番外編14 ラストダンスは湖で
「ルキ、会ってほしい人がいるの」
ルキの部屋で、ルシナは静かに呼びかけた。
コーヒーを淹れるルキの手が、ぴたりと止まる。
「会ってほしい人?」
“人”という表現が合っているのか、ルシナは一瞬迷ったが、ゆっくりと頷く。
「うん。ルキの話をしたら、連れてきなさいって……」
ルキは真面目な表情のままコーヒーを淹れ終えると、丁寧に並べられたクッキーと一緒にテーブルに置いた。
「それは、ご両親か?」
「ううん……違うよ。両親は……いないから」
ルシナは「いただきます」と小さく言って、コーヒーを一口飲んだ。
「分かった……会いに行こう。ルシナのことを大切に思ってくれる人なんだろう?」
ルキは向かい合わせに座ると、ゆっくりと頷いた。
「そんな人なら、きちんと挨拶をしなければいけないな」
ルシナに向けて穏やかに微笑む。
「うん!ありがとう!」
ルシナはクッキーを頬張ると、もしゃもしゃと食べる。
「そういえば、ルキのご両親は、何処にいるの?」
「お袋は早くに亡くなってな……親父は……王都で騎士をしていたんだが、今は若手育成をしているよ」
「そうなんだ……。ルキ、昔は騎士だったって言ってたもんね」
「あぁ……俺は、誰かを傷つけるのが性に合わなくてな。剣を振るよりも靴を作っていた方が楽なんだ」
ルキは、視線を落としながら、ぽつりとつぶやいた。
「剣は、守るもの……だけど、靴だって誰かの生活を守っているもんね!私もルキの靴……あのハイヒールのおかげで、心が助けられたよ!」
ルシナは、ルキの部屋に飾ってある片足だけのボルドーのハイヒールを眺めた。
「ルシナ……俺は君に会えて本当に良かった。ありがとう」
少しだけ熱を帯びた視線をルシナに向けると、ルキは微笑む。
「いつ、行く?先方の予定に合わせるよ」
「……予定?んー、予定なんてあるのかな?いつでもいいと思うよ。暇そうにしてるし……」
「……暇……なのかどこまで行けばいい?何か手土産を持って行かなきゃだな……。何が好きかな?」
「場所はね、崖上なんだ。行けるようにしておくって言ってた。手土産?……何が好きなんだろう……女性っぽいから、甘いものとかかな〜?」
ルシナが天井を見上げながら答えると、ルキは首を傾げる。
「崖上?女性っぽい?……一体、どんな人なんだ?」
「え〜っと、そもそも人……じゃないかも?」
ルシナの言葉に、ますます混乱するルキは、心を落ち着かせるようにコーヒーを一口含んだ。
「早い方が良いよね。今夜とかどう?明日は休息日だし」
「今夜?夜だと迷惑じゃないか?」
「夜の方がきれいだし、女神さまも夜の方が元気だよ」
(女神さま?)
ルキの頭の中は、もはや思考が停止してしまった。
(女神みたいな人ってことか?まぁ、行けば分かるだろう……)
「……よく分からないけど、今夜な。分かった。じゃあ、これから手土産でも買いに行くか」
「うん!」
*****
二人は手土産を持って、崖の下へやってきた。
日が暮れていることもあり、ルキの腰には剣が差してある。
「どうやって上に行くんだ?」
「あの滑り台から来いって言ってたから……」
ルシナはルキを、滑り台のある隠された扉へと案内する。
ひっそりとした扉を抜けると、天井の見えないほど高くそびえ立つ滑り台が伸びていた。
「細工しておく……って言ってたけど、どういうことだろ?」
“るしな、まってた!”
