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◇
「だんだん、山の空気が乾燥してきたな」
リフジーさんが周囲を見渡してそうつぶやく頃。
私達の荷馬車はザラ連峰の山中を進み続け、一段と険しい道へと差し掛かっていた。
木々は追い払われて、むき出しの岩肌が野生の厳しさを物語るように続いている。
「あのくすんだ石柱の立ってる所が国境標だね」
「あれが……マデオンの入り口ですか」
サリサさんに道案内をお任せして、こうして荷馬車でやってきたけど、ずいぶん景色が違う。
「そういえば二人とも、ザラ山脈に来たことはあっても、連峰の国境付近までは来てないんだっけ?」
「ああ」
「そうですね……。私達はもっと手前の、まだ雑木林がたくさんあった所までですね」
「ふーん……」
「この辺、ほとんど植物が生えてないんですね。違う山に来たみたいです……」
「ザラの山脈は広いからねぇ。低山帯には植物も多いけど、マデオンまで近付いてくると一気に岩山のそれになってくる。……あ、そうだ。この辺から、ゴーグルを着けた方がいいよ」
そう言って、サリサさんは御者台から振り返り、荷台の隅に置かれた木箱を指し示した。
「ゴーグル? 目が乾くからってことか?」
「乾燥もそうだけど、国境標を超えた辺りで特に岩石の塵が不規則に舞い続けてるんだ。しばらくしたら外せるんだけど、ゴーグル無しでこのまま進むと目が潰れちゃうからさ」
ひえぇ。目が潰れるの……?
完全初見殺しじゃん、それ。
慌ててゴーグルを装着する私とリフジーさん。
ていうか私は眼鏡外してからじゃないと装着できないんだが⁉
「入国するのにも一苦労だな、この国」
「で、ですねっ……」
どうりでアルカナンまでやってくるマデオン国民が少ないわけだ。
こんなに危険で大変なら、それを冒してまで来ようとするのはよっぽどの物好きに違いないよ。
リフジーさんに同意を示していると、
「はい、無事にマデオン、ご入国だよーっと」
私達の荷馬車が石柱を横切るタイミングで、サリサさんは陽気にそんなセリフを口にする。
まぁこの人にとっては慣れたもんなんだろうけど、やっぱり緊張感無いなぁ……
もしかして緊張してる方が変?
いや、サリサさんの感覚が麻痺してるだけだよね?
とか考えていると。
――――バチチッ、バチバチッ!
「うわ!」
「な、なんかゴーグルに当たりました! サリサさん‼」
突然の軽い衝撃音に驚く私達。サリサさんは依然前を向いたまま。
「あ、それそれ。それが岩石の塵だよ。あと、木箱の中に布が入ってるから、それで口や鼻も覆っておいたほうがいい。気管に入ったら大変だし、晒してる皮膚も運が悪いと切り傷だらけになるよ」
え。後出しの情報が死ぬほど重要すぎない?
「うわうわっ! エスト、早くこの布をっ!」
「リフジーさんこそ急いで口を!」
大慌てでゴーグルの下を布で覆う私達。
もう強盗犯みたいなゴテゴテ感だけど、死ぬよりずっといい。
舞い続ける岩石の塵は、それからもゴーグルのレンズを叩き、荷台の板張りにも容赦なく打ち付ける。
レンズに細かい古傷が入っているけど、それはこの塵のせいだったのね。怖い怖い。
「そういえば、『馬』のほうは大丈夫か⁉」
唐突に、リフジーさんがお馬さんの身を案じる。
言われてみれば確かに! と私が気が付く間もなく、その答えをサリサさんが言い始める。
「ああ、この子なら大丈夫だよ。今は前を向いてるから確認しづらいけど、目を瞑りながらでも手綱通りに進んでくれるし、この子の皮膚は『普通の馬』と違うからね」
「え? この子、普通の馬じゃなかったんですか⁉」
「うん。ガーダリオンへ行くのに普通の馬で行ったんじゃ、きっと帰って来れなくなるよ」
「何か、特別な馬だったってことか……?」
もしかして、サリサさんが最初から馬を用意してくれてたのって、これを見越してたから?
用意がいいっていうか、必須条件だったってことじゃん。
「この子はガーダリオンで育った馬なのさ。だから、石塵や乾燥した空気にも慣れっこだし、ここみたいにごつごつした岩壁地帯でも疲れないような歩き方ができる。……大変だったけどね、ガーダリオンで馬を買うの。笑」
軽妙に語る口ぶりでも、その苦労はたぶん私達の想像以上なんだろう。
この超美人で魔法まで使えるサリサさんが「大変だったけどね」なんて言うんだから。
◇
馬を引くサリサさんが「もうすぐガーダリオン到着だよ」と教えてくれる頃、私とリフジーさんは地味にたくさんの汗をかいていた。
体感だけどこれ、気温三十五度くらいは平気で超えてるよね……。
日なたは下手したら四十度?
