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 ◇


 真っ暗な一室での会話は、途絶えたまま。

「私達はその子のことを、何も知らないんです」という私の発言を最後にして。


 暗がりに目が慣れてくると、窓に映る外の木々に気が向いていく。

 薄明るくて、きっと夜空には月が浮かんでいるに違いない。


 このままソファに身を委ねて、目を瞑って、もう数分でも経ってしまえば……。


 私はなんとなく、夢の入り口に立ち始めているような心地でいた。


 いた、んだけど……



「静かに……してるんだぞ……」


 え?


 ガサゴソと小さな物音が聞こえる。

 無論、リフジーさんの方から聞こえていた。


「…………」


 お隣で寝ているはずのリフジーさんが、ゆっくりと身体を起こす。

 薄暗い部屋の中で、もぞもぞと動いている。夜の暗さ、私が眼鏡を外していたこともあって、その輪郭はぼやけて見えていた。


 けれど、その人影の手にはしっかりと鳥カゴのようなものが掴まれていて。


 立ち上がったリフジーさんは、私達の部屋から静かに出ていってしまった。


「…………」


 あ、そうだ。

 ちょうど、トイレに行きたいと思ってたんだ私。(※すっとぼけ)


 そうだよそうだよ。なんか寝付けないなぁ~とか思ってたんだけど、今はっきりとしたね。


 このソファから起き上がる理由が、というかこの部屋から出なきゃいけない理由があったんだ。

 うん。これは仕方ない。




 今何時くらいなんだろう。

 とか考えながら部屋を出てみると、台所脇の勝手口がわずかに開いている。


 その開いた隙間から外の明るさが差し込んできているのは、単に鍵の閉め忘れや、よそ者の侵入を意味しているわけじゃない。


 暗さに慣れた目で壁を伝いながら、そろりそろりと勝手口の方へ近づく。

 その出口の向こうに誰がいるのか、私はもう答えを持っていて。


「…………」


 ごくり。


 妙な緊張感に思わず生唾を飲む。


 これまで見たことがなかったリフジーさんの一面を、垣間見ることができるかもしれない。


 けど、本当に見ちゃっていいの……?

 私の目を忍んでわざわざ夜に抜け出したその気遣いは……。


 ううん。違う違う。

 これは偶発的なものだ。たまたまだよエスト・ザラック。


 本当にたまたま、トイレに立ったら勝手口の隙間に気が付いて、何の気なしに近付いてるだけ。


 いいから、そっとドアノブを握って。

 お願いだから、少しだけ。



 ――――私は勝手口の外をこっそりと覗いたのだった。



 勝手口から少し離れた所で、リフジーさんとザラヤマドリは向き合い、立っていた。


 月光に照らされる草原とリフジーさん達は、どこか儚くて抒情的に映る。


 さっきまで手にしていた鳥カゴはすでに開けられていて、彼の足もとに置いてある。


「ほら、もうお前は自由だ。だから、早く逃げるんだ」


「…………?」


 リフジーさんは、カゴから出したザラヤマドリに話しかけている。

 もちろん、そんな彼の言葉をザラヤマドリは理解できなくて、頭に疑問符を浮かべている。


「お前は元気になったよ。というか、自分でもわかってるんだろ? すごく賢い鳥なんだって、おじいさんが言ってたよ。……だから、もうどこへでも飛んでいけるくらい回復してるんだって、ちゃんとわかってるはずだ」


「……」


「なんだ。どうして逃げないんだ?」


「……」


「逃げろよ! ……このまま朝になったら、もう逃がしてやれないんだぞ⁉」


「……」


 ザラヤマドリは、それでもリフジーさんの元を離れないみたいだった。

 鳥類らしく、時おり小首を傾げている。


 私はなぜか、その光景にものすごく胸が締め付けられてしまった。


 なんでかわからない。

 これ、どういう気持ち……?


 なんで、リフジーさんがザラヤマドリを逃がそうとしてるだけなのに、切なくなってるの……?


「早く逃げないと、痛い目に遭うぞ? 頭が良いんだから、俺の言ってることもわかるよな?」


「……」



 静かな草原で一人、リフジーさんは一生懸命だった。


 ザラヤマドリが飛んでいってしまいそうな理由を、なんとか必死に作ってるみたいで。

 脅かしてみたり、木の実を遠くに投げてみたり。

 尽くせる手はほとんど尽くしたのに、それでもザラヤマドリはリフジーさんから離れそうになくて。


「こ、ここまで言って逃げないっていうなら、俺にも考えがあるからな……?」


 リフジーさんは肩で息をして、疲れている様子だった。

 そして、どこに隠し持っていたのか小さなナイフを取り出し、それをザラヤマドリに向ける。


「逃げないなら、お前を刺すかもしれないぞ?」


「……」


 それでも、ザラヤマドリはリフジーさんから離れなかった。


 これは私の想像だけど、きっとザラヤマドリは、リフジーさんにありがとうって言いたいんだと思う。彼の温かい行為に、感謝しきれないのだ。


 瀕死だった自分を見つけてくれたことも。


 時間いっぱいそばにいて、丁寧に看病してくれたことも。


 だから、離れないというより、あなたから離れたくありませんって事なんだと思う。


「…………はぁ」


 私が覗き見ていたのは、そこまでだった。

 私はそれ以上、見ていられなかった。


 こっそりなんて……見ちゃいけないやつだよ、こんなの。


 最後まで見ていたら私自身の気持ちが持たないと思った。


「部屋に戻ろ……」


 小さく呟いて、私は足音を立てないよう部屋へと帰ることにした。


 二人(一人と一匹?)の結末は気になるけど、もはや私の方が泣いちゃいそうだし……。


 明日の朝、私はリフジーさんに、普通におはようって言えるんだろうか……?


