10
◇
真っ暗な一室での会話は、途絶えたまま。
「私達はその子のことを、何も知らないんです」という私の発言を最後にして。
暗がりに目が慣れてくると、窓に映る外の木々に気が向いていく。
薄明るくて、きっと夜空には月が浮かんでいるに違いない。
このままソファに身を委ねて、目を瞑って、もう数分でも経ってしまえば……。
私はなんとなく、夢の入り口に立ち始めているような心地でいた。
いた、んだけど……
「静かに……してるんだぞ……」
え?
ガサゴソと小さな物音が聞こえる。
無論、リフジーさんの方から聞こえていた。
「…………」
お隣で寝ているはずのリフジーさんが、ゆっくりと身体を起こす。
薄暗い部屋の中で、もぞもぞと動いている。夜の暗さ、私が眼鏡を外していたこともあって、その輪郭はぼやけて見えていた。
けれど、その人影の手にはしっかりと鳥カゴのようなものが掴まれていて。
立ち上がったリフジーさんは、私達の部屋から静かに出ていってしまった。
「…………」
あ、そうだ。
ちょうど、トイレに行きたいと思ってたんだ私。(※すっとぼけ)
そうだよそうだよ。なんか寝付けないなぁ~とか思ってたんだけど、今はっきりとしたね。
このソファから起き上がる理由が、というかこの部屋から出なきゃいけない理由があったんだ。
うん。これは仕方ない。
今何時くらいなんだろう。
とか考えながら部屋を出てみると、台所脇の勝手口がわずかに開いている。
その開いた隙間から外の明るさが差し込んできているのは、単に鍵の閉め忘れや、よそ者の侵入を意味しているわけじゃない。
暗さに慣れた目で壁を伝いながら、そろりそろりと勝手口の方へ近づく。
その出口の向こうに誰がいるのか、私はもう答えを持っていて。
「…………」
ごくり。
妙な緊張感に思わず生唾を飲む。
これまで見たことがなかったリフジーさんの一面を、垣間見ることができるかもしれない。
けど、本当に見ちゃっていいの……?
私の目を忍んでわざわざ夜に抜け出したその気遣いは……。
ううん。違う違う。
これは偶発的なものだ。たまたまだよエスト・ザラック。
本当にたまたま、トイレに立ったら勝手口の隙間に気が付いて、何の気なしに近付いてるだけ。
いいから、そっとドアノブを握って。
お願いだから、少しだけ。
――――私は勝手口の外をこっそりと覗いたのだった。
勝手口から少し離れた所で、リフジーさんとザラヤマドリは向き合い、立っていた。
月光に照らされる草原とリフジーさん達は、どこか儚くて抒情的に映る。
さっきまで手にしていた鳥カゴはすでに開けられていて、彼の足もとに置いてある。
「ほら、もうお前は自由だ。だから、早く逃げるんだ」
「…………?」
リフジーさんは、カゴから出したザラヤマドリに話しかけている。
もちろん、そんな彼の言葉をザラヤマドリは理解できなくて、頭に疑問符を浮かべている。
「お前は元気になったよ。というか、自分でもわかってるんだろ? すごく賢い鳥なんだって、おじいさんが言ってたよ。……だから、もうどこへでも飛んでいけるくらい回復してるんだって、ちゃんとわかってるはずだ」
「……」
「なんだ。どうして逃げないんだ?」
「……」
「逃げろよ! ……このまま朝になったら、もう逃がしてやれないんだぞ⁉」
「……」
ザラヤマドリは、それでもリフジーさんの元を離れないみたいだった。
鳥類らしく、時おり小首を傾げている。
私はなぜか、その光景にものすごく胸が締め付けられてしまった。
なんでかわからない。
これ、どういう気持ち……?
なんで、リフジーさんがザラヤマドリを逃がそうとしてるだけなのに、切なくなってるの……?
「早く逃げないと、痛い目に遭うぞ? 頭が良いんだから、俺の言ってることもわかるよな?」
「……」
静かな草原で一人、リフジーさんは一生懸命だった。
ザラヤマドリが飛んでいってしまいそうな理由を、なんとか必死に作ってるみたいで。
脅かしてみたり、木の実を遠くに投げてみたり。
尽くせる手はほとんど尽くしたのに、それでもザラヤマドリはリフジーさんから離れそうになくて。
「こ、ここまで言って逃げないっていうなら、俺にも考えがあるからな……?」
リフジーさんは肩で息をして、疲れている様子だった。
そして、どこに隠し持っていたのか小さなナイフを取り出し、それをザラヤマドリに向ける。
「逃げないなら、お前を刺すかもしれないぞ?」
「……」
それでも、ザラヤマドリはリフジーさんから離れなかった。
これは私の想像だけど、きっとザラヤマドリは、リフジーさんにありがとうって言いたいんだと思う。彼の温かい行為に、感謝しきれないのだ。
瀕死だった自分を見つけてくれたことも。
時間いっぱいそばにいて、丁寧に看病してくれたことも。
だから、離れないというより、あなたから離れたくありませんって事なんだと思う。
「…………はぁ」
私が覗き見ていたのは、そこまでだった。
私はそれ以上、見ていられなかった。
こっそりなんて……見ちゃいけないやつだよ、こんなの。
最後まで見ていたら私自身の気持ちが持たないと思った。
「部屋に戻ろ……」
小さく呟いて、私は足音を立てないよう部屋へと帰ることにした。
二人(一人と一匹?)の結末は気になるけど、もはや私の方が泣いちゃいそうだし……。
明日の朝、私はリフジーさんに、普通におはようって言えるんだろうか……?
