第三話 「帝国監査局」
帝国監査局所属飛行艦。
全長三百メートル級。
黒鉄色の装甲外殻には、
無数の契約封印術式が刻まれている。
通常国家では建造すら許可されない、
戦略監査艦。
その内部は異様なほど静かだった。
軍艦ではない。
だが、
兵士達よりも恐ろしい者達が乗っている。
監査官。
国家を崩壊させる者達。
レオンは窓際の席に座り、
眼下の海を見下ろしていた。
ベルクハイム港は既に遠い。
黒煙だけが、
地平線の彼方に残っている。
「初めてですか?」
向かい側から声がした。
若い男の監査官だった。
栗色の髪。
細い眼鏡。
書類束を抱えている。
「監査艦に乗るのは」
「……はい」
男は軽く笑った。
「慣れますよ」
「皆、最初は吐きます」
「?」
「国家崩壊の現場を見続けると」
レオンは黙った。
男は気にせず続ける。
「僕はルーク。
第零課情報監査官です」
「レオンです」
「知ってます」
即答だった。
「今、第零課で一番有名ですよ」
「アルヴェインの生き残り」
周囲の監査官達も、
さりげなくレオンを見ている。
その視線には、
好奇心と警戒が混ざっていた。
アルヴェイン監査家。
その名は、
帝国内では半ば伝説だ。
かつて、
七大財閥すら監査対象にした家門。
結果として、
帝国史上最大規模の金融崩壊を引き起こした。
そして、
消えた。
公的記録では、
四十年前の黒月恐慌で滅亡したことになっている。
「……本当に知らなかったんですか?」
ルークが小声で聞く。
「自分の力を」
「断片的には」
レオンは答えた。
「幼い頃に父から少しだけ」
「なるほど」
ルークは納得したように頷く。
「じゃあ“信用視”も無意識発動ですね」
「信用視?」
「アルヴェイン特有能力です」
ルークは書類を開く。
「契約構造視認能力」
「資金流動解析」
「粉飾看破」
「国家信用観測」
「……全部規格外です」
最後だけ少し笑った。
「正直、
上層部は騒ぎになってます」
「なぜです?」
「君が存在してるからですよ」
その時だった。
艦内全域に低い警報音が響く。
《中央監査塔接近》
《身分認証を開始します》
窓の外。
雲の向こうに、
巨大な塔が現れた。
レオンは言葉を失う。
都市だった。
いや、
都市そのものが塔になっている。
超巨大円柱構造物。
空へ伸びる黒銀色の建築群。
外壁には、
無数の契約光が流れている。
帝国監査局中央監査塔。
帝国の全契約、
全信用、
全国家監査情報を管理する場所。
世界の金融中枢。
「……凄いな」
レオンが呟く。
ルークは苦笑した。
「皆そう言います」
「そして皆、
二度目からは“怖い”と言う」
飛行艦が塔内部格納口へ進入する。
重い振動。
同時に、
レオンの頭へ膨大な情報が流れ込んだ。
契約。
信用。
魔力。
国家。
この塔そのものが、
超巨大監査術式で構成されている。
都市一つが魔法陣だ。
(これが帝国監査局……)
常軌を逸している。
こんなものが存在するなら、
国家すら逆らえない。
飛行艦が停止する。
ハッチが開いた。
「降りてください」
セリスだった。
相変わらず感情が見えない。
レオンは立ち上がる。
だが通路へ出た瞬間、
周囲の空気が変わった。
監査官達が道を開けている。
まるで危険物を見るように。
その理由はすぐ分かった。
通路先に、
一人の老人が立っていた。
白髪。
黒衣。
胸元には黄金監査印。
周囲の監査官全員が頭を下げている。
「総監……」
ルークが小さく呟いた。
帝国監査局総監。
ヴァルディス・クロイツ。
帝国全監査官の頂点。
国家元首すら査察可能な、
世界最高権限保有者。
その男が、
レオンだけを見ていた。
鋭い灰色の瞳。
まるで、
魂を査定されているようだった。
やがて老人は口を開く。
「……似ているな」
低い声。
「誰に、ですか」
「お前の父にだ」
レオンの表情が止まる。
「父を知っているんですか」
「知っているとも」
ヴァルディスは静かに歩み寄る。
「最後のアルヴェイン監査官」
「ユリウス・アルヴェイン」
その名を聞いた瞬間、
胸の奥が痛んだ。
幼い頃に消えた父。
真実を知らないまま、
死んだと思っていた存在。
「……父は、
なぜ死んだんですか」
沈黙。
周囲の監査官達が息を呑む。
ヴァルディスはしばらく黙り込み、
やがて静かに答えた。
「殺された」
空気が凍った。
「帝国に、だ」
レオンの瞳が揺れる。
ヴァルディスは続ける。
「アルヴェイン監査家は、
国家を監査し過ぎた」
「だから消された」
静かな声だった。
だが、
その言葉は重かった。
レオンの脳裏に、
崩壊する港の光景が浮かぶ。
信用崩壊。
国家停止。
監査とは、
世界そのものを壊せる力だ。
「……なぜ今、
俺をここへ?」
ヴァルディスは答える。
「簡単だ」
老人の目が細まる。
「帝国が再び腐り始めた」
「そして、
我々だけでは止められない」
その瞬間。
監査塔全域へ、
巨大警報が鳴り響いた。
《緊急信用崩壊警報》
《北海連邦第二中央銀行》
《信用率急落》
《破綻予測まで残り八時間》
監査官達が一斉に動き出す。
ルークが青ざめた。
「まさか……
連邦中央銀行が?」
ヴァルディスは静かに言う。
「レオン」
「最初の任務だ」
老人の瞳が、
真っ直ぐ彼を見据える。
「国家を一つ、
監査してこい」




