番外編⑩ 夜の湖と女神との雑談
「ねぇ、コハナ。私、ちょっと女神さまのところに行くけど、コハナも行く?」
「私はいい」
ルシナが夕食後の片付けをしながらコハナに声をかけると、短い返事が返ってきた。
「外、暗い。一人で大丈夫?」
「うん。コハナが行かないなら、いっそ飛んで行こうかな。暗いし、ここから飛んでいこうと思うの……だめかな?」
「好きにすればいい」
コハナは、じっとルシナを見つめる。
「大丈夫。誰にも見つからない」
コハナは最近、少しだけ未来の話をする。
何を話すかはコハナなりの基準があるようだが、ルシナには、その違いがよくわからなかった。
「ありがとう」
「……ノスタルジア、ルシナ朝まで帰さない。羽織るもの持って行った方がいい」
「え……ってことは、カラオケ大会?」
「うん」
「……覚悟しておく……」
ルシナは厚手の羽織りを肩にかけると、アパートの屋上へふわりと浮かび上がり、辺りを見渡して飛び立つ。
月が陰った今日は、闇に紛れられる。
一気に高度を上げると、ノクターンの鏡湖を目指して、風のように飛んでいった。
*****
空から見た崖上小屋は、見事に粉々になっていた。
「うわ〜……本当に木っ端微塵だ」
ルシナは、どこか他人事のように呟いた。
(ここに運ばれてきて、コハナとフーちゃんに出会って、女神さまから加護をもらった)
どんなに恵まれていたのだろうかと、ルシナは深く息を吐いた。
ここに来るまで、ルシナ……ルシアナ・ハルモニアは、不遇だった。
ふと過去がよみがえり、ルシナは頭を振った。
流美の過去だけ思い出すようにしよう。
親や兄弟、友人に愛されていた流美の記憶だけ……。
(……今はまだ、それでいいよね。受け止めきれない過去だってある)
ルシアナ・ハルモニアは、死んだ。
それでいいじゃないか。
(私は、私……優しい流美と融合した、ルシナだもん)
ルシナは前を向き、湖へ向かった。
ノクターンの鏡湖に着くと、雲が散り、薄い三日月と星が瞬いていた。
「あらぁ〜ルシナじゃない?よく来たわね」
湖の中央に浮かぶノスタルジアが、ゆっくりと振り向いた。
「女神さま、お久しぶりです」
「そうよぉ〜遊びに来てくれるって言ってたから、待っていたわよぉ」
手を振りながら、音も波紋も立てずに、ノスタルジアは湖の縁まで滑るようにやってきた。
「魂の融合は問題なさそうね。流美の本体も向こうの世界で元気みたいよ」
「……そうですか。結局、私は、私……ってことでいいんですよね。流美の魂の半分が残って、ルシアナの魂も半分……。どちらも抱えていなければならない記憶があるんですよね?」
「あら?気付いた?……でも、新しい選択肢を作ってまで、今の自分を選んだんでしょ?」
「……はい」
「ついでに、あの靴屋の坊やと結ばれてるんでしょ?」
「……はい?」
ルシナは首を傾げる。
「なっ……なんで知ってるんですか?」
ルシナは赤面しながら、ノスタルジアを見上げる。
「知ってるも何も、見てたもの」
「……見てたっ……て、どこまで?」
「いや〜ね、そんなしっかり最後まで見るわけないでしょ!そんな野暮なことはしないわよぉ」
(最後までって……)
ルシナは半分涙目になりながら、ノスタルジアを見つめた。
「あと、何か聞きたいことがあって、ここに来たんでしょ?」
ルシナをからかいながらも、ノスタルジアの視線は鋭くなる。
「なんでもお見通しなんですね……」
ノスタルジアは何も言わずにルシナを見据え、続きを促す。
「私が聞きたかったのは、コハナのことと、白い花のことです。コハナはどこから来たんですか?加護のある花って何ですか?」
ノスタルジアは、唇の端をわずかに上げた。
「あらぁ〜たくさん聞きたいことがあったのね〜」
指先を頬に触れ、腕を組むようにして、ノスタルジアは考え込んだ。
「ふ〜む……どこまで教えましょうか……」
ノスタルジアの赤い瞳が輝く。
「まずはコハナね。どこにいたかは、本人に聞きなさい。ただ、この世界ではないところから渡ってきたのよ。肉体ごとね……。流美は魂だけ。流美の魂がこの世界に来た時、ルシナ……ルシアナは酷く傷ついていたの。記憶が曖昧になるほどに……。流美は優しい子ね。涙が出なくなるまで苦しんだルシアナに寄り添おうとしたのよ」
「そうだったんですね……流美は、自転車で転んだだけなのに……」
「そうね……でもね、魂はもっと実直で繊細なの。流美の本質ね……」
ノスタルジアは、ルシナの手を取った。
その手からは、人の体温も肉感も感じられず、まるで人形のようだった。
「コハナも辛い人生だったのよ。それは何となく分かってるんじゃないかしら?なぜ、あの子に表情がないのか……心当たり、あるでしょ?」
「……はい。神託の巫女……私、コハナの神託をねだった人たちが許せないです。あんなに小さい子に選択をゆだねるなんて……自分で決めなさいよ、って」
