77: リオン・ブランシャール侯爵
カフェの入り口には、眉目秀麗、端正な顔立ちの男が立っていた。とにかく、目を引くほどの美貌の男だ。
ライトブラウンの短く整えられた髪は艶やかで、均整のとれた切れ長の瞳には、長いまつ毛が影を落としている。
筋の通った鼻は高く、形がいい。
セイラに似た唇は薄く、穏やかな笑みを浮かべていた。
貴族然としたスマートな佇まいは、圧倒的な存在感を醸し出している。
セイラを呼び掛ける声は、中低音の心地よい音域で、雑味のない澄んだ響きを持っていた。
「……世の中にこんなイケメンいるんだ……」
カイのつぶやきに、ルシナは激しく同意した。
「……お兄様?……どうしてここに?」
セイラは、大きな瞳を見開いている。
「なにって、迎えにきたんだよ。さあ、帰ろう」
男は、均整のとれた歩幅で店内に入ると、セイラの前で立ち止まった。
「お兄様、何かあったんですか?……まさか……ジャスミン!」
セイラは口元に手を添えると、一気に青ざめる。
「まあ、一緒に来れば分かるさ」
余裕を含んだ笑みを浮かべ、ゆっくりと店内を見渡した。
「ここがセイラの店だね。繁盛しているそうじゃないか……ところで、こちらのお嬢さんは?」
男の視線が、ルシナに向けられる。
「……ルシナと申します。以後、お見知りおきを」
ルシナは流れるようにカーテシーを行い、名を名乗った。
明らかな上位貴族の存在に、ルシナの体は、考えるより先に動いていた。
「ルシナ嬢、私はリオン。セイラの兄だ。カフェを手伝ってくれていると聞いている。こちらこそ、お見知りおきを」
リオンは胸に手を当て、無駄のない美しい所作で一礼した。
「さて、店の手伝いをしているなら、一人でも店を任せられるかな?」
薄く笑みを浮かべ、真っ直ぐにルシナを見据えた。その視線には、有無を言わせない圧があった。
「えっ……あ、はい!大丈夫です」
「それは良かった」
ルシナの返答を聞くと、リオンはゆっくりと視線をルキへ移した。
「ルキオ、君も一緒に来るかい?」
「はっ。ご一緒させていただきたく」
ルキは胸に手を当て、静かに一礼した。
「では、参ろうか。町の入り口に馬車を待たせている」
「ちょっと、お兄様!いい加減にして下さい!また勝手に話を進めて!少しでもいいから説明して下さい!屋敷に戻るなら、私にも準備が必要です!」
颯爽と店を出ようとするリオンを、セイラが引き止めた。
「では、早く支度をしなさい」
リオンは椅子に座り、長い脚を組んだ。
「ああもう!ほんと、お兄様って貴族よね!」
「ははっ。面白いことをいう。セイラも貴族だろうに」
セイラは何か言いかけて、口を閉じると、ため息をついてバックヤードへ消えていった。
セイラがいなくなるのを待って、リオンはルキに訊ねた。
「ルキオ、セイラは上手くやっているか?」
「はい……セイラ様は、店主として町の人に愛されています」
「……そうか。それは良かった」
リオンは、ふっと口元を緩めた。
「ルシナ嬢、セイラは笑っているか?」
「えっ……?あ、はい。いつもきれいな笑顔ですが、たまに、お腹を抱えて笑ったり、涙を流しながら笑うこともあります」
突然の質問に戸惑いながらも、ルシナは答えた。
「……そうか、笑うか。良かった」
リオンは、わずかに口元を緩め、ゆっくりと息を吐いた。
「……なんかさ、俺らだけ空気になってない?」
カイは小声でコハナに声をかけると、コハナは無表情のまま、真っ直ぐ前を向いたまま動かない。
ぱたぱたと足音を立てて、セイラがバックヤードから出てくると、清楚なワンピース姿に着替えていた。
「支度は終わりました。お兄様、説明を」
セイラは真っ直ぐにリオンを見据え、答えるまで動かないとでも言うように、腕を組み、その場から一歩も動かなかった。
「せっかちなところは、変わらないな」
ふっと笑うリオンを、セイラは睨みつける。
「……ジャスミンが、目覚めたよ」
リオンの静かな一言が、店の中に響いた。
それは、セイラが待ち望んでいた、言葉だった。
「ジャスミンが目覚めたですって?……確か、手紙には危篤と」
「ああ……そうだったね。手紙を出したあと、状況が変わったんだ」
(手紙……『りーちゃん』、リオン様……)
「……はっ!りーちゃん」
ルシナの口から出た独り言は、思った以上に大きかった。
「ふふふ……手紙ではね、『りーちゃん』なんだ」
リオンは、いたずらっぽい笑顔をルシナに向ける。
(……こっちが素?)
