82: 居場所をくれたから……
日が高く昇る頃、頭痛とともにルシナは目を覚ました。
フーは少し離れたところから、警戒するようにルシナをじっと見つめている。
「あれ?フーちゃん?なんでこっち来てくれないの?」
「……覚えてないの?」
コハナは淡々と答える。
「昨日、ルシナ、フーにだる絡みしてた」
「えっ……私、何やったの……」
「フーが嫌がってるのに、抱きしめて、胸毛に顔埋めてスリスリしてた」
フーは上目遣いで、じっとルシナを警戒している。
「フー、怒って軽く噛んだ。……でも、離さなかった」
「……フーちゃん……ごめんなさい」
ルシナが頭を下げて謝罪すると、フーは少しだけ様子を見るようにしてから、ゆっくりと近づいた。
ルシナの手をぺろりとひと舐めすると、“次はないよ”と言わんばかりに、フスン、と鼻を鳴らした。
「許してくれるの?ありがとう」
ルシナがフーのお尻を撫でると、フーは満足げに、口角を上げて笑っているように見えた。
「ルシナ、ハーブティー入れた。二日酔い用」
「え…ありがとう。……なんで、二日酔い用があるの?」
「……分かってたから」
「……コハナ、すごいね。ありがとう」
湯気の立つカップをルシナに差し出すと、ホリッジを器に盛り付けていく。
「……ほんと、準備いいね」
ルシナはテーブルにつくと、コハナの小さな後ろ姿を見つめた。
(コハナが見ている世界って、どんなものなんだろう……。準備がいい子だなって思ってたけど、未来が見えてたんだね)
コハナは、ホリッジの入った器をテーブルに置くと、椅子に座る。
「コハナが小瓶を用意してたのも、分かってたからなんだよね?」
「うん」
「もしかして……この小屋に、私の服が用意されてたのって……」
「私が用意した」
コハナは、表情を変えずに答えた。
「……ずっと、モーヴェ達が用意したと思ってた」
「あいつらは、何もしてない」
「コハナがこの小屋を選んだのは、私が来るから?」
「それもあるけど……ノスタルジアの近くだったから」
「そうなんだ……。私、コハナに出会えて、本当に良かったと思ってるよ。これからも、よろしくね」
「うん」
コハナは、ほんの少しだけ、優しく微笑んだ。
「あっ!コハナ笑ってる」
「そう?自分でわかんない」
「うん!微笑んでた。すごくかわいい」
「なんか、くすぐったい」
「あはは、そうかもね」
ルシナはホリッジを一口食べる。
優しい味が、静かに口の中に広がった。
*****
食後、しばらくゆっくりしてから、町へ向かった。
コハナは今日も休みをもらっていたようで、一緒にカフェへ向かう。
カフェの扉を開けると、コーヒーの香りとともに、セイラがカウンターから顔を出した。
「ルシナ、おはよう。昨日はありがとう。バタバタしちゃって、ごめんなさいね」
セイラの表情は明るく、笑顔がまぶしい。
今まで感じていた、どこか影のある気配は、もうどこにもなかった。
「いえ……来るのが遅くなってしまったんですけど、大丈夫でしたか?」
「えぇ、その方が良かったわ。私も少し前に帰ってきたばかりだから」
「そうなんですね……カフェは営業しますか?」
「今日は、臨時休業にしようと思うの。……私も少し疲れたし」
「それが良いですね。ジャスミンさんに会えましたか?」
「えぇ……。ルシナ、コハナ、少し話をしましょうか」
セイラはカウンターに、コーヒーをそっと置いた。
「まずは、お礼を言わせて。コハナ、ありがとう。神託の巫女がどういうものなのか、私には分からないわ。けれど、ジャスミンが目覚めたのは、コハナのおかげだと思っているの」
セイラは、コハナを真っ直ぐに見つめた。
その大きな瞳は、涙で静かに潤んでいた。
「お兄様から聞いたけど、状況はかなり厳しかったみたい。医師は奇跡だと言っていたわ」
セイラから、一筋の涙が溢れる。
「……なのに、冗談だったら許さないとか、言ってしまったわね。ごめんなさい」
コハナは視線を逸らすこともなく、無表情のまま答えた。
「……気にしてない」
「何もしていなかったら、ジャスミンはどうなっていたか……。ルシナから貰った白い花の小瓶、あれも必要なものだったと思うのだけれど、合ってるかしら?」
「うん、あれが必要だった」
「……そう、ルシナもありがとう」
「いえ……私は、渡しただけですから」
「あの花は不思議な効果があった……ルシナ、頂きものって言ってたけど、どなたから頂いたの?」
「……えっと……」
