二日目・夜
夕食の席は、通夜のような静けさのうちに終わった。
魔法使いたちは互いに目も合わせず、皿の下げられる音だけを聞きながら、早々にそれぞれの部屋へと引き上げていく。
その様子を見届けた後、スカーラはリュートを提げ、屋敷の中を歩いていた。
時折足を止めては、リュートをかき鳴らし、短い歌を口ずさむ。
庭園の外れまで来たところで、スカーラは足を止め、夜空を仰いだ。
月明かりの中で目を凝らせば、敷地の際に沿って薄絹のような膜が立ち上がり、屋敷と庭園を丸ごとひとつに包み込んでいるのが見て取れた。
よく見れば、生垣の切れ目に、拳ほどの大きさの翡翠のような石が据えられている。近づいてみると、石の表面には評議会の紋章が刻まれ、内側から鈍い光を宿していた。
同じものが小径の先にも、木立の陰にも、等間隔に並んでいる。
当初の予定では、今夜あたりが潮時のはずだった。
当代最強の魔法使いが殺され、その殺害方法はわからない。疑心に駆られた魔法使いたちが互いを見張り合う、その隙に、そっと荷をまとめて姿を消す。
魔法も使えぬ詩人が、身の危険に恐れをなして逃げ出した——誰もがそう考えて、気にも留めないはずだった。
だが、封鎖はあまりに早く、そして厳重だった。
評議会の監査官が派遣されるという話は、頭に入れていた。それがこれほどの手際で現場を掌握するとまでは、考えが及んでいなかった。
さらには、遺体から術の痕跡を読み解く力を備えた捜査官が同行しているとは——。
しかし、逃げられないのなら、疑われないまま、封鎖の解かれる日まで居座るしかない。
慎重に観察してきたが、お調子者の吟遊詩人に疑惑を向ける者などいなかった。
少々予定が狂いはしたが、なに、問題はない。
スカーラはリュートの弦をひとつ爪弾くと、屋敷へと戻り始めた。
* * *
広間に近づくと、灯りが残っているのが見えた。
中を覗くと、燭台の火はすでに落とされ、暖炉の熾火だけが広間の一角を照らしている。
その火のそばに、小さな影がひとつ、膝を抱えて座り込んでいた。
体に合わないだぶだぶのローブ、確か、オラクラと呼ばれていた少年だ。
ローブの裾を体に引き寄せ、少年はじっと火を見つめている。
そういえば、宴の席でも、この少年はああして広間の隅で膝を抱えていた。フォルティスの骸を前に大人たちが声を荒らげている間も、議論の輪に加わることなく、いつも場の外で身を縮めていた。
ここに招かれた魔法使いは、いずれ劣らぬ実力者揃い。この少年も、あのフォルティスが選んで招いた客ということは、あの臆病そうな体のどこかに、この場に連なるだけの能力を隠し持っているということだ。
スカーラは口元に笑みを作り、無害な吟遊詩人の顔になると、広間に入り、オラクラにそっと声をかける。
「これはこれは、オラクラ様。かような夜更けに、いかがなされました」
少年は弾かれたように顔を上げ、相手が詩人だとわかると、強張った肩を下ろした。
「スカーラさん。すみません、その、眠れなくて」
「そうでございましたか。私も同じでございますよ。なに、あんな恐ろしいことが起きたのです、仕方ありません」
スカーラは暖炉を挟んだ反対側に腰を下ろし、リュートを膝に抱え直した。
「……あの。宴の夜の歌、僕、好きでした。特に船乗りたちの歌が」
「なんと、光栄な。昨夜の宴では、オラクラ様は、一番熱心に私の歌を聴いてくださっていましたね」
少年ははにかんで、それから思い出したように俯いた。
「それにしても、恐ろしいことです。この屋敷の中には、まだフォルティス様を害した者が潜んでいるかと思うと……。おっと、私はあなた様を疑ったりはいたしませんよ」
「……いえ、僕も疑われても仕方ありません」
少年は膝を抱えたまま、小さく首を振った。
疑われても仕方ない——。一見無力そうなこの魔法使いが、どれほどの力を持っているというのか。
「でも、慣れています。……どこに行っても、恐れられ、避けられるので」
「ほう。それはまた、なぜに?」
「僕の目が、気味悪いんだそうです。先のことが視える、僕の目が」
暖炉の薪がひとつ、崩れて爆ぜ、スカーラは思わずそちらを振り返った。先のことが視えるとは、それは予知の魔法ということだろうか。
「実際には、ほんのちょっと先のことだけなんです。しかも、そうなるかもしれないことが、いくつか視えるだけです。そのうちのひとつが当たるかもしれないし、当たらないかもしれない」
スカーラが再びオラクラのほうを振り返ると、少年はローブの膝を握って、俯いていた。
「犯人、捕まるといいのにって、思ってます。僕にもっと力があれば、視えたかもしれないのに」
「オラクラ様のお力は、驚くべきものですよ。——過去の出来事は視えないのですか? 当日何があったか、それが視えれば」
「僕の魔法は未来にしか向きません」
その言葉を聞き、スカーラは内心ほっと息を吐いた。時間を超える魔法と聞いた瞬間は肝を冷やしたが、過去が視えないのなら、問題にはならない。
「あなた様のせいではありません。悪いのは犯人です。どうか、ご自分を責めませんよう」
スカーラは穏やかにそう返して、鳴らないほど小さく、弦に触れた。
それからしばらく、二人は取り留めのない話をした。やがて少年は、おやすみなさいと頭を下げた。
「オラクラ様、ひとつお尋ねしてよろしいですか」
オラクラが頷くのを見て、スカーラは、彼の能力について、もうひとつ確認しておくべきことを尋ねた。
「あなた様の未来視の魔法は、あなた様の目に映る予定のものしかわからないのですか?」
オラクラは、スカーラのその言葉に、きょとんと目を瞬かせた。
踏み込みすぎたか。
わざわざ再び魔法のことに触れるなど、不自然だっただろうか。
「僕の魔法についてそんなに聞いてくれる人は、フォルティス様以外に初めてです」
オラクラはスカーラの焦りを余所に、嬉しそうに答えた。
「いえ、僕の目に映るものだけではなく、僕の周辺で起きるであろうことが視えます」