「イケメンの自称りーちゃんって、なんかずるい」
カイのつぶやきには、リオンは反応しない。
「お兄様、こちらはカイ。ジャスミンの薬の開発者よ」
リオンのカイに対する反応を見かねて、セイラはカイを紹介する。
「そうだったのか。これは失礼をした。ジャスミンの薬は大いに役立った。心から礼を言おう」
リオンは立ち上がると、カイに手を差し伸べた。
「……い、いえ。恐縮です」
「なるほど、君がクラテスの弟子か。天才だと褒めていたよ」
手を離すと、カイの目が大きくなる。
「師匠をご存知なんですか?」
「ああ、よく世話になっている方でね」
「師匠って、リオン様と面識があるんですね……。引きこもりの研究者だとばかり……」
「ははは……そう言わないであげてくれ。貴族社会でも臆せず、世渡りの上手い方なんだ」
そういうと、リオンは周りにいる人間に興味を持ち始め、
コハナにも視線を向けた。
「……君は」
「お兄様、ジャスミンが目覚めたと仰いましたが、一体何があったのですか?」
(お兄様に、コハナの存在を知られるのは危険だわ……)
セイラは、リオンの言葉を遮るように言った。
「……白い花だ。ジャスミンが、昏睡状態で、半ば諦めていたんだがね……セイラから送られてきた小瓶の花が、あまりにきれいでね……香りだけでも、と思ったんだ」
リオンは、指先を軽く組みながら続ける。
「……蓋を開けたら……うっかり、ジャスミンの顔の上に、ぶちまけてしまってね」
「ぶちまけたぁ〜?お兄様、不器用にも程があります!」
「セイラ、本当に君はせっかちだね。話は最後まで聞きなさい」
鬼の形相でリオンに詰め寄るセイラを、リオンは端正な顔のまま制した。
「白い花がジャスミンの顔にかかった瞬間、確かに、白銀の光が舞ったように見えた」
リオンの視線がルシナを捉える。
「その瞬間——ジャスミンが、くしゃみをしたんだ」
「は?……くしゃみですって?」
セイラは呆けたように、首を傾げる。
「ああ……くしゃみだ。それも『ぶえっくしょい』って言っていたよ」
「……それは、まさしく、ジャスミンのくしゃみね……忘れていたわ」
「はは……そうだろう。その後、ジャスミンは何と言ったと思う?」
「……っ、しゃべったんですか?」
「あぁ……『あぁ、よく寝た。あれ、お兄様、老けました?』……そう言ったんだ」
セイラの瞳から、大粒の涙が溢れる。
リオンはそっとセイラの肩に触れ、カフェの扉へ向かった。
「さあ、行こう。ジャスミンが待ってる」
「……はい」
リオンはカフェの中を見渡した。
視線がコハナで止まるが、それは一瞬のことだった、
「では、皆。私たちはここで失礼する」
リオンは張りのある声でルシナたちに告げると、扉を開け、セイラとルキを連れて出ていった。




