」
切迫する事態。
周囲には誰もいない。
だだっ広い海岸線と、よそごとみたいな潮風だけが流れている。
けれど、そんな取り残された私達に、シーアさんのかすかな声が聞こえてきて。
「あ、あし……足が…………」
「足⁉」
それは波音にかき消されてしまいそうなくらい、小さくて弱弱しい声だった。
私とリフジーさんはその言葉を聞き逃すことなく、彼の両足に視線を移す。
「リフジーさん! シーアさんの右足が……右足の指先がすごく腫れています! ひょっとしてウミヘビにでも噛まれたんじゃ……⁉」
「っっ! そ、そうかもしれない」
ひと呼吸、そこに間があったかと思うと。
「エスト。……ちょっと、その革鞄からある物を出してほしい」
「…………な、なんですか?」
リフジーさんはとても静かに、その『ある物』の名前を口にした。
「勇者補佐官なら持ってるよな。『万能薬・メタンターゼ』」
「っ⁉」
私は一瞬、硬直した。
『メタンターゼ』は、毒や麻痺といった様々な症状を治すために用いられる薬だ。
リフジーさんの言うその『メタンターゼ』を、私は確かに持っている。
でも……でもこれは、今ここで使えない薬なのだ。
「こ、今回のケースは使用しちゃダメですよ! だってこれ…………勇者専用なんですよ⁉」
「知ってるよ。……けど、構わない。人間であれば誰にでも同じ効果を発揮する薬だ」
「それでも……リフジーさん以外の人間に使ったことが知られたら、リフジーさんが罪に問われるんですよ……⁉」
そう。そこには重大な問題が潜んでいた。
補佐官制度の禁則事項。
勇者専用として支給された薬や道具類は、勇者にのみ使用が許可されている。
依頼を行なっている最中、補佐官が禁則事項を破った場合、その責任の所在は、補佐官ではなく勇者にある。
……つまりこの場合、私の持っている『メタンターゼ』をシーアさんに使ってしまうと、その行為の責任はリフジーさんが取らなければいけないわけで。
「ダメです! 他にもっと方法があるはずですよ! 落ち着いて考えれば……」
私は必死になってリフジーさんを説得しようとした。
こんな非常事態だからこそ、一度冷静になるべきだと思った。
でもリフジーさんは、そんな私にも情けを掛けていたみたいで。
「いつから毒が回り始めたのかもわからないんだ。……メタンターゼは万能薬だが、彼が死んでしまえばそれまでなんだよ。悠長に考えてる暇なんてない」
「っ……! な、なら私にも…………私にも、何か手伝わせてください!!」
「ごめん、エスト」
「……え?」
リフジーさんは突然、腰につけていた小瓶を私に噴霧した。
その甘い香りを感じた直後、私は強烈な眠気に襲われる。
「な……んで……」
「君まで制度を欺くことはない」
リフジーさんのその言葉は、どこか優しくて、そしてどこか寂しそうだった。
「少しの間だけ眠っててくれ。そして起きたら、エストは何も知らないし、見ていない。……これで全部、丸く収まるはずだから」
……何、勝手なこと言ってるの、この人。
あ、ダメだ。視界がだんだんぼやけてきちゃって。何がなんだか――――