私は、そっちの方が心配かもしれない。
◇
私が次に瞼を上げた時には、もうすっかり朝になってしまっていた。
「ん……」
ぼやけた視界。まどろむ思考。
長いようで短い夜は明けたのだ。
灯りも点けていないのに、部屋の中は朝日で十分に明るかった。
枕元に手を伸ばして、指先の感覚だけで「この辺に置いたはず」と、そこにあるべき丸眼鏡を探す。
その眼鏡をゆっくりと掛けて、部屋を見渡すと、もうそこにリフジーさんの姿はなかった。
え……?
もしかして、あれからずっと戻ってきてない……?
「鳥カゴもないし…………」
部屋に一人ぽつんと取り残されたような感覚を覚えた私は、少し急ぎ足で部屋を出る。
出た先のリビングには、カナーナとママさんの二人が卓に着いていて。
「あら? おはよう、エストさん♪」
「おはよう~~」
「……おはようございます」
二人とも、素朴だけど美味しそうなパンを食べている。
横にはグラスに注いだ牛乳と、湯気の立っているトマトチーズ煮込み。
起き抜けに相応しい朝食で、私のお腹の虫も騒ぎそうな匂い。
「ねぇ、エストさんって、レーズン食べれる?」
「え? ……ええ。大丈夫だけど」
「なら私のパン、ちょっと食べない……?」
カナーナのそんな申し出があった直後。
「こら、カナーナ! 好き嫌いしてないで、ちゃんと食べなさい?」
「だってぇ~」
ママさんがぴしゃりと一喝。
よくよく見てみると、カナーナの手にしていたライ麦パンにはレーズンが埋まっている。
どうもそれが、彼女のぶう垂れている理由らしい。
なんか、朝から穏やかだなぁ……。
昨日の夜中に見た光景が嘘みたいに――――あっ。
「あ、あの! そういえばリフジーさん、どこにいますか⁉」
私は慌てて質問する。
カナーナ親子の朝食風景に心を奪われかけていたけれど。
「リフジーさんだったら、もう朝ごはんも食べ終わって、外でお散歩するって言ってたわよ?」
「ありがとうございます」
ママさんに頭を下げ、私はいそいそと表へ出る。
家の外は、とてもひんやりとした冷たい外気に満ち満ちていた。
あの日中の暑さが嘘のようだ。
「リフジーさん……」
もう、どこへ行ったんだろう。
家の玄関先にも彼はいない。
私は家の外周を歩き、探して回ることにした。
少し歩いて家の裏手に行き着くと、ようやくリフジーさんをそこに見つける。
そこは昨夜、リフジーさんがザラヤマドリを放していた場所。木々の開けている小さな草原だった。
「おはようございます。ここに居たんですね」
「ん? ああ、エストか」
リフジーさんは私に背中を向けていて、遠くを眺めていたようで。
そんな彼の隣には、空っぽの鳥カゴが置かれていた。
「それ……ザラヤマドリはどうしたんですか⁉」
白々しくも私は訊いた。
鳥カゴの中が空であることを、たった今知りました。驚きました。みたいな調子で。
「逃げられてしまったみたいだ。……あの子は、とても賢かったってことだな」
「…………」
リフジーさんは落ち着き払った声でそう口にする。
残念そうというより、ある種の納得みたいな気持ちが、そこに含まれていた。
「そうですか……。じゃあ、羽根も……ダメでしたか」
「いや。羽根なら、落としていったみたいだ」
「え……?」
リフジーさんは振り返りながら、その手にザラヤマドリの羽根を掴んでいた。
一本。
とても綺麗なその銀の色に、私は目を奪われる。
それには底知れない深みがあって、角度によっては灰色にも白色にも映る。
「……賢い上に優しいよな。俺達の状況とか、そんなのも全部見透かしてたんじゃないかって、今になって思うんだ」
「……賢くて、優しい……ですね」
私は同じ言葉を繰り返した。
でもそれは、リフジーさんが優しいからじゃん。とも私は思った。
あなたはずっと優しい。
誰も見ていないところで、飾らない善意を持って。
おそらくザラヤマドリは、飛び立つ間際になってリフジーさんに羽根を落としていったんだと思う。
想いを伝えるために落とされた、その一本の羽根だけが、リフジーさんを肯定していた。
「エスト。……そろそろルードン街に帰るとしようか」
「……そうですね」
リフジーさんはむくっと腰を上げ、伸びをする。それから大きく深呼吸。
美味しそうに吐き出す大自然の空気。
横で、つい私も真似してみたくなる。これは……なんか、土の匂い?
「ここって、良い村だよな」
「はい。私も、そう思います」
山の木々に囲まれたこの辺境の村を、私とリフジーさんはしみじみと振り返る。
どういうわけかこの時、私はこの勇者の補佐官で良かったのかもしれない。なんて、都合の良い感想を持ち出してしまうのだった。




