六日目・朝
朝靄の晴れきらぬうちから、屋敷の門前には、評議会の紋章を掲げた馬車の列が乗りつけていた。
降り立った巡見隊の魔法使いたちが、手分けして屋敷の封鎖を引き継ぎ、庭園のあちこちで、新しい詠唱の声が上がっている。
ロクィアは玄関前の石段に立って、その様子を眺めていた。
しばらくして、両脇を隊員に固められたインテンペラが、玄関から連れ出されてくる。
全身には光の拘束が幾重にも巻きつき、派手な儀礼服もリュートもないその姿は、どこにでもいる、ただの旅の男のようにしか見えなかった。
馬車の前では、アウルスが銀白色の杖を手に待っていた。
「フォルティスの件は、我々評議会が動かなければならなかった。インテンペラの罪は消えないが、儂のできる限りのことはしよう」
その言葉に、ロクィアは、昨夜ぶつけた思いを、叔父がしっかりと受け止めてくれたのだと感じる。
インテンペラは何も答えなかったが、馬車に乗り込む間際、ロクィアへ一度だけ視線を寄越し、それきり、幌の中へと姿を消した。
やがて、アウルスを乗せた馬車を先頭に、巡見隊の列は、朝の街道を遠ざかっていく。
* * *
車寄せに残った馬車の前では、セクンダが御者に荷を積ませているところだった。その傍らには白ずくめのテンプスが、胸元に片手を添えて立っている。
見送りに出たロクィアに気づくと、セクンダは丸い目を細めた。
「お前の立ち回りはなかなかに見事だった。ロクィアといったな、名を覚えておこう」
セクンダに名を覚えてもらったところで、得になりそうなことは思いつかなかったが、ロクィアは素直に頭を下げることにした。
「恐縮です」
隣に立つテンプスは、痛々しい包帯姿のままだった。インヴィラの見えざる獣に襲われた傷は、まだ完全には癒えておらず、街までセクンダが同行することになっている。
テンプスはロクィアと目が合うと、ゆっくりと腰を折った。
「……ご迷惑をおかけしました」
その声は絞り出すように細く、伏せられた視線は落ち着きなく足元をさまよっている。
「すでに月相が弱まっているだろう。こいつの満ちては欠ける月の相は魔法だが、常にその精神に影響を及ぼしているのだな」
セクンダが太い眉を上げて笑い、テンプスの背を、ぞんざいに馬車へと押しやった。
「お大事にしてください、テンプスさん」
振り返ったテンプスが浅く会釈を返し、白い装束が、幌の奥へと消えていく。
入れ替わるように近づいてきた蹄の音に、振り向くと、旅装のケレリクトルが、片手を上げていた。
「インヴィラ殿は、ひと足先に発たれた。怪我は、思ったよりも軽かったようだ」
「そうでしたか。よかった……」
「貴殿には世話になった。自分はオラクラ殿の骨を、故郷に返しに行くつもりだ」
「場所はわかったのですか?」
「アウルス殿が調べてくれた。なに、その場所は、ちょうど自分の次の戦場に近かったからな、ついでだ」
鞍の後ろには、白い布に包まれた小さな箱が、丁寧に括りつけられている。
「ケレリクトルさん、ひとつお願いがあります」
「自分にできることなら」
「——あなたの魔法、通常の詠唱のあとは、制御句のみで魔法を実行していましたよね。いつか、私の研究対象にさせてもらえないでしょうか」
ケレリクトルは目をわずかに見開き、それから、口の端を緩めた。
「喜んで協力させてもらおう。生きていればいつかまた会える」
鈍色の手甲が、軽く胸元に当てられる。それが彼女なりの別れの礼だと気づいたときには、馬首はもう街道へと向けられていた。
* * *
最後に残った馬車に、ロクィアとアンシラが乗り込むと、車体がゆっくりと揺れはじめる。
「お疲れ様でした、お嬢様」
「もうこんなこと、二度とごめんよ」
ロクィアは座面に深く腰掛けると、ここ数日溜まった鬱憤を晴らすかのように、大きく息を吐いた。
「お嬢様がいなければ、この事件は解決できませんでした。あの時も今回も、とてもご立派でした」
向かいの席で背筋を伸ばしたアンシラに、ロクィアは口をへの字に曲げたまま、窓の外へ目をやっている。
「いかがなさいましたか、お嬢様」
「……また、アンシラを危険な目にあわせたわ。あなたは評議会の職員でもないのに」
「お嬢様にこの身を案じていただけるなど、光栄でございます」
返す言葉の代わりに、ロクィアは席を移り、アンシラに抱きつくと、顔を見られないように、その胸に顔を埋めた。
「……いつもありがとう、アンシー。ふふ、やっぱりこっちの呼び方のほうが落ち着くわ」
「とんでもございません。わたくしは、常にお嬢様のおそばにおります」
ロクィアはしばらくの間、アンシラが髪を梳く手に身を委ねていたが、ふいにパッと顔を上げた。
「それにしても、今回も叔父上にだまされた! 私は早く帰って、研究の続きをしなくちゃいけないのに」
「それでも、今回はお嬢様の研究に役立つこともあったのでは? フィールドワークと思ってはいかがでしょう」
「なんだか癪だけど、そう思って切り替えることにするわ」
ロクィアは馬車の窓から、遠ざかっていく白い屋敷を見た。
「魔法はすべて言葉でできている——」