“すべりだいのうえ、すわって”
「えっ?座るの?どっち向き?」
“どっちでもいいよ〜”
“ばらんす、とれるように”
“ひざまげたほうがいいよ〜”
妖精たちは、待ち受けていたとばかりにわらわらと寄ってくると、膝を抱えて座るポーズを見せた。
「誰と話をしているんだ?妖精か?」
ルキは辺りを見渡す。
「うん、滑り台の上に膝を抱えて座って、だって」
ルシナは妖精の真似をして、ルキに見せる。
「なるほど……剣が邪魔だな。これは抱えるか……」
ルキは腰から剣を外すと、手土産と一緒に抱え、膝を折り曲げて滑り台に腰掛けた。
“じゅんびは、いい?”
「準備はいい?って言ってる」
ルシナが妖精の言葉をそのままルキに伝える。
「あぁ……」
少しだけ警戒しながら、ルキが答える。
“じゃあ、いくよ〜”
「じゃあ、いくよーだって」
“せ〜のっ”
「せーのっ」
次の瞬間――
「うぉっ!」
かなりのスピードで滑り台が動き出し、そのまま上昇する。
ルキから驚きの声が漏れる。
「わ〜。スピード速めなエスカレーターじゃん」
ルシナはその場でふわりと浮き上がり、ルキの後を追う。
「ルキ、大丈夫?」
「ははっ……面白いなこれ。速い速い」
“だいじょぶそう?”
“じゃあ、もっとはやくするね〜”
“めがみさま、よろこぶの〜”
「えっ?ルキ、スピード上げるって」
ルシナが言い終わらないうちに、滑り台がさらに加速した。
「ぬぁっ」
先ほどよりも速くなったスピードでも、ルキはバランスを崩すことなく耐えている。
ルシナの飛ぶ速さでは追いつけない。
「え〜待って〜」
ルシナが頂上に着いた頃には、ルキはすでに腰に剣を差し直し、手土産を持ち直していた。
ルシナが頭上に気をつけながら降り立つと、ルキは手を差し出して支えた。
背の高いルキは、天井に頭がつきそうだ。
少しだけ背中を丸めたその姿勢が、どこか珍しく見えた。
滑り台の頂上にある扉を抜けると、外には群生地が広がっていた。
花の香りが、濃く漂っている。
「ここが、崖上か?」
「うん……ついでに言うと、隣国になるね」
ルキは“隣国”という言葉に、ぴくりと眉を動かし、無意識に剣に触れた。
「ここは、大丈夫だよ」
ルシナはルキの手を引き、妖精たちに導かれるまま、ノクターンの鏡湖へと歩き出す。
「妖精たちが案内してくれるから、敵も来ない……たぶん」
それでもルキは辺りを警戒しながら、ルシナに手を引かれるまま歩いた。
群生地を抜け、木々の間を進むと、視界が一気に開ける。
満天の星が湖面に映り込み、幻想的な空間が広がっていた。
荘厳な空気に、ルキはそっと息を呑む。
「ここに、女神さま……がいるのか?」
「うん」
ルシナに連れられて、湖面の縁まで進む。
「女神さま〜いらっしゃいますか〜?ルキと一緒に来ましたよ〜」
ルシナが湖面に向かって呼びかけると、湖の中央から、静かに人影が現れた。
湖面まで伸びる、美しい白銀の髪。
陶器のように繊細な白い肌。
ルビーのように赤く輝く瞳。
精巧なビスクドールのような、畏怖さえ覚える存在が、ルキを見据える。
「よく来たな」
胸の奥に直接響く声は、澄んでいるのに鋭ささえ感じさせた。
ルキは咄嗟に胸に手を置き、膝をつく。
騎士としての最敬礼だった。
「いや〜ね〜。そんなに畏まらなくていいわよぉ〜。さ、立って立って!」
ノスタルジアは手をぱたぱたと振りながら、湖面を滑るように淵まで移動する。
ルキは膝をついたまま、呆気にとられて固まった。
(湖の上を、波紋ひとつ立てずに移動……だと?)
