番外編⑦ 見えない思惑と、守るもの
ルシナの前に立ったリオンは、胸に手を置き、優雅に一礼する。
(これは……断れないやつだよね……)
ルシナがちらりとルキを見ると、ルキは一瞬だけ戸惑いを見せ、それでも静かに一歩引いた。
「ルキオ、申し訳ないね。ルシナ嬢があまりにも美しくて」
穏やかな声音のまま、リオンはルキへ視線を送る。
その一瞬だけ、空気が張り詰めた。
ルシナは改めてリオンに向き直り、恭しくカーテシーを行う。
周囲の女性たちがどよめき、歓声とため息が入り混じる。
「ブランシャール侯爵ではなくて?微笑んでいらっしゃるわ」
「あの、彫刻のような美しさは、まさにリオン様ね。こんなレストランにいらっしゃるなんて……あの女性は、どなたかしら?」
ざわめきに包まれながら、ルシナは恐る恐る顔を上げた。
リオンは、そのすべてを当然のように受け流しながら、柔らかく微笑む。
「ルシナ嬢」
中低音の透き通った声は、色気を含んでいる。
「貴女は美しいのだから、胸を張りなさい」
その言葉は穏やかでありながら、不思議と逆らえない響きを持っていた。
ルシナの背筋が、自然と伸びる。
リオンと手を合わせると、音楽に合わせて動きだす。
リオンのリードは、さすがというべきか踊りやすい。
ターンをするたびに、上品な花の香りが舞う。
「そのドレス、よく似合ってあるね。履いているハイヒールも良いものだ」
「はい、ドレスはセイラさんが用意してくださいました。ハイヒールは、ルキ……ルキオさんに作って頂きました」
「なるほど……我が妹ながら、センスがいい。ルキオも靴職人として活躍しているようだね」
踊りながら話ができるのは、リオンのリードの賜物だろう。
「劇は楽しんで頂けたかな?セイラとルシナ嬢に、と思っていたのだが……私の妹は、なかなか素直に受け取ってもらえないようだ」
「あ……はい。ご招待いただき、ありがとうございました。とても素晴らしい劇で、感激してしまいました」
「それは良かった。女神と騎士との悲恋だが……君の恋は成就したようだね」
リオンはくすりと笑いながら、ダンスエリアの外にいるルキへ目を向けた。
「……へっ?」
「女神と騎士……ルシナ嬢とルキオのようだと思わないかね?」
「……私と、ルキ……ですか?」
ルシナの脳裏に、シャウトをしながら歌うノスタルジアが浮かんだ。
(……話の意味がよくわからない……。えっ。悲恋になるの?)
音楽が止まり、ダンスの終わりを告げる。
再び向き合うと、二人は美しい所作で礼をする。
リオンはルシナに近づくと、そっと髪飾りに触れた。
「この花は、ジャスミンが目覚めた時のものと同じ花だね」
リオンは、ぞっとするほど美しい笑みを浮かべる。
「君は……女神なのかな?」
ルシナが答えに戸惑っていると、ルキが隣に立つ。
「リオン様、何かありましたか?」
「……ふふ、騎士の登場だ。なに、劇の感想を聞いていたところだよ」
ルキがルシナの腰を引き寄せた手に視線を落としながら、リオンは微笑む。
「デートの邪魔をしてしまって申し訳なかったね。ルシナ嬢はダンスがお上手だ。貴族の令嬢と踊っているようだったよ」
ルシナの背中に、何か冷たいものが流れた。
「あ、あの……それは、多分リオン様のリードのおかげかと……」
「はは……ご謙遜を……。そうだ、ジャスミンの茶飲み友達を探していてね。よかったら今度、ジャスミンとお茶会でもいかがかな?もちろん、セイラのカフェでもいい」
「あっ、はい……それはもちろん喜んでお受けいたします。ジャスミンさんが元気になられて良かったです」
ルシナは、ぱぁっと華やいだ表情で返事をする。
「お茶会……快気祝いでしょうか。私もぜひジャスミンさんに会いたいです」
ルシナが純粋な笑顔をリオンに向けると、リオンは僅かに目を見開いた。
「なるほど、セイラがルシナ嬢を気にかけるのが分かった気がするよ」
リオンは穏やかな笑みを浮かべ、ルシナの手にそっと口づけを落とすと、「では、失礼する」と短く挨拶をして、速やかに去っていった。
ルキは胸に手を置き、一礼をしてリオンを見送ると、ルシナに向き直った。
「ルキ……ルキオ?」
「あぁ……ルキオは騎士時代の名だよ。ルシナには、ルキと呼んでほしい」
「……うん、分かった!」
少しだけ切なそうな表情でルシナを見ると、手を引いて席に戻った。
「リオン様って、妹思いのお兄さんなのね」
「……そう見えたのか?」
「うん!セイラさんのこと、センスいいって褒めていたし、劇に招待してくださっていたし、ジャスミンさんのことも……。すごく愛情深いんだなって思ったよ」
「まあ……話をしただけなら、そう思うよな……」
(話をしただけなのに、相手の思うレールを走らされる……それが怖いんだけど……)
ルキは、言葉を素直に受け取りすぎるルシナに危機感を覚えた。
(セイラが言っていた「目を離さないで」とは、このことか……。すんなりとジャスミンと会う約束を、セイラからだけでなく、リオン様からも受けてしまった……)
ルキは、この後の展開を予測して、肌がピリつくのを感じた。
