9. 面会
(若松くん視点)
土曜日、俺はあやめの病院に足を運んだ。入院してから初めて会いに行く。治療は順調に進んでいて、来週からはまた続きの治療が始まるらしい。
母さんと一緒に病院に到着した。広いフロアで迷いそうな大学病院。ちらちらと周りを見ながら進んでいく。
白衣を着た医者が通り過ぎるのを見て、胸が少しだけ熱くなった。
――俺は将来、医者になりたい。
あやめの病気がわかり、自分なりに調べるうちに医者に興味が湧いてきた。俺もあやめみたいに苦しんでいる人を助けたい。
そのために数学ができるようになりたくて、重点的に勉強するようにしている。あとは理科の中でも化学が重要なので、そっちも頑張っている。
この大学病院は地域では有名なので、気になっているけれど……まずは普段の学習からだな。
『ありがとう若松くん。おかげで助かったよ』
ふと、数学を竹宮さんに教えた時のことを思い出した。
なんで今……。
「夏樹、あやめは8階よ」
「あ……うん」
母さんに言われて、エレベーターで病棟へ向かう。
8階病棟の扉は二重扉。それだけで重病人を受け入れているような雰囲気だ。病院特有の消毒液の匂いがして、廊下を歩いていく。
4人部屋の窓際のベッドにあやめがいた。
「お母さん、お兄ちゃん」
あやめは少し痩せたように見えたけど、顔は元気そうだ。
「デイルームいこ!」
あやめは点滴台を押しながらゆっくり歩いていた。3人でデイルームのテーブルにつく。窓側は明るくて開放的だ。
「調子はどう?」と母さんが尋ねる。
「先週しんどかったけど、今はもう大丈夫。来週からまたぶっ倒れてると思う」
「薬の副作用?」と俺も聞く。
「うん。吐き気があるんだって」
だから食欲が湧かずに痩せてしまったのか。
「病院食も魚ばっかりだから飽きちゃう。今日唐揚げだって思ったらこんなに小さいの!」
右手で小さい丸を作って笑う姿は、俺がよく知ってるあやめだった。
こんなに元気なのに――病気なんだ。
「カロリー制限されてるのかしらね」と母さんが言いながら、あやめに本を渡す。
「お母さんありがとう! これで退屈せずに済む。まぁどこまで読めるかわからないけど」
病院での生活は、俺の想像以上に孤独なのだろう。気が紛れるものがないと辛くなりそうだ。
そういえば――
「あやめ、竹宮結翔くんって知ってる?」
「うん。最初に話しかけてくれた人だよ」
「結翔くんのお姉さん、俺と同じクラスなんだ」
するとあやめは嬉しそうにしている。
「すごーい、偶然だ!」
「しかもその子、吹奏楽部でフルートなんだよ」
「え? ほんと?」
フルートと聞いて身を乗り出すあやめ。
「私、中学行ったら吹奏楽部入りたいな」
「うん。きっと入れるよ」
俺もそれを強く願っている。
だからどうか――治療がうまくいきますように。
※※※
週明けの月曜。
「若松くん」
休み時間に竹宮さんが席に来てくれた。
「あのさ、数学の宿題でわからないところがあって……」
「どこ?」
「ここなんだけど」
最後の応用問題を指差す彼女。
解き方を教えるとピンときたのか、大きく頷いている。
「ありがとう! さすが若松くんだね」
「ハハ……」
「そうだ、あやめちゃんには会えた?」
あやめの病院に行くことを覚えててくれて、気持ちがあったかくなる。
「うん。思ったより元気そうだった」
「良かったね!」
そして彼女は何かに気づいたような顔をする、
「……きっとお守りも効いてるんだよ!」
「確かに」
「応援してるね」
どんな言葉で褒められるよりも、“良かったね”とか“応援してる”という言葉がすっと入ってくる。
竹宮さんだからなんだろうか。
いや、待て。それは……
「萌々香ー」
「なにー?」
竹宮さんは別の女子のところに行った。
――もう少し話したかったな。
なぜか心の中でそう呟いたが、男子に話しかけられてその思いはいったん引っ込んだ。
※※※
家に帰ると、母さんが慌てた様子で荷物を準備している。
「おかえり、夏樹。次の治療が始まったんだけど、あやめの熱が下がらないらしいの。今日はもしかしたら泊まるかも」
熱が下がらない……?
胸の奥がチクリと痛む。
「そうなんだ。きっと……大丈夫だと思うよ」
ここで母さんを不安にさせちゃいけない。
「そうよね」
母さんはそのまま病院へ向かって行った。
誰もいない我が家。
冷たいすきま風が、俺の背筋を撫でるかのよう。
「……しっかりしないと」
俺は気持ちを切り替えて、学校の課題をしていた。




