三日目・朝
その馬車は、朝靄を裂くように屋敷の門前へ乗りつけた。
「来たようだな」
アウルスが銀白色の杖を振ると、翡翠色の膜の一部が開いていく。
御者台から降り立った人影は、荷物を両手に提げたまま、屋敷の敷地に足を踏み入れた。
「ごきげんよう、お嬢様」
「おはよう、アンシラ」
今日のアンシラは、ロクィアが見慣れているお仕着せのメイド服ではなく、身軽でカジュアルな装いだった。
肩で切り揃えた明るい茶色の髪、年齢よりも大人っぽく見られることを嫌ってかけている銀縁の眼鏡。
その姿を見て、ロクィアはどこか安心する気持ちが湧き上がっていくことを感じた。
「三日と半日ぶりでございます。お変わりないようで何よりです——と申し上げたいところですが」
眼鏡の奥の目が、すっとロクィアの全身を検分した。
「お顔の色が優れません。昨夜はよくお休みになったのですか?」
「いきなり何よ、ちゃんと寝たわ」
アンシラは、その場に荷物を置くと、寝癖がついたままのロクィアの髪を撫で、服装の乱れを直していく。
「お食事はとられていますか? 今朝は何をお食べに?」
「ちょ、ちょっと、アンシラ。やめてってば」
アンシラは深々と溜め息をつくと、その視線を隣に立つアウルスに向けた。
「アウルス様からの便りには、詳しいことは書かれておりませんでしたが、着いてみればこの有様。わたくしが参るのがあと二日遅ければ、お嬢様は干からびていたに違いありません」
「大袈裟よ」
「いいえ、大袈裟なものですか。そうですわよね、アウルス様」
「まあ、まあ、アンシラ。ひとまずは屋敷の中に。話はそれからだ」
ロクィアは口をへの字に曲げて、それでも荷物のひとつに手を伸ばしたが、アンシラはそれを、すっと取り上げて渡さなかった。
「荷物などわたくしが。さあ、参りましょう」
* * *
「——以上が事件のあらましよ」
アウルスの部屋で、ロクィアは手帳を広げながら、アンシラに向けて、この屋敷で起きた事件と、ここまでの調査の経緯を説明していた。
「ありがとうございます、お嬢様」
ロクィアの説明を、背筋を正した姿勢で聞いていたアンシラは、お辞儀をしてから立ち上がった。
持参したカップを並べ、蒸らしておいた紅茶を注いでいく。
「フォルティス様の噂はわたくしも存じております。無敵の防御魔法がありながら、死因は初歩的な魔法。測定された残留魔法濃度からも、そのことは確か、と」
「うむ。儂も立ち会ったが、間違いはない。——ほう、うまい茶だな」
「ロクィア様のお気に入りでございます。毎年南方から取り寄せている逸品で、特にこの時期の茶葉は……」
「アンシラ、お茶の説明はいいから」
アンシラはロクィアに紅茶を飲ませるために、茶葉と茶器一式を持参していた。
やけに荷物が多いとは思っていたが、他に一体何が入っているのか。
「わたくしとしたことが、失礼しました」
「死因についてだけど、精神干渉の線もなさそう。知ってると思うけど、精神干渉に晒された魂は、はっきりとその痕跡を残す。そもそも、魔法障壁がありながら、魔法をかけること自体が不可能だけど、一応確認済み」
精神操作の可能性については、昨日、ケレリクトルがその可能性を持ち出し、その場で否定されている。
「さすがでございます、お嬢様。当たり前と思っていても、しっかりと確認する。捜査官の鑑でございます」
お気に入りの紅茶が飲めることはありがたいが、アンシラがいると、どうもやりづらい。
「お話の続きですが。——まず、ここにお集まりの皆様は、どのような方々なのですか?」
「おお、そうだったな。ロクィアにもすべてを伝えておらんかったし、ちょうど良い」
アウルスが懐から取り出した巻物には、この世界会議に参加している魔法使いたちの名前が書かれていた。
「まずは、セクンダ。此奴は名の知れた大導師だ。魔法学院で指導経験もあり、多くの魔法を器用に使いこなす」
セクンダは、宴の席でフォルティスの隣に座り、誰に対しても鷹揚な振る舞いをしていた。その後も、議論などが起きると、場をリードしていたのは常に彼だった。
「次にケレリクトルだ。魔法使いの身でありながら、傭兵として戦場を渡り歩いている。実践的な魔法を得意とすると聞いておる」
「テンプスさんは、どういう魔法を使うのですか? インヴィラさんが、月の暦がなんとか、と言ってましたけど」
少しくらい月の暦が良いからと、調子に乗るんじゃないよ——フォルティスの居室で、インヴィラは確かにそう言っていた。
「儂も伝え聞いているだけだが、増幅系の魔法のようだな。その増幅具合が、月の暦に影響されるのだとか」
「インヴィラ様というのは、『辺境の魔女』の?」
「そうだ。インヴィラがなぜ、世界会議の召集に応じたのかわからんがな。アンシラ、お主はインヴィラを知っておるのか」
「面識があるわけではありませんが、『荒れ地』は少々縁がございまして」
辺境、荒れ地、さまざまな呼び名があるが、大陸の西方の端に位置する一角は、過去の魔法大戦の影響で地相が乱れ、人が寄りつかない場所になっている。
インヴィラはその土地に代々住む魔女の家系の生き残りだ。ロクィアも彼女の噂話はいくつか聞いたことがあった。
「あの土地の魔女たちは獣を従えている。目に見えぬ不可視の獣をな」
「彼女はフォルティスさんに何か恨みがあるようだったけど、犯人とは考えづらい。もし彼女だったら、堂々と自分が成し遂げたことを誇りそうなものだ」
インヴィラは人目も憚らずに、フォルティスへの恨み言を並べていた。恨みを果たしたいが、自分の手ではできない。その悔しさは演技とは思えなかった。
「巻物には、もうひと方。オラクラ様、とありますが」
「オラクラは、フォルティスがどこからか見つけてきた少年でな。儂も素性をよく知らん。だが、フォルティスは、今年一番の期待だと言っておった」
ロクィアが観察していた範囲では、オラクラは、宴の最中もそのあとも、ひとりでいることが多かった。彼については、あとでもう少し話を聞いてみたほうがいいかもしれない。
「それで、お嬢様は、どなたが一番怪しいとお考えで?」
その態度は、家庭教師が教え子に、習ったはずの問題を問いただすかのようだ。
ロクィアは、顔の前で両手を交差した。
「今わかっている限りでは、誰もいない。ここにいる魔法使いの中で、今回の犯行を行える人は、誰もいないよ」
アンシラは、その答えに満足げな笑みを浮かべると、空になったロクィアのカップに、温かい紅茶を注いだ。
「こうなっては、あとは、フォルティス様ご自身が、魔法障壁を解いた以外に考えようがございませんね」
「自分で魔法障壁を解いて、心停止の魔法を無抵抗で受けた?」
その可能性は現場を見た時に、ロクィアが真っ先に思いついていたことだが、すぐに捨て去った仮説でもある。
「それじゃあまるで自殺だよ」
「当たり前と思っていても、しっかりと確認することが大事ですよ」
アンシラは、こともなげに言った。




