一日目・昼
丘をひとつ越えると、なだらかな街道の先に、白い石壁の屋敷が見えてくる。
広大な庭園を擁するその屋敷は、世界最強の魔法使いの住まいでありながら、見張りの塔もなければ、深い堀もない。
正面の門は開かれたままで、そこには番人の姿さえないが、そもそもこの屋敷の主人に、守りの備えなどは不要だった。
この日、屋敷には、世界中から五人の魔法使いが集まっていた。
『世界会議』
それは、この屋敷の主人——当代最強と謳われる大魔法使いフォルティスが、自ら選び抜いた実力者だけを招く、栄誉ある会議。
互いに最新の魔法を披露し合い、親睦を深め、将来の魔法の発展に寄与するという名目だった。
そして、贅を尽くした造りの広間には、招かれた客たちの姿があった。
主催者であるフォルティスは、上座で上機嫌に盃を傾けている。
退役した傭兵と見紛うような、その無骨な風貌は、豪奢なマントを羽織っていなければ、あらゆる魔法を修めた魔法使いには見えない。
そのフォルティスの一番近くの席には、大魔法学院の長のセクンダが座っている。
セクンダは、金の刺繍をあしらった導師のローブに、恰幅のいい体を収めた金髪の男で、豪快に笑いながら盃を重ねていた。
「お前はどうなんだ? テンプスといったか」
「それくらいは、俺にだってたやすい! 先日も——」
話を振られたテンプスは、全身真っ白な法衣に身を包んでいる。
鮮やかな銀髪に、透き通るような碧眼。いかにも好青年然とした外見とはうらはらに、やや粗雑な口調でセクンダの話に応じている。
だが、その視線はしきりにフォルティスのほうに向けられていた。声も身振りも大げさなのは、自分の話を、隣のセクンダではなく、上座に座ったフォルティスに聞かせるためのようだ。
魔法使いの身でありながら、傭兵として各地を渡り歩くケレリクトルは、短衣に長靴という、戦場からそのまま駆けつけたような出で立ちだった。
壁を背に立っていた彼女は、セクンダやテンプスが大声で唾を飛ばしあっている様を見て、小さく鼻を鳴らした。
盃から酒を飲もうとして、すでに空になっていたことに気づく。
酒瓶を求めて周囲を見回したとき、広間の隅で膝を抱えて座り込んでいる少年の姿が目に入った。
ケレリクトルは、酒瓶の近くに置かれていた果物の盛り合わせを皿ごと手に取ると、少年の元に近づいていく。
「食べるといい」
体に合わないだぼついたローブをまとった少年は、差し出された皿を見て、驚いたように顔を上げた。
「少年、名は?」
「オ、オラクラです」
「——ケレリクトルだ。ここは騒がしいな」
それだけいうと、ケレリクトルは再び壁を背にした。
長卓の一番端には、辺境の魔女の異称で知られるインヴィラが座っていた。腰の曲がった小柄な老婆は、宴の席だというのに継ぎの当たった古びた外套を羽織っている。
伸び放題の白髪が顔を覆って、その表情は窺えない。
宴が始まってから一度も口をきかず、酒を注いで回る給仕たちも、彼女の周りだけは避けて通っていた。
それぞれの宴が進む中、リュートの音がひとつ交じった。
視線の集まった広間の入り口に、この場の厳かさには似つかわしくない、派手な儀礼服の男が立っている。
この世界会議には、余興として吟遊詩人を招く慣例があり、この男もまた、フォルティスが各地の評判を聞いて呼び寄せた歌い手だった。
男は広間の中央へ進み出ると、再びリュートをかき鳴らし、芝居がかった礼をしてみせた。
「お歴々のご尊顔を拝し、恐悦至極。歌と与太話を運ぶしがない旅人、スカーラと申します。以後、皆さまの宴のお慰みに」
その道化がかった仕草と、奇妙なイントネーションの喋り方に、フォルティスが大きな笑い声をあげた。
スカーラはおどけた足取りで席を巡り、一人ひとりに握手を求めて回る。
セクンダは盃を片手に気安く応じ、テンプスは鷹揚に手を握らせた。
ケレリクトルは無言のまま力強く握り返し、オラクラはおずおずと小さな手を差し出す。
