第九話 「信用処刑人」
北海中央市場は、
奇跡的に崩壊を免れた。
停止寸前だった市場契約は再接続され、
暴落していた連邦通貨も下げ止まる。
海運保証術式復旧。
国家間物流再開。
世界経済は、
辛うじて生き延びた。
だが。
地下秘密清算区画では、
別の意味で全てが終わっていた。
信用解放戦線執行官。
名をアベル・クロウ。
かつて帝国監査局第一級監査官だった男は、
膝をついたまま動けない。
周囲を覆っていた契約光は、
完全に消滅している。
信用剥奪。
それは単なる資産凍結ではない。
国家認証停止。
市場接続拒否。
保険資格消失。
契約権限剥奪。
社会そのものから切り離される、
絶対処刑だった。
「……終わりだ」
アベルが掠れた声で呟く。
「俺はもう、
どこの市場にも入れない」
レオンは黙っていた。
監査結果は絶対。
一度信用処刑を受ければ、
通常社会への復帰は不可能。
だから世界は恐れる。
監査官を。
特に、
アルヴェインを。
セリスが静かに前へ出る。
「対象アベル・クロウ」
「国家信用法違反、
金融崩壊誘導、
反国家契約罪により拘束」
黒衣の監査官達が現れる。
拘束術式。
契約封鎖鎖。
アベルは抵抗しない。
いや、
できない。
信用を失った者は、
魔法すら満足に使えない。
アベルは最後にレオンを見る。
「……お前は、
本当にそれでいいのか」
レオンは答えない。
アベルは笑った。
諦めたような笑みだった。
「いずれ分かる」
「監査局もまた、
世界を支配している側だ」
監査官達が男を連行していく。
重い沈黙が残った。
ルークが小さく息を吐く。
「終わったな……」
「いえ」
セリスが即座に否定する。
「これは始まりです」
その視線はレオンへ向いていた。
「信用解放戦線が、
アルヴェインの存在を認識しました」
「今後、
確実に狙われます」
レオンは静かに崩壊した契約陣を見る。
アベルの言葉。
頭に残っている。
『監査局もまた、
世界を支配している側だ』
否定できない。
監査局は絶対権力だ。
国家すら裁定できる。
それは支配と紙一重。
その時だった。
地下空間へ警報が鳴り響く。
《市場信用率正常化》
《国家破綻危機を解除》
同時に、
北海連邦全域へ緊急速報が流れる。
《第二中央銀行監査完了》
《帝国監査局による市場安定化を確認》
市場が歓声に包まれる。
地上では、
人々が生還を喜んでいた。
国家は救われた。
だが。
レオンには別のものが視えていた。
市場深層部。
崩壊した契約群のさらに奥。
消えかけた、
一つの黒い契約紋章。
鴉。
まだ残っている。
(逃げたか)
黒幕はアベルではない。
もっと上がいる。
もっと巨大な存在が。
セリスがレオンへ歩み寄る。
「中央へ帰還します」
「総監が報告を要求しています」
レオンは黙って頷いた。
だが、
その時。
ルークの端末が激しく警告音を鳴らす。
「……え?」
彼の顔色が変わる。
「どうした」
セリスが問う。
ルークは震える声で答えた。
「帝国中央市場です」
空中投影が展開される。
そこに映っていたのは、
帝国本土。
そして。
巨大な赤色警告。
《中央信用庁舎襲撃》
《国家信用保管庫侵入》
《最重要監査記録盗難》
室内が凍りついた。
セリスの目が細まる。
「……何を盗まれた」
ルークが無言で表示を拡大する。
そこに記されていた記録名を見た瞬間、
レオンの呼吸が止まった。
《アルヴェイン監査家抹消記録》
盗まれていた。