(きっと、俺がこの店を選ぶのも掌握済みだったのだろう……普段はこの店には来ないようなお人だ……)
大きく息を吐いて、果実水を飲む。
「この後は、どうする?宿屋に戻るか?」
「うん……そうする。ダンスして汗もかいたし、湯浴みしたい」
「……そうか」
(湯浴み……部屋が別にあるとはいえ同室……大丈夫か、俺……)
ルキの心は、目まぐるしく思いが駆け巡っていた。
*****
宿屋に戻ると、ルシナはドレスから楽なワンピースに着替える。
「ルキ〜助けて……髪が……」
「え?どうやったら、そんなに絡まるんだ?」
「髪飾り取って、髪を解こうとしただけなんだけど……」
ルキはジャケットを脱ぎ、シャツをまくって、鏡の前で髪を優しく解いていく。
(シャツの腕まくり……ぐはっ。色気が……)
髪を解くことに集中しているルキをよそに、ルシナはルキの腕に集中していた。
「ほら、解けたよ……」
「ルキ、ありがとう」
ルシナは、おろした髪を手櫛で整えながら、浴室へ向かう。
「そういえば、リオン様もこの髪飾りが気になったみたいだよ。女神様の話もしていたな……」
「……え?……いつ?」
「ダンスしている時」
「……そうか。クラテスさんも花を気にしていたな。女神の話も……」
「女神さまって……すごいね」
「……そう……だな?」
ルキは、ルシナの返答に困惑しながら、バスタブに湯をはると、ルシナに勧める。
「さあ、湯浴みをしておいで」
「……ありがとう」
(なんか、ルキって何でもスマートにこなすんだな……お湯まで張ってもらっちゃった……)
ルシナは、浴室の扉を閉めて湯に浸かりながら、ルキに世話になっていることを思い出しつつ、ふと、大きな事実にたどり着いた。
(あれ?そういえば、お泊まりデートだった!えっ?先にお風呂に入るとか……えっ?えっ?)
そうして、軽くパニックになっていた。
やっとの思いで立ち直り、湯浴みを終えると、ルシナはお湯を捨て、再度湯を張ってルキに声をかける。
「ルキ、新しいお湯入れたよ。ルキも湯浴みどうぞ」
「あぁ……ありがとう」
ルキが浴室へ入っていく。
ルシナは、髪をタオルで丁寧に拭きながら、ひと息ついた。
(このあと、どうするんだろ……。コハナとだったら、カードゲームとかするんだけどな……。そういえば、コハナってカードゲーム激強だったけど、ズルしてない?)
「風呂上がりにビール……飲みたいなー」
ルシナがつぶやくと、部屋の扉がノックされた。
「お客様、ルームサービスでございます。ブランシャール侯爵より、シャンパンのお差し入れをお預かりしております」
扉の向こうから、ルームボーイの声が聞こえた。
(シャンパン!!やったー!)
「あっ……はーい!」
ルシナが扉を開けようとすると、後ろからルキが覆いかぶさるように手を伸ばし、扉に手をつく。
ふわりと石鹸の香りが広がり、ルシナの頭の上からぽたぽたと水滴が落ちる。
ルシナは、ルキの体から湯浴み後の熱を感じ、固まってしまった。
「ルシナ……無防備に扉を開けないように……」
頭の上から、ため息とともにルキの言葉が落ちる。
「すまない、あと十五分後にまた来てくれないか?」
ルキは扉越しに、ルームボーイに呼びかけた。
「承知いたしました」
カラカラとワゴンを押す音が遠ざかっていく。
「ルシナ……危機感がなさすぎるよ。ルームボーイの振りをした暴漢だったら、どうするんだ?すぐに扉を開けようとしないでくれ……」
安心させるように、ルキは後ろからルシナを抱きしめた。
少しだけ湿った肌が、ルシナの頬に触れる。
「……ごめんなさい。ルキ、慌てて出てきた?」
「……あぁ」
ルシナが振り向くと、ルキの少し長めの髪から水滴が落ちる。
よく見ると、バスローブを羽織ったルキの胸板があらわになっている。
ルシナが視線のやり場に困り、慌てて顔を背けると、ルキは「ごめん」と短く言って浴室へ戻っていった。
「ボーイはなんて言ってたんだ?」
浴室から出てきたルキは、髪をタオルで拭きながら、リビングスペースのソファーに座るルシナに問いかけた。
「リオン様から、シャンパンを贈られたみたいなの」
「……リオン様から?」
(あの方は、宿屋まで掌握済みか……。劇場で会った、灰色の男も気になるな……)
「シャンパン、せっかく用意してもらったし、風呂上がりに飲むのもいいなーって思って……」
うつむきながら、ルシナは指先をこねこねと動かす。
「アルコール弱いのに、好きなのか?」
「んー……弱くないっていうか……弱くなったというか……」
目をきょろきょろと動かすルシナを見て、ルキは深く息を吐いた。
「……一杯だけだぞ」
「えっ!いいの?」
「あぁ……。あまり酔わないようにしてくれ。俺も、どこまで自制が効くか分からないからな」
湯浴みで火照ったルキの頬は、少しだけ赤く、色気があふれていた。
「じっ、自制……。う、うん。分かった……気をつける」
ルシナは顔を赤らめながら答えた。ちょうどその時、ルームボーイが再度、部屋の扉をノックした。
カードゲーム、コハナはズルはしていません。
ルシナの表情が分かりやすいだけです。