ルキは、畏怖さえ覚える異質な存在と、ノスタルジアの言動が一致せず、混乱していた。
「貴方が靴屋の坊や……ふふ、ごめんなさい。ルキね。ルシナから話は聞いているわ。
私はこのノクターンの鏡湖の女神、ノスタルジアよ!よろしくねっ」
ノスタルジアは、ぱちりとウインクする。
「……はい。この度はお招きいただき、ありがとうございます。よろしければ、こちらを……」
ルキは手土産を差し出す。
「真面目ね〜ありがとう」
ノスタルジアはくすくすと笑いながら受け取ると、中身を覗き込む。
「あっ!これ!食べたかったやつ!」
くるくると回りながら、喜びの舞を踊る。
(踊っていても波紋はない……人ならざる者か……)
「女神さま、そのお菓子好きなんですか?」
「えぇ、町の人が美味しそうに食べているのを見て食べたかったの!食べたことのある妖精たちも美味しいって言ってたから。ありがとう。本当に嬉しいわ」
「女神さまって食べるんですか?なんか、食べないイメージでした」
普通に会話をするルシナを、ルキはどぎまぎしながらみつめる。
「食べるわよ〜。まあ、食べなくても大丈夫だけど、なんでも経験よ。食べても死なないなら食べたいわ」
「じゃあ、またいろいろ持ってきますね」
「ほんと?やったー!」
腕を伸ばして喜ぶノスタルジアに、強烈な違和感を覚えながら、ルキはその場に立ちすくんでいた。
「さて、ルキ……いえ、ルキオ・ガーディアス」
ノスタルジアにフルネームで呼ばれ、ルキの背筋が伸びる。
(ルシナにも伝えていないのに、何故……)
背に、冷たい汗が流れた。
「何故、名を知っているか……と言いたげね。私は大体のことは分かっている。お前の信念も、後悔も」
ノスタルジアの赤い瞳が、真っ直ぐにルキを射抜く。
「お前は知りたいんだろう?ルシナのことを……どこから来て、何を抱えているのか。どうやったら守れるのか……」
ルキは、姿勢を崩さずに直立不動のまま、息を飲んだ。
「ルシナ……自分で言えるか?」
ノスタルジアは、ルシナに向き直る。
「……はい。ルキ……」
ルキは、ルシナに視線を落とす。
「……私はね、違う世界の魂と、この世界の魂、ルシアナ・ハルモニアと混ざっているの」
想像つかない告白に、ルキは言葉をなくす。
「ルシアナはね、この国の子爵の娘だったんだけど、愛されない、捨て駒にされてしまうような子だったの……それでも家は取り潰されたんだけどね。
足の腱を切られて、この近くの小屋に送られた……」
ルキの目が見開かれる。
「そこに、別の世界の魂……流美の魂が流れて来て、魂が混線していたの。だから、魔獣もメンダヴォルも異質の存在だから、近寄ろうとしなかった……」
ノスタルジアは、優しく微笑みながらルシナを見守る。
「その小屋には、コハナがいて怪我や生活のフォローをしてくれて……女神さまに加護を貰って……。そして、ルキに出会った」
ルシナはルキを見上げながら、その手にそっと触れる。
「ルキに出会って、カフェで働いて……ルキのそばで歩きたい。そう思っていたの」
ルキの手が、わずかに震える。
そして、ルシナの手を強く握り返した。
「混ざった魂のままではいられない……そう、女神さまから言われていた。けれど、流美もルシアナも選べなかった。自分が消えればいいって思っていたから……」
ルシナは、ルキを真っ直ぐ見つめる。
「でも……どちらも、ルキのそばに居たいって気持ちが大きくなっていって……」
ルシナは、目を伏せた。
「……それで、どうなったんだ?いつもと変わらないように思えるが……」
震える声で、ルキは問いかける。
「……うん。女神さまにお願いしたの。どちらも残す……魂の融合は出来ないかって」
静かに、ノスタルジアへ視線を向ける。
「元々、性格も思考も似ていたから……融合出来た。そうですよね?女神さま……」
