8. 名前のない気持ち
「萌々香ー! ニュースニュース!」
朝から佳澄が騒がしい。
「どうしたの?」
まだ梅雨が続いていて怠い。
けれどそんな梅雨の重たさを吹っ飛ばす勢いで、佳澄は喋り出す。
「須藤くんがさ、別れたんだって!」
「え?」
須藤くん。
彼は中1の時に私を振った人だった。
確か春休みに女子と手を繋いで歩いていたよね……?
「ちょっと待って……早くない?」
「だよね。よくわかんないけど」
春休みから付き合いだしたとして、2ヵ月ちょっとで終わっちゃうなんて寂しくないのかな。
「萌々香はどうなの? 須藤くんのことは」
春休みの時はショックだったけど、正直今はもういいかなと思っている。知らなかった、こんなにすぐに吹っ切れるなんて。本当はそこまで好きじゃなかったのかな。
「もう……いいかなって」
「そうなんだ」
「どうして別れたんだろうね」
「さぁ?」
須藤くんとは別のクラスなので、もう会うこともないだろう。そういえば須藤くんと付き合ってた子、けっこう可愛かったな。私にはかなわないぐらいに。ああいう子が“守ってあげたい”子っていうのかな。
その日の昼休み、プリントを提出しに行った帰りに廊下を歩いていると、前のほうに若松くんを見つけた。
「あ、若松く……ん?」
彼の隣にいるのは――須藤くんと付き合ってた子?
なぜだか胸の奥がざわざわして来た。
どうして……?
いや、別に普通に話しかけに行けばいいのに、自分が邪魔しちゃいけないような気がする。そのぐらいふたりがお似合いに見えてきた。
「萌々香、おかえりー」と教室で佳澄が迎えてくれる。
「あのさ……佳澄」
「ん?」
「須藤くんと付き合ってた子、若松くんと仲良さそうに歩いてたんだけど……」
「うんうん……で?」
あれ、佳澄はそんなに驚かないのかな?
気になってるの私だけ?
「あ……まぁ仲良いのかな。アハハ」
「へぇ、萌々香はふたりを見てモヤっとしてるんだ」
顔がほてってきた。
そんなこと……ないはずなのに。
「確かに最近若松くんは人気あるよ。バレー部でも強くてかっこいいって評判だし。背が高い人って憧れるよね」
「そうなの!?」
佳澄はいたずらっ子のように笑う。
「だから萌々香も負けないで♪」
「え、いや……私は特には……」
必死で何かを隠そうとしたけれど、耳まで熱くなっていることは誤魔化せなかった。
すると、若松くんが教室に戻ってきた。
「あ、若松くーん。萌々香が話あるって!」
「ちょっと佳澄! あ! ごめん何でもないの……!」
私は顔を隠しながら自分の席に戻る。
まだ……鼓動がうるさい。
私ったらどうしちゃったんだろう。
※※※
放課後――
今日は全員が部活のない日。
私は課題をしてから、リュックを背負って教室から出る。雨が上がって、雲の隙間から微かに日が差し込んでいた。
中庭に行くと、そこには昼休みと同じように若松くんとあの女子がいた。
女子の顔がちょっと赤いような。
――そんなつもりはなかったのに声が聞こえてくる。
「あたし……若松くんのことが好きです」
「え……」
うそ……告白してる?
やだ、どうしよう。これじゃあまるで立ち聞きしてるみたい。
それでも私はその場から動けなかった。
あの子は守ってあげたくなるような、可愛らしい女の子。だからきっとふたりは付き合うに違いない……。
自分は関係ないのに、とても緊張する。
どうなるのかが気になってしまう。
やけに長い沈黙が過ぎて――
「……ごめん」
聞こえたのはいつもより少し低い、若松くんの声だった。
「俺、そういうのよくわからなくって。今部活とか忙しいし」
その言葉で、私の心が徐々に緩んでいくのがわかる。
若松くんは、あの子と付き合いたいって思わないんだ。可愛いのに。
「……わかった」
女子はうつむいてそのまま去っていった。若松くんと私だけになった中庭に、ふっと風が流れる。
ようやく、私は息を吐いた。
「あれ、竹宮さん」
若松くんに気づかれてしまった。
「今帰り?」
「あ、うん……」
「俺も。一緒に帰ろ」
若松くんは、特に変わらない様子で私に話しかけてくる。まるで、さっき告白されたことも忘れているかのようだ。
校門までの坂を降りていく間、私は何も話せなかった。
あの子からの告白と、若松くんが断っていた声が頭の中をぐるぐるしている。
校門を過ぎて、ようやく若松くんが声をかけてくれた。
「竹宮さん、何かあった?」
「え? あ……」
これ以上誤魔化すのも難しかったので、私は正直に話した。
「さっき、告白されてるの聞いちゃったの」
「そうだったんだ」
「あの子可愛いから……若松くんはオッケーするのかなって……思ってた」
「え?」
若松くんは不思議そうな顔をしている。変なこと言っちゃったかな。
「あの子、ほとんど喋ったことないんだよ。なのに何でああいうこと言うんだろ」
「そうなの? 仲良さそうに見えたけど……」
「全然。いきなり話しかけられて、俺もよくわからなかったんだ」
そうだよね、クラスも違うのにいきなり好きですって……そんなことあるのかな。
「なんだ……てっきり私……」
言いかけて、止まってしまう。
これ以上言うのは恥ずかしい。
何を言おうとしたのかも曖昧だけど。
「竹宮さんとの方が、よく喋ってるからさ……」
彼もそう言って、ぴたっと口元が止まる。
その続き、なんて言おうとしたんだろう。
「ま、まぁこの話はいいから……そうそう週末にあやめの病院行くんだ」
「あやめちゃんに? それは嬉しいね」
「最初の治療が終わったみたいで、順調だってさ」
「良かったね! 若松くん」
※※※
(若松くん視点)
数回ぐらいしか喋ったことのない女子から、告白された。最近よく話しにくるなと思ったら、そういうことだったんだ。
俺はそういうのに興味が湧かなくて、適当に断ったけど。
さらに竹宮さんに見られていたらしい。思わずびくっとしてしまう。
「なんだ……てっきり私……」
そう言って軽くうつむく彼女。
何を言いたかったんだろう。まぁ、大したことないならいいか。
女子って謎だ。
何がどうなって“好き”まで辿りつくのだろう。
俺にはまだそういうのは早い。
けど竹宮さんとはあやめの話だってできるし、一緒にいると安心するような……。
「竹宮さんとの方が、よく喋ってるからさ……」
そう言いかけて、自分をストップさせた。
この続きを言うのが、照れくさかった。
何考えてるんだ、俺は。
被せるようにあやめの話をしてどうにかなった。
「良かったね! 若松くん」
そう言って俺に笑顔を見せてくれる彼女が――雨上がりの空にきらりと光った。