もし、うたた寝なんかしたら身体が干上がっちゃうんじゃない?
そう思えても仕方ないくらい空気が暑い。
周囲の岩壁の隙間から熱風が吹き出しているし、足場は熱した鉄板みたい。
あちこちに陽炎も立ち上って、視界をゆらゆらさせている。
「エスト、大丈夫か?」
「私は大丈夫です。……うう。……あ、リフジーさんお水いりますか?」
「いや、自分のがまだあるし大丈夫だ」
「そうですか……。というか、リフジーさんは平気そうですね」
「さっき一枚脱いだからな」
この気温に合わせて、リフジーさんの上半身は薄いシャツ一枚になっていた。
私だって脱ぎたいし、暑さにバテちゃう姿は見せたくない。
リフジーさんの前であまり身体のラインが出るような恰好はしたくないけど……。
でも、この暑さじゃそんなこと言ってらんないか。
「…………ふぅ」
それに自意識過剰なんだよね、こういうのって大体。
私はブラウスのボタンを一つ外し、肩に掛けているだけの上着もいい加減脱ぐことにした。
「二人とも、暑そうだねー」
私達が汗まみれな一方で、サリサさんは不思議なくらい平気そうだった。
ルードン街東門で待ち合わせた時のまま、全身黒の「これぞ魔女!」みたいな取り合わせの服装を、この熱帯と呼んでいい過酷なシーンになっても変えることはなくて。
「あの、暑くないんですか? サリサさん」
「まぁ、慣れだよね。それに私、この服の下に《《下着も何も付けてない》》からね~」
下着も何もって…………はっ⁉
「な、何言ってるんですか⁉ サリサさん⁉」
「暑さでおかしくなったか⁉」
私とリフジーさんは、一斉に声を張り上げた。
暑くてぐでーんとしていた体勢を立て直し、今聞いた衝撃の事実を確かめたくなって。
「え? あははははっ! 冗談に決まってるだろ。そんな慌てないでよー。お馬ちゃんがびっくりするって」
慌てるでしょ! その黒服の下が裸だったとか。
そんな変態魔女と旅してたなんて。取り乱さない方が逆におかしいですよ。
「でもよかった。二人ともまだ元気そうで。笑」
「元気かどうかは、もっと普通に確認してください」
「心臓が止まるかと思ったな……」
私とリフジーさんは「はぁ~」とため息をついて、また荷台でぐでーんとなった。
驚いたせいで余計に汗が噴き出た気がする。
魔女って怖いですねリフジーさん。
あと、チラチラ横目でサリサさんの背中を見ないでください。
何期待してるんですか? 頬つねっていいですか?
◇
なんか道中でとんでもなく卑猥な疑念をサリサさんに抱いてしまったけど、それでも無事ガーダリオンには到着することができた。
重くのしかかるような曇り空。
岩肌の上に並ぶ新旧石造りの家。
窓は小さく、壁には名前も知らない植物の蔓が這い回り、その葉が乾いた熱風と不定期な砂塵に揺れていた。
景観の至るところが私に「ここはもうアルカナンじゃない」と伝えてくる。
そんな街並みを目の前にして。
「じゃ、私は仕事があるからここまでかなー。二人はまず、泊まれる所を探すんだよね?」
「そうだな。依頼の件はその後にでも始めようと思ってるが」
「ですね。……あ、そういえば帰りはどうするんですか?」
私の質問にサリサさんはさらりと告げる。
「宿泊先が決まったら、その住所を『この紙』に書いてほしい。そしたら私にも伝わるからさ」
「その紙は……?」
「『写筆紙』といって、離れている人と筆談ができる紙さ。書いた文字は書かれた方の紙からでないと消せないから、そこは気をつけてね。紙いっぱいになったら消すんだよ?」
「え、すごい便利ですねこれ……!」
「こんな魔法の紙があったのか⁉」
サリサさんの説明で言えば、つまる所この紙がメッセージボードみたいな役目を果たすとのこと。
私もリフジーさんも驚きを隠せなかった。
だって見たことないしね、こんな紙。
「魔導士の間だと割と認知されてる魔道具なんだけど。……そういえば、二人は魔導士との交流がほぼ無かったんだっけ?」
「まともに交流したのはサリサさんが初めてだからな」
リフジーさんはそう言って、サリサさんから写筆紙を受け取る。
二十センチ四方程度。厚くないし高級でもなさそう。一見するとただの紙切れである。
「調査が終わって帰るころになったら、書かれた場所へ迎えに行くからね。それまで元気に頑張るんだよー」
「ああ。ここまでありがとう」
「ありがとうございました。サリサさんもお元気で」
サリサさんは荷馬車を引き、私達の元を去っていった。
なんだかんだで面倒見の良い人だったと思う。(大事な情報を後出しされた時はこの世の終わりかと思ったけど)
それと、最後にその高身長を屈めて「またね~」と柔らかく手を振ってくれた彼女の姿が、なんとなく私には印象的な光景に思えたのだった。




