五日目・深夜
扉の鍵が外れる音で、スカーラは目を開けた。
寝台の脇の小卓で、蝋燭が一本だけ燃えている。全身に巻かれた包帯の下で、鈍い痛みが脈を打っていた。
扉が開くと、燭台を手にしたアンシラに続いて、ロクィアが部屋に入ってくる。
「あなたは明日、評議会の巡見隊に引き渡されます。でも、その前に少し話をしたいと思って」
「こんな俺と話をしたいとは、あんたは変わったやつだな、捜査官」
「私はまだ見習いです。それに、名前は知っているでしょう。ロクィアと呼んでもらって構いません」
スカーラは小さく息を吐いた。もはや、名を隠す理由はない。
「——インテンペラだ。スカーラは偽名だ」
「ありがとう、インテンペラさん」
ロクィアが寝台のそばの椅子に腰を下ろすと、アンシラはその半歩後ろに静かに控えた。
「あんたの短縮魔法、あれは自分で習得したのか」
「そうです。私は魔法言語学を研究していて、あの技術はその成果です」
一族が長い年月をかけて受け継いできたものと同じ技を、目の前の小柄な娘は、独りで編み出したのだ。
「魔法の詠唱の改変を、あんたのような若さで。……俺にはもう何も残っていない。知りたいことは話してやろう」
ロクィアは自らを追いつめた相手ではあったが、インテンペラの心の中には、どこか敬意のような感情が生まれていた。
「インテンペラさんの介入詠唱、あれは制御句の間に挟まる接語を入れ替え、術者の意図しない形で魔法を成立させるものですね」
ロクィアが目の前で見た魔法詠唱への介入。
それは、アウルスの拘束魔法を、『その者』から『汝』に書き換え、インヴィラやセクンダの魔法の向き先を変えてみせた。
「そのとおりだ。むろん、ただ言葉を挟むだけではだめだ。世界を騙すための、独自の呼吸法、発声法が必要だ」
「そして、私たちの会話から解除に必要な言葉を拾い、拘束魔法を解いてみせた。戒め、ほどき、いざ、解け。そう、あなたは、会話そのものをひとつの解除詠唱に組み替えた——」
「……そこまでわかったか。あれも介入詠唱の応用だ」
「つまり、フォルティスさんの障壁も同じようにして解除したのですね」
「護りよ、ほどけ、退き、いざ、散り散りに——フォルティスの防御魔法の解除呪文だ」
「あなたは、なぜそれを知っているのですか?」
インテンペラは目を閉じると、包帯の巻かれた指で、目頭をきつく押さえた。
「あの男は、世界中の禁足地や秘術を守る一族をめぐり、その力を自分のものにしてきた。そして、俺の一族も、あいつから秘術を守ろうとして殺された」
インテンペラの語る内容に、ロクィアとアンシラは思わず顔を見合わせた。
「まさか、それがフォルティスさんの防御魔法なのですか」
「正確には、その元となる言葉そのものだがな。だが、それを知っていれば、解除呪文は推測できる。俺の一族はそうした古き言葉を守っていたんだ」
ロクィアは天井を見上げると、こめかみに指を当てた。
「……叔父上がなぜ長年『世界会議』に参加しようとしていたのか。なぜ私も連れてきたか。それは、極秘裏にフォルティスを探るためだった?」
もしインテンペラの話が本当ならば、世界の魔法犯罪を管理する評議会として、見逃せぬ行為のはずだ。
「ふん、長年やつを放置してきた評議会が、今さらだな」
「そうかもしれませんが、今からできることもあるはずです」
ロクィアは振り返ると、アンシラと頷きあった。
「もうひとつ、聞かせてください。オラクラさんの件を」
「オラクラの魔法は未来視だった。あの少年は、その魔法で視たのさ。……魔法が乗っ取られ、自分に襲いかかる光景を」
「それで、口を封じたのですか」
「……俺は自分が正しいことをやったと思い込んでいた。だが、結局、自分のしたことがばれることを恐れていた」
インテンペラは、あの夜、オラクラに魔法を放った自分の手に目を落とした。
「オラクラさんとアンシラを襲ったのは、あなたにとって予定外のことだったのですね」
「——俺からも聞きたいことがある」
インテンペラの目は、ロクィアの後ろにいるアンシラに向けられていた。
「そっちのあんた。あんたの魔法は一体どうなってるんだ。そもそもあれは魔法なのか」
「アンシラ、別に答える必要はないよ——」
「やはり、あれは魔法なのか。……しかし、制御句も接語もないまま、魔法名だけで成立するなどあり得ない」
「いいえ、唱えておりますとも。——ただし、ここではない場所で」
「……ここではない場所?」
「わたくしには、この世界と並行して存在する別世界が見えるのです。そこで詠唱を行い、最後に魔法名だけをこちらで結んでいるのです。」
「あんた、いったい何者なんだ」
「わたくしはロクィア様のメイドでございます。少々お転婆なお嬢様のお世話をしております」
「ちょっと、アンシラ!」
ロクィアとアンシラの姿を見て、インテンペラは深く息を吐いた。
「……詠唱の省略に、別世界での詠唱。俺とは相性が最悪だったな。あんたたちが相手では、俺に勝ち目はなかった」
「もし、あなたがアンシラを襲わなかったら、きっと私もお手上げでしたよ」
ロクィアは部屋を出る時に、もう一度インテンペラを振り返った。
「——あなたの処遇についてどうなるかは分かりませんが、少なくとも、私は私がやるべきことをします」