ルシナは、コハナが淡々と語った時の様子を思い浮かべ、再び怒りが湧いてきた。
「ふふ……貴女らしい怒りね」
ノスタルジアは空を見上げ、手を伸ばす。
「私には、対になる存在がいるの。そうね……貴女たちでいう、双子の姉妹……みたいな感じかしら」
「姉妹……ですか?」
「えぇ……ディスティーヌ……道筋を創る者」
ぽつりとつぶやく声は、湖に落ちていく。
「そして……私は、境界線を創る者……どちらも迷った魂を導く者ね」
ノスタルジアは、ルシナの額に口づけをした。
――静かに眠る魂よ
――行き場をなくした魂よ
――ここに集え
――我らがその魂を癒そう
――我らがその魂を導こう
いつしか、ノスタルジアが歌ったフレーズがルシナの脳裏をよぎる。
「私も、コハナも、ここに来たのは必然……ですか?」
「……必然、とも言える。
我らは、迷った魂を拾っただけ……。
我らにとっては、気まぐれとも言える」
ルシナの眉が寄っていく。
「女神さま、私には何だか難しいです」
「ふふ……そうね。それでいいわ……。いずれ分かる時が来るわ」
ノスタルジアはルシナの頭を撫でると、どこからともなく白い花を取り出し、ルシナに渡す。
「白い花って、これのことね……。妖精の生まれる場所にあるから、ここ以外にも生息しているわよ」
「妖精が生まれる?……妖精さんは、お花から生まれるんですか?」
「えぇ……ステキでしょ?正しくは、女神の加護がある場所から生まれるんだけど、花が一番与えやすいのよ。素直だから……。貴女に加護を与えられたのも、魂が真っ白で素直だからよ」
ノスタルジアは、花の香りをゆっくりと嗅いだ。
「この花の加護の効果も、心が白く素直な人にしか現れないわ。もし、身近に効果があった人がいたなら、大切にしなさい」
「効果がない人は、悪い人ですか?」
ルシナは、恐る恐るノスタルジアを見上げた。
「いいえ……そういうことではないの。自分を強く持っている人や、心を閉じている人には効果が薄いの。悪いことをしていても、魂の本質が白く素直な人なら、効果はあるわ。ただ、悪いことをする人は、効果も信じないでしょうね」
「女神さま、やっぱり私には難しいです」
「……そうね、私も人間は分からないわ。素直と単純にひとくくりには出来ないもの」
「……あの、加護のある花、大切に育てられた花には少しだけあるって聞きました。その効果を高めることって出来るんですか?」
カイの言葉を思い出し、ルシナは顔を上げた。
「そうね……わかんない!」
ノスタルジアは、おどけた顔で手のひらをルシナに向けた。
「加護のつけ方も、習ったわけでもないし……ただ、がんばれ〜って応援する気持ちでつけてたから、今さら分かんないわよ……。せいぜい、“強くがんばれ〜”って思えばいいんじゃない?あとは、受け取る側の気持ちと相性よ!」
「そっ……そうなんですね……」
「うん!あの花を持っていたからといって、ルシナに特別な力があるわけでもないから、何か言われても知らぬ存ぜぬで通しなさい!
ただ、コハナだけは守ってあげて。あの子は、もう未来を読んで伝えて傷つく必要はないわ。あの子のボーナスステージは、ゆっくり笑って過ごすことなの」
「もちろんです!最近、コハナ、少しだけですけど笑うようになったんです。それに、ちょっとした先の話も出来るようになって……。
明日晴れるなーとか、きっとこうなるよ、とか。そんな些細なことですけど……過去や現在の話以外をして、自然な会話が出るようになったんです」
ルシナが明るい表情を浮かべ、少し早口で話す様子を、ノスタルジアは優しく頷きながら聞いていた。
「それは良かった。きっと送り出したディスティーヌも喜ぶでしょう……ところで、ルシナ」
優しい表情から一転、ノスタルジアはルシナを見据える。
「えっ……な、なんですか?」
「今度、靴屋の坊や、連れてきなさいな。ルシナの秘密、知りたがってる……けれど、あの子の優しさなのね。貴女から話すのを待っているわよ。ここに連れてくれば、説明が早くすむでしょう」
「……えっ?ここに……ですか?ルキもここに来れるんですか?」
「えぇ……私が許可するわ。貴女に相応しい男か、私が見極めてあげましょう」
ノスタルジアは、少しだけ意地の悪い表情をすると、ウィンクをした。
「……わかりました。今度、一緒にきます……けど、この崖上までどうやって?国境越えるとか?」
「あ〜うん、滑り台に細工しておく」
ノスタルジアは、ものすごく適当に返事をする。
(……本当に?そんな事出来るの?)
「わかりました〜」
ルシナは、滑り台にどう細工をするのだろうと考えながら、生返事をした。
「さぁ、ルシナの聞きたいこと、私の話したいことは終わったわね」
ノスタルジアは、パチンと手を打ち鳴らす。
「カラオケ大会と行きましょうか!」
妖精たちが、ぱちぱちと光って場を盛り上げた。