ルシナの視線を受け、ノスタルジアはすべてを見通すような目で二人を見ていた。
「あぁ……かなり特殊なケースではあるがな。あのまま選ばれず放置していたら、存在ごとなかったことになっていただろう」
ルキは、その言葉に目を見開く。
「それに……どちらかの魂を選んだとしても、ルキ、お前のそばには、今のルシナは居なかっただろう。いくら似ているとはいえ、違和感は残る。それに……」
「それに?」
ルキは、おそるおそる問い返す。
「ルシナがもし流美の魂を選べば、この世界にいない流美は死に……ルシアナの魂を選べば、ルシナは死んでいた」
「えっ……!女神さま、それ私、初耳です!」
「あぁ、初めて言ったからな……それに、どちらかを選んだ前例もある。ルシナ、お前も知っている人だぞ」
「えっ……だれです?」
「……灰色の……」
ルキが、ぽつりとつぶやく。
(この世のものとは、思えない強さが彼に感じた……。ルシナを気にかけることもあったようだし……)
「ふふ……ルキ、鋭いな。彼なら、今後も何か助けになるだろう」
ノスタルジアは、そっと微笑む。
「ルキオ・ガーディアス……これがお前が知りたかったこと。そして、ルシナが話したかったことだよ」
ルキは立ち尽くしたまま、ノスタルジアを見据えた。
「俺は……どんなルシナでも、そばに居たい。一生、守っていきたいと思っています。ルシナが話そうとしてくれたこと……何を恐れなければならないのか、少しだけ分かった気がします」
「ふふ……そうか……ルキ、こちらへ来なさい」
ノスタルジアは、ルキを手招きする。
「その剣のストラップ……私がルシナに渡した花から出来ているね。一度、加護が発動したようだ……光が失われている」
「一度、隣国のならず者に襲われたことがあって……」
「えっ!ルキ、そんなことあったの?」
「あぁ……なんとかしたから大丈夫だよ」
「その剣を、私に渡しなさい」
ルシナに優しく微笑むルキを見て、ノスタルジアは静かに命じた。
ルキは一瞬戸惑いながらも、腰から剣を外し、ノスタルジアへ手渡す。
ノスタルジアは剣にそっと息を吹きかけると、白銀の光がふわりと広がった。
光が静まると、ノスタルジアはルキへ剣を返す。
「守りなさい……人を愛しなさい。それがお前に与えられた境界線だ」
ルキは剣を両手で恭しく受け取る。
刃を検めると、鈍い銀色だったそれは、澄んだ白銀へと変わっていた。
「はい!俺はルシナを守り抜き、愛し続けます」
ルキの宣言に、ルシナは目を見開く。
「ほう……ルシナ、お前はその愛を受け取る覚悟は出来ているか?」
ノスタルジアは荘厳な空気を纏いながらも、どこか楽しげに問いかける。
「は、はい!私もルキを愛し続けます!」
ルシナは気づけば、高らかに宣言していた。
ルキはルシナを見つめる。
「俺でいいのか?」
「ルキがいいの!」
ルシナがルキの胸に飛び込むと、ルキは強く抱きしめた。
「合格だ!ルキオ・ガーディアス」
妖精たちが瞬き、湖は幻想的な光に包まれる。
満天の星が、湖面を一層輝かせていた。
「ふふ……あとは、ごゆっくり……」
そう言うと、ノスタルジアは静かに湖面の中へと姿を消していった。
静かな音楽だけを残して……。
「踊ってくれますか?」
「もちろん!」
ルシナとルキは、静かな音楽に合わせて、ゆっくりと踊り出した。
これで、完全完結になります
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
よろしければ、評価を頂けると幸いです。
ルシナ、ルキ達は、これからも穏やかに過ごせるはず。
コハナももっと表情豊かになっていくでしょう。
どんなにつらくても、きっとそばにいてくれる人がいるはず。
そんな思いで書きました。