しかし、インヴィラだけは、差し出された手に、顔も上げなかった。
スカーラが、行き場を失った手を大袈裟に引っ込め、おどけた一礼で場を取りなしていると、広間の入り口に二つの人影が現れた。
そのうちの一方、恰幅のいい白髭の老人がまとうローブの胸元には、杖と天秤をあしらった紋章が縫い取られている。
「これは、これは。世界魔法統括評議会の名士にお会いできるとは、この上ない僥倖でございます」
その特徴的な紋章を見て、スカーラが恭しく頭を下げた。
「遅かったな、アウルス」
その姿に気づいたフォルティスが、席から立ち上がり手を振った。
世界魔法統括評議会、通称『評議会』は、魔法使いたちを統括する組織で、各地に支部を設け、魔法犯罪を取り締まっている。
フォルティスが主催するこの世界会議には、各地から強大な力を持った魔法使いが集まり、一歩間違えば、それこそひとつの国が消滅するような危険がある。
そのため、開催にあわせて評議会から監視役が派遣されることが慣習となっていた。
「世界魔法統括評議会からお越しのアウルス様」
スカーラは、リュートをかき鳴らしながらアウルスの名を呼び上げると、手を差し出して握手を求めた。
「私はスカーラと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「うむ」
アウルスの隣にはもう一人、丈を詰めた飾り気のないローブに、ズボンという出で立ちの人物が立っていた。
「そちらのお坊ちゃんも」
スカーラの言葉を聞くと、その人物は、被っていたフードを勢いよく取り払った。
フードの下から現れたのは、鮮やかな金髪を横で束ねた、ひどく不機嫌そうな顔だった。
「これは儂の姪で、名をロクィアという」
女性にしては華奢な体つきを見て、うかつに「坊ちゃん」と呼んだ失態を悟ったスカーラは、慌てて深々と頭を下げると、再び恭しく手を差し出した。
「このスカーラ、一生の不覚で……。どうぞご容赦を、お嬢さん」
ロクィアは、スカーラの手を取ると、その顔と手を見比べるように交互に見た。
「どうかしましたか? もしかして、魔法で私の首を掻き切ってやろうなどと、物騒なことをお考えで?」
「ふざけた男だな。吟遊詩人というより、道化師のようだ」
慇懃無礼なその態度に、ロクィアはスカーラの手を乱雑に押し返した。
アウルスとロクィアが席に着くと、フォルティスが乾杯の音頭を取り、宴が本格的に始まった。
ロクィアも給仕から差し出された杯を手にして、広間の顔ぶれをぼんやりと眺めていく。
上座では、フォルティスとセクンダが競うように杯を重ね、テンプスがそこへ身を乗り出して、しきりに相槌を打っている。インヴィラは相変わらず長卓の端で、誰とも目を合わせずに座っていた。
「彼も招待客でしょうか?」
「うむ、確かオラクラという名だな」
不安そうに周囲を見回すその様子は、世界中から選ばれた、たった五人の魔法使いのひとりには見えない。
ケレリクトルが、焼き菓子が山盛りになった皿をオラクラに差し出し、何ごとか話しかけると、オラクラは顔を上げ、嬉しそうに菓子に手を伸ばした。
宴が進むと、広間の中央では、スカーラがリュートの伴奏に乗せて歌い出した。
遠い国の恋歌をひとつ、それから船乗りたちの馬鹿騒ぎの歌をひとつ。その独特の抑揚は、歌い終えたあとも不思議な余韻を残した。
フォルティスはその歌声を気に入ったようで、途中からスカーラを自分の席に招くと、直々に盃を授けた。
「身に余る光栄でございます」
スカーラは盃をあおると、頃合いを見て、フォルティスにひとつの提案を持ちかけた。
「なに? 私の英雄譚を?」
「はい。この世のあらゆる魔法を会得した最強の魔法使い——フォルティス様こそ、私が新しく生み出す英雄譚にふさわしいと」
フォルティスは盃を置くと、まんざらでもない顔で顎を撫でた。
「よかろう。今宵、私の部屋へ来い」




