番外編⑧ シャンパンの余韻
ルームボーイは、部屋の中にシャンパンと軽食が乗ったワゴンを静かに運び入れた。
ルキがチップを渡すと、ルームボーイは一礼して部屋を後にした。
「……これは、また……」
シャンパンと、チーズ、ナッツにドライフルーツを見て、ルキは目を見開いて驚く。
「このシャンパン……最高級品だ」
「そうなの?……もしかして、高いやつ?」
「高いも何も、この一本で金貨八枚はするよ?」
「はっ……はちまい!!」
ルシナは、さーっと青ざめる。
「ルキの靴……八足分!!」
「……ルシナ、その例えは……どうかと思うよ?」
「そんなお高いシャンパンを差し入れるリオン様って、本当に貴族様なんだね。セイラさんが『貴族らしい貴族』って言っていたけど、このことかぁ〜」
ルシナは、そっと指先でなぞりながら、感心したように頷く。
(……いや、セイラはそういう意味で言ったんじゃないと思うが……)
「こんなシャンパンを送るなんて、リオン様は一体何を考えているのだろうか……」
「……そんなにジャスミンさんと仲良くしてほしいのかな?」
「……それもあると思うが……」
「ねぇ……これ、飲んでいいんだよね?」
ルキが思考に耽っていると、ルシナは目を輝かせてルキを見つめた。
「頂いたものを飲まないのも、失礼になるな」
ルキはシャンパンを開け、静かにグラスに注いだ。
姿勢の良いその姿は、洗練されていた。
小さな泡が弾け、琥珀色の液体からは、芳醇でフルーティーな香りに、微かな爽やかさが混じって漂う。
「ほぇ〜……これが最高級の香り……」
(この香りだけでも、いくらするんだろう……)
「ルシナ」
ルキは、グラスをルシナに向けて掲げ、ルシナもグラスを掲げる。
「「乾杯」」
同時に声をあげながら、一口飲んだ。
弾ける泡と、芳醇でいて爽やかな香りが、鼻を抜ける。
「ほぇ〜……最高級……。もう、最高級ってだけで美味しい……」
ルシナは魂の抜けたような表情で、香りの余韻に浸る。
「さすがの香りだな……」
ルキは香りを楽しみながらも、リオンの思惑について考え、頭が痛くなってきた。
ルシナは、ビールやカイにもらったワインの時のようにぐびぐびとは飲まず、一口の量を少なく、ゆっくりと味わうように飲んだ。
ドライフルーツやナッツを少量ずつ口にしては、シャンパンを幸せそうに飲むルシナを見て、ルキは、先のことを悩んでも仕方ないのではないかと、少しだけため息をついた。
「そういえば……劇場で見かけた灰色の髪の男は、知っているやつなのか?」
「ん?ノアさんのこと?」
「ノア……っていうのか?」
「うん。ノアさんは、崖上小屋でお世話になった人だよ。んーと……モーヴェって言ってた」
「モーヴェ……国境警備隊か……」
ルキは、シャンパンの泡を眺めながら、ノアの姿を思い浮かべる。
(あの目つき、灰色の髪と長身……。無駄のない肉付きに、静かな動き……)
ルキはさらに、昔の記憶まで遡った。
(今日見た男ほど長身ではなかったが、騎士時代に灰色の長髪の男が、リオン様と一緒にいるところを見たな……。あの高い鼻と鋭い目つきは覚えがある)
「ノア……昔見たことがあるかもしれない」
「そうなの?……そういえば、他のモーヴェたちが『ノア隊長』とか言ってたかも。……消されたって言ってたんだけど、狼みたいな大きな魔獣に遭遇した時に助けてくれたんだ」
「は?そんなことあったの?」
「うん……赤い目じゃなくて、青い目の狼だったけど」
ルシナはチーズを口にしながら、シャンパンを飲む。
「あっ……ノアさん、何故か私が飛べることも知ってたんだよね……何でだろ?」
「……ノアとどれくらい接触した?」
(ずいぶん前から、見張られていたのか?……だとしたら、何故ルシナを……?)
ルキの目に警戒が浮かぶ。
「接触?……二、三回、少しだけ話したかなー。どれも気にかけてくれる感じだったよ。妖精たちも、いい人って言ってた」
「妖精がいい人って言ったら、いいやつなのか?」
「……たぶん?」
(妖精さんがいっぱいいたってことは、優しい人ってことだよね?)
「多分……か。俺もあいつを見たことがある気がするんだ……もっと若い頃、リオン様と一緒にいた……」
「そうなの?」
「あぁ……おそらく、あいつは……」
ルキは眉をひそめながら、ルシナを見つめた。
「ノアさん、強そうだったもんね……狼の魔獣に遭遇した後、魔法陣をいっぱい出してたし……」
「それは、本当か?だとしたら、やはり……」
「やはり?」
「……【彼ら】……【特務部隊】。そう言われている存在だろう。あまり近づく人間ではない……」
ルキは小さく息を吐いた。
「人差し指を唇に当てていたのも、『関わるな』とでも言いたかったのだろう……」
(モーヴェは隣国の国境警備隊だが、おそらく潜入していたのだろう……それもリオン様か、国の指示か……。とりあえず、脅威となる敵ではない……か?)
「そうなんだ〜ノアさんってすごい人だったんだね。まっ、私にはあまり関係ないし……ルキ、シャンパン飲もっ。今日は本当に楽しかった!劇も良かったし、連れてきてくれてありがとう!」
「関係ない……か。そうだな。俺はただの靴職人だし、ルシナはただのカフェ店員だ。いい劇だったな……女神と騎士の悲恋だったが、俺には悲恋には思えなかったけどな……」
「えっ……ルキもそう思った?私も思ったよ!」
ルシナは、静かに微笑みながら話すルキを見つめ返し、無邪気に笑う。
シャンパンの泡が、静かに弾けた。
ルシナはルキの空いたグラスにシャンパンを注ぐと、自身のグラスにも注ぎ、ルキが止める間もなく、すーっと飲み干す。
「あっ……ルシナ、一杯だけの約束だろ?」
「へっ?……あははっ。ごめん……つい」
ルシナはドライフルーツを口に運ぶ。
「……襲ってもいいんだな?」
ルキはシャンパンを飲み干すと、ルシナの隣に座り、その頬にそっと手を添える。
「へっ……ルキ?」
熱い視線が、ルシナを捉える。
「もう少し、警戒心を持った方がいい」
耳元に唇を寄せて囁くと、そのまま、熱を帯びた口づけを落とした。
「ん……」
長く熱いキスに、ルシナの体温が上がっていく。
ルシナがルキの肩を押しても、微動だにせず、むしろ強く抱き止められた。
「……ほら。こんなにも力が弱い……だから、俺から離れないで。ここは王都だ。何があるか分からない」
ルキはルシナの肩に額を乗せる。
ルシナは、ルキをそっと抱きしめた。
「うん……私、ルキのこと好きだよ。だから離れない」
ルキは目を見開くと、ルシナを見つめる。
「……愛している」
二人の視線は絡み合い、どちらからともなく、再び口づけを交わした。
ルシナがどこの誰で、どんな秘密を抱えていようとも、ルキはルシナを守り、愛することを心に決めた。
*****
翌朝――。
ルシナとルキは、馬車の出発時間ぎりぎりまで、腕を組みながら城下町を歩き回り、チョコレートや雑貨屋を見てまわった。
「コハナとセイラさんに、お土産買おうよ」
「あぁ……そうだな」
互いに見つめ合いながら、微笑み歩いていた。
城下町デート編……完。