「言いにくいようなら、言わなくていいわ。ただ、私からもお礼を言わせて欲しかっただけなの。伝えておいて貰える?」
「はい……伝えます」
言葉を濁したルシナを、それ以上追及することもなく、セイラは静かにコーヒーを飲んだ。
「ジャスミンは、痩せ細ってはいたけれど、冗談を言うほど……今までの状況を感じさせないくらい元気だったの。コハナが宣言してくれたみたいに、笑い合うことが出来たわ」
「それは、良かったです」
「えぇ……。ただ、ルシナから花をもらったことをお兄様には伝えていて……。お兄様はルシナと、コハナにも興味を持ってしまってね」
セイラは、無意識に爪を弾く。
「お兄様は、本当に貴族らしい貴族なの。利用できるものは、利用する——そんな考えの人よ。だから、お兄様との距離感には気をつけて。私も気をつけるから」
「……分かってる」
コハナは、何か決意じみた表情でセイラを見つめた。
「……コハナ。そのリスクを抱えてまで神託をしてくれたのは、なぜ?」
「……好きだから」
「……え?」
コハナのつぶやきはか細く、それでもはっきりと聞こえた。
「……セイラが好きだから。一人で、不安だった。けど、セイラは気にかけてくれた」
コハナは、ぽつりとつぶやく。
「セイラ、たぶんジャスミンと私を重ねてた。けど……それ以上の優しさを、くれた」
コハナの表情が、ほんの僅かに崩れる。
「救われたって、思った。セイラを助けたかった」
無表情のコハナから、涙がこぼれる。
「私の居場所を、作ってくれた」
「……コハナ」
セイラはカウンターの内側から出ると、コハナをそっと抱きしめた。
「そんな風に思ってくれていたの?……私、そんなに良い人間じゃないのに……」
「……知ってる。でも、私にとって良い人」
「そうです。セイラさんは、良い人です。私の居場所も作ってくれました」
「ルシナ……」
「……でも、私は……他の誰かの居場所を、奪ってきたわ」
「それは、ジャスミンさんの事と関係してますよね?」
「……えぇ。ジャスミンの居場所を奪った奴らね……。でも、人の居場所を奪った事実は変わらないわ」
セイラは、わずかに視線を落とす。
「結局、奴らと同じことをしたのよ……。利用できるものは、利用して、奪ってきた」
一瞬の沈黙のあと、セイラはルシナを見つめた。
「……ルシナ。あなたのことも、利用しようとしていたのよ」
「……えっ?」
思いがけない告白に、ルシナは目を丸くした。
「……そうなんですか?全然気付きませんでしたけど……」
「……メンダヴォル」
コハナがぽつりとつぶやく。
「コハナには、隠し事はできないわね……」
セイラは爪を弾きながら、大きく息を吐いた。
「理由も分かってたし、ルシナに危害はないから」
「……ふふ。さすがね。本当にその能力、危険だわ」
「危険って思ってくれた方が、助かる」
コハナは無表情のまま、静かにセイラを見つめた。
「この能力は、使い方を間違えたら、一国が滅びる……。こんな力……ない方がいい」
それは、コハナ自身の存在すら、否定してしまいそうな言葉だった。
「……コハナ……」
セイラはコハナを見つめ返し、言葉を失った。
ただ、涙だけがこぼれた。
「……あのう……私、全然利用された覚えないんですけど……。だからセイラさんは、私を利用してません!!」
ルシナは胸を張り、そう言い切った。
セイラとコハナは目を丸くして顔を見合わせると、同時に吹き出した。
「ふふ……」
「ははは……」
「えっ?なんで二人とも笑うの?」
「ふふ……なんででしょうね。ルシナ、やっぱり貴女はジャスミンに似ているわ」
セイラは指先で涙を拭いながら、そう言った。
「それより、コハナが笑った?」
コハナはすでに、無表情に戻っていた。
「もっと、笑っているところ見せてよ」
セイラはコハナをくすぐろうと、そっと手を伸ばす。
コハナはさっと避けると、ルシナの後ろに隠れた。
「やだ」
「あははは……そうだ、ルシナ。ジャスミンが、今度カフェに来たいって言ってるの。会ってくれるかしら?」
「そうなんですか?もちろんです!」
「ふふ……それは良かったわ。お兄様もついてくると思うけど、無視して良いからね。ジャスミンとだけ、話をしてくれたらいいわ」
「お兄様って、領主様なんですよね?」
「えぇ、そうよ」
「無視なんて出来ませんよ〜」
「大丈夫よ。……そうね、ルキにでも押し付けて女子会をしましょう!」
そう言ってセイラは、屈託のない笑顔を見せた。
妖艶な笑みも美しかったが、今の笑顔の方が、ルシナは好きだった。