 私は、そっちの方が心配かもしれない。





 私が次に瞼を上げた時には、もうすっかり朝になってしまっていた。


「ん……」


 ぼやけた視界。まどろむ思考。

 長いようで短い夜は明けたのだ。


 灯りも点けていないのに、部屋の中は朝日で十分に明るかった。


 枕元に手を伸ばして、指先の感覚だけで「この辺に置いたはず」と、そこにあるべき丸眼鏡を探す。


 その眼鏡をゆっくりと掛けて、部屋を見渡すと、もうそこにリフジーさんの姿はなかった。


 え……?

 もしかして、あれからずっと戻ってきてない……?


「鳥カゴもないし…………」


 部屋に一人ぽつんと取り残されたような感覚を覚えた私は、少し急ぎ足で部屋を出る。


 出た先のリビングには、カナーナとママさんの二人が卓に着いていて。


「あら? おはよう、エストさん♪」


「おはよう~~」


「……おはようございます」



 二人とも、素朴だけど美味しそうなパンを食べている。


 横にはグラスに注いだ牛乳と、湯気の立っているトマトチーズ煮込み。


 起き抜けに相応しい朝食で、私のお腹の虫も騒ぎそうな匂い。


「ねぇ、エストさんって、レーズン食べれる?」


「え? ……ええ。大丈夫だけど」


「なら私のパン、ちょっと食べない……?」


 カナーナのそんな申し出があった直後。


「こら、カナーナ! 好き嫌いしてないで、ちゃんと食べなさい?」


「だってぇ~」


 ママさんがぴしゃりと一喝。

 よくよく見てみると、カナーナの手にしていたライ麦パンにはレーズンが埋まっている。


 どうもそれが、彼女のぶう垂れている理由らしい。


 なんか、朝から穏やかだなぁ……。

 昨日の夜中に見た光景が嘘みたいに――――あっ。


「あ、あの! そういえばリフジーさん、どこにいますか⁉」


 私は慌てて質問する。

 カナーナ親子の朝食風景に心を奪われかけていたけれど。


「リフジーさんだったら、もう朝ごはんも食べ終わって、外でお散歩するって言ってたわよ?」


「ありがとうございます」


 ママさんに頭を下げ、私はいそいそと表へ出る。



 家の外は、とてもひんやりとした冷たい外気に満ち満ちていた。


 あの日中の暑さが嘘のようだ。


「リフジーさん……」


 もう、どこへ行ったんだろう。


 家の玄関先にも彼はいない。


 私は家の外周を歩き、探して回ることにした。


 少し歩いて家の裏手に行き着くと、ようやくリフジーさんをそこに見つける。


 そこは昨夜、リフジーさんがザラヤマドリを放していた場所。木々の開けている小さな草原だった。



「おはようございます。ここに居たんですね」


「ん? ああ、エストか」


 リフジーさんは私に背中を向けていて、遠くを眺めていたようで。

 そんな彼の隣には、空っぽの鳥カゴが置かれていた。


「それ……ザラヤマドリはどうしたんですか⁉」


 白々しくも私は訊いた。

 鳥カゴの中が空であることを、たった今知りました。驚きました。みたいな調子で。


「逃げられてしまったみたいだ。……あの子は、とても賢かったってことだな」


「…………」


 リフジーさんは落ち着き払った声でそう口にする。

 残念そうというより、ある種の納得みたいな気持ちが、そこに含まれていた。


「そうですか……。じゃあ、羽根も……ダメでしたか」


「いや。羽根なら、落としていったみたいだ」


「え……?」


 リフジーさんは振り返りながら、その手にザラヤマドリの羽根を掴んでいた。


 一本。

 とても綺麗なその銀の色に、私は目を奪われる。


 それには底知れない深みがあって、角度によっては灰色にも白色にも映る。


「……賢い上に優しいよな。俺達の状況とか、そんなのも全部見透かしてたんじゃないかって、今になって思うんだ」


「……賢くて、優しい……ですね」


 私は同じ言葉を繰り返した。

 でもそれは、リフジーさんが優しいからじゃん。とも私は思った。


 あなたはずっと優しい。

 誰も見ていないところで、飾らない善意を持って。


 おそらくザラヤマドリは、飛び立つ間際になってリフジーさんに羽根を落としていったんだと思う。


 想いを伝えるために落とされた、その一本の羽根だけが、リフジーさんを肯定していた。



「エスト。……そろそろルードン街に帰るとしようか」


「……そうですね」


 リフジーさんはむくっと腰を上げ、伸びをする。それから大きく深呼吸。


 美味しそうに吐き出す大自然の空気。


 横で、つい私も真似してみたくなる。これは……なんか、土の匂い?


「ここって、良い村だよな」


「はい。私も、そう思います」


 山の木々に囲まれたこの辺境の村を、私とリフジーさんはしみじみと振り返る。


 どういうわけかこの時、私はこの勇者の補佐官で良かったのかもしれない。なんて、都合の良い感想を持ち出してしまうのだった。


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