第二話 「第零課」
ベルクハイム港は、
半日で死んだ。
港湾上空を覆っていた契約光が崩壊し、
物流認証術式が停止。
積荷管理魔法は沈黙し、
港湾保険は失効。
魔導輸送船は次々と出港を拒否され、
市場では通貨価値が急落していた。
暴動は既に始まっている。
「港湾信用率、三十二%まで低下!」
「駄目です!
中央銀行が保証停止を宣言しました!」
「保険組合が逃げたぞ!」
怒号が飛び交う。
ベルクハイム中央広場では、
群衆が銀行へ押し寄せていた。
世界において、
信用の崩壊は即ち死だ。
金が紙切れになり、
契約が消え、
魔法すら使えなくなる。
だから人々は恐れる。
監査を。
「化け物だ……」
港湾組合管理官ガルムは、
崩れ落ちるように呟いた。
目の前では、
武装PMC部隊が混乱している。
「契約銃が作動しない!」
「軍事供給術式が停止した!」
「魔導弾倉が死んでる!」
レオンは静かに彼らを見つめていた。
視界には、
無数の契約線が視えている。
港を覆っていた違法契約網。
その全てが、
赤黒く崩壊していた。
不正契約。
粉飾保証。
偽装保険。
違法軍需取引。
監査によって、
全ての信用が切断されたのだ。
その時だった。
港の外から、
重低音が響いた。
空気が震える。
港湾上空へ、
三隻の黒色飛行艦が姿を現した。
艦首に刻まれた紋章。
秤と鎖。
レオンの瞳が細まる。
(監査局……)
飛行艦側面には、
銀文字で記されていた。
《帝国監査局》
港にいた全員の顔色が変わる。
「ま、待て……」
「中央が来たのか……!?」
「嘘だろ……」
監査局。
帝国最大の恐怖機関。
国家すら査察対象にする、
絶対監査組織。
その中でも、
最も危険だと噂される部隊が存在した。
第零課。
通称――
“信用処刑執行部”。
飛行艦の腹部が開く。
降下術式。
黒衣の集団が、
静かに港へ降り立った。
全員が黒い監査外套を纏っている。
胸元には銀の監査印。
空気が変わった。
誰も声を出せない。
先頭にいた女が、
ゆっくり前へ出る。
銀髪。
切れ長の瞳。
機械のように冷たい表情。
年齢は二十代半ばほど。
だが、
周囲が怯えている。
「……査察官セリス」
誰かが震える声で呟いた。
セリス。
第零課直属監査官。
七つの国家を崩壊させた女。
その本人だった。
セリスは周囲を一瞥し、
最後にレオンを見る。
「確認する」
感情のない声。
「港湾監査術式を起動したのは貴方ですね?」
レオンは頷いた。
「はい」
「所属は?」
「港湾組合会計補助員です」
周囲がざわめく。
あり得ない。
監査術式は国家級魔法だ。
ただの会計士が扱えるはずがない。
セリスは無言でレオンを見つめていた。
やがて、
静かに口を開く。
「監査印を見せてください」
レオンは机上の古びた印章を差し出した。
その瞬間。
セリスの表情が、
初めて変わる。
わずかに。
本当にわずかにだけ、
目を見開いた。
「……アルヴェイン印」
周囲の監査官達が息を呑む。
「馬鹿な」
「抹消済み家門だぞ」
「生き残り……?」
ガルムが震えながら叫ぶ。
「な、なんなんだよそれは!」
誰も答えない。
セリスだけが、
静かにレオンを見ていた。
「名前を」
「レオンです」
「姓は?」
レオンは少しだけ黙る。
忘れていた名前。
ずっと捨てていた名前。
だが、
もう隠す意味はない。
「……レオン・アルヴェイン」
空気が凍った。
監査官達の視線が変わる。
恐怖。
警戒。
そして、
理解。
彼らは知っている。
アルヴェイン監査家とは、
かつて帝国すら震え上がらせた存在だと。
セリスが静かに言った。
「帝国監査局特別規定第零号を適用します」
彼女は胸元から黒い書類を取り出す。
「レオン・アルヴェイン」
「貴方を帝国監査局第零課へ強制招集します」
その瞬間。
港の警報術式が再び鳴り響いた。
《危険指定》
《中央監査対象確認》
《信用処刑権限保有者を確認》
群衆がざわめく。
「信用処刑権限……?」
「嘘だろ……」
「まさか……」
レオンは静かに目を閉じた。
理解してしまった。
自分はもう、
普通には戻れない。
数字を見て生きるだけの人生は終わった。
世界は、
自分を放っておかない。
セリスが背を向ける。
「飛行艦へ」
「中央へ向かいます」
レオンは最後に、
崩壊しつつあるベルクハイム港を見た。
炎。
暴動。
崩れる契約光。
泣き叫ぶ商人達。
その全てを見つめながら、
彼は静かに呟く。
「……これが監査か」
セリスは振り返らずに答えた。
「違います」
「これはまだ、
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