五日目・宵
「——ごきげんよう」
アンシラのその言葉とともに、どこからともなく琥珀色の光線が降り注いだ。
「我を守れ、害を阻め——防御!」
咄嗟に張った光の膜が悲鳴のような音を立てて軋み、光線を受け止めたまま砕け散る。衝撃に薙ぎ倒され、スカーラは地面に這った。
あの夜受けたものと同じ、詠唱のない一撃だったが、今度は耐えられた。理由は分からないが、あのときほどの威力が出ていない。
この機を逃す手はないと、痛む体を無理やり起こしたスカーラの耳に、再び詠唱が届いた。
立ち上がったロクィアが、菫色の宝石を握った手をスカーラに向けている。
いかに強力な評議会の権能魔法と言えど、構造を知っていれば対処はできる。今度はロクィアを拘束してやれば、やっかいなメイドはうかつに動くことができなくなるはず。
「命ず。留め置かれよ——」
「——否」
スカーラの口から、反射的に言葉が紡ぎ出されたが、その言葉はどこにも繋がることはなかった。
「——拘束」
淡い光がスカーラの全身に巻きつき、体が固く縛り上げられていく。
「これはいったい、どういうことだ……」
ロクィアの詠唱は、制御句も接語も欠けている。なのに魔法が成立した。
「まさか、私と同じ発想をする魔法使いがいたとは驚きました」
混乱したまま地面に転がったスカーラに、菫色の宝石を握りしめたままのロクィアが近づいた。
「短縮詠唱——私はそう呼んでいます。制御句と接語の組み合わせを一部変えて、それっぽく世界に聞かせる技術。まあ、本来の詠唱に比べると、威力は格段に落ちますが」
「……まさか、そんなことが可能だとは」
スカーラは、縛られた姿勢のまま、笑ってみせたが、頬が地面について、うまく笑えているかどうか、自分でもわからなかった。
「最初から、これが狙いだったのか」
スカーラの口調からは、もはや臆病でお調子者の吟遊詩人の面影はなかった。
「一か八かでしたけど。もしあなたが無実だったら、アンシラが防御する手筈になってました」
ロクィアの後ろでは、拾い上げた眼鏡をかけなおしたアンシラが、額から流れる血をそのままに、いつものように静かに佇んでいる。
「いつからだ……いつから俺を怪しんでいたんだ」
ロクィアは地面に膝を折り、スカーラと目の高さを合わせた。
「最初からです。宴の席であなたと挨拶した時、おかしいなと思っていました」
宴の席で、スカーラは、ロクィアを男だと勘違いし、そしてあらためて挨拶をした。
どうぞご容赦を、お嬢さん、と言いながら、スカーラはその手をロクィアに差し出した。
「吟遊詩人を生業にしているにしては、スカーラさん、あなたの手は綺麗すぎました。リュートを弾きながら渡り歩く人の手ではなかった」
声を変え、道化の仮面を繕っても、積み上げられた時間によって作られるものまでは真似できなかった。
「それに、ケレリクトルさんがオラクラさんを害すなんて、とてもじゃないけど考えられません」
ロクィアが振り向いた先では、ケレリクトルがぐったりしているインヴィラの元へ駆けつけている。
「戒め、ほどき、いざ、解け」
セクンダの手を借りて身を起こしたアウルスも、解除の呪文を唱えてようやく自らの呪縛から解放されていた。
「ケレリクトルさんは、不器用ながらも、宴で孤立していたオラクラさんに気を遣っていた。その彼女の姿を、私は見ていました」
「ふふ……あはははは! これは参った、俺はそんなことで負けたのか」
「あなたには、聞きたいことが山ほどあります。本来の呪文よりは弱いとはいえ、その戒めは解けません」
「——ほどきたいとは言わん」
「フォルティスさんの障壁による護りを、どうやって解いたのか。オラクラさんを、なぜ殺したのか。いざとなれば、評議会の権能魔法による調査で、すべては明るみに出ます」
「——解けば話してやっても良いがな……」
往生際の悪いスカーラの態度に、ロクィアがため息をつくと、自由になったアウルスが、声をかけながらこちらへやってきた。
「アンシラ、ロクィア、よくやったぞ」
その声にロクィアが振り返った、その時、スカーラの体に巻きついた光の拘束が、音もなくほどけた。
ロクィアが再び向き直った時には、スカーラはすでに地面を蹴り、両手を前に突き出していた。
「俺の介入詠唱を、甘くみるなよ」
しかし、スカーラが魔法を唱えるより早く、銀縁の眼鏡に手を当てたアンシラが口を開いた。
「——ごきげんよう」
あの眼鏡があいつの魔法触媒か——。
先ほどとは桁違いの琥珀色の光線に薙ぎ払われ、スカーラの意識は遠のいていった。




