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30. 年末

 (若松くん視点)

 年末が近づいてきた。体育館が寒くて、冷えた身体をあたためるには時間が必要だ。


「今日、お父さんが帰ってくるから」


 こう言った母さんの声が耳に残る。

 単身赴任中の父さんがこっちに戻るのは、年に2、3回程度。あやめが大変だった時にも、帰ってくることはなかった。仕事だから仕方ないのは、頭ではわかっているけど。


 それでも母さんが苦しい時に、父さんは何をしていたんだろう……とも思う。

 あやめはすでに回復しているので、父さんがどうとは言わないが――


「おい、若松ー!」

 ……いけない。レシーブが決まらなかった。

 今は練習に集中しないと。

 

 俺はまっすぐ飛んできたボールをすくうように、さっと腕を出す。宙に浮いたボールは次の瞬間、同級生のスパイクで地面に叩き落とされた。ダンッという音が、外の寒さまで突き破るぐらいに響く。


「ナイスー」

「次いくぞー」


 味方のトスが俺に届いた。さっき思っていたモヤモヤを吹き飛ばすように大きくジャンプする。目の前のボールに気持ちをこめて地面にぶつけると、コートが汗と一緒に滲んで見えた。


 父さんと会うことに、心の引っかかりは少しある。けれど俺は、バレーの練習でどうにか気を逸らそうとしていた。



 ※※※



「ただいま」

「おかえり、夏樹」

 玄関で靴を脱いでリビングに入ると、奥のソファに父さんが座っていた。仕事なのだろうか、険しい表情でタブレットを眺めている。


「夏樹、久しぶりだな」

「父さん……」


 何を喋ったらいいのかわからない。それが余計に部屋の空気を重くする。

 父さんが帰ってきたら家族が揃うと思ったのに、何かが欠けているようだった。


「仕事は忙しいの?」

「まぁな。だが――」

 父さんが何かを言おうとしていたが、「ご飯よ」という母さんの声に呼ばれる。


 ダイニングに久々に家族4人が揃った。テーブルにはブロッコリーの入ったクリームシチューが並び、湯気が漂っている。

 一口食べると、胸の奥からぬくもりが広がってきた。シチューの温かさだけではない、皆がいるこの空気感がどこか安心を与えてくれるようだった。


「おいしい……お家で食べられるのって嬉しい」

 そう言って笑うあやめ。

 彼女が入院して母さんも病院に行った時は、4人でまた食卓を囲めるなんて思ってなかった。だからこの時間は、俺たちにとっては貴重なものだと感じる。


「……ちょっといいか」

 父さんが口を開く。

 何となく俺たちに緊張が走った。


「2月からこっちに異動になったんだ」


 一瞬、誰も言葉を出せなかった。


「え……?」


 全員が静止して父さんの方を見つめる。

 まだ信じられないけど、異動ってことは……


「本当? じゃあ……」

「ああ、この家に戻る」


 父さんがそう言った瞬間、ようやく我が家に灯がともったような気がした。

 俺はまず母さんの方を見た。胸の中で固く結ばれたものがほどけていくように、母さんの表情が穏やかになるのがわかる。


 それを見て、俺は心からほっとすることができた。ずっと母さんのことが心配だったからだ。

 けれど、顔に出すのはどこか照れくさい。俺は「そうなんだ、良かった」としか言えなかった。


「じゃあお父さんとは、直接話せるね」とあやめ。

 ん? 直接って……?

「タブレットも面白かったけどさ」

「え……あやめ、父さんと話していたのか?」

「うん、たまにだけど」


 聞いたところ、あやめは病院にいる時は2週間に1回ぐらい、母さんのタブレットでテレビ電話をしていたそうだ。もちろん、話せるぐらい調子が良い時だけだが。


「ごめん、夏樹には言ってなかったわね。私も色々必死だったから」

「ううん」

 てっきり父さんはあやめのことなんて気にしていないと思ってたけど、そうじゃなかったんだ。遠くから俺たちのことを見守っていたみたいだ。

 

 離れていても、俺たちはちゃんと――“家族”でいようとしていた。


「夏樹、ありがとう。母さんとあやめのそばにいてくれて」

「父さん……」

 俺の中で抱えていたものが解き放たれるように、ふわりと心が軽くなった。

 

「べ……別に平気だし」

「あら夏樹ったら」

「お兄ちゃん、耳赤い」

「え!?」

「ハハハ……」


 部屋で笑い声が響く。

 忘れていた温かみを思い出すかのように、家の中が小さな光で癒されていくようだった。



 ――食後、父さんとソファに座った。

 背の高さは大して変わらないのに、まだ俺は父さんほど大きくないように感じる。


「異動って……父さんから希望したの?」

「そうだ。向こうでの仕事ももちろん大事だったが、一番は家族(ここ)だからな」

 父さんも同じように悩んでいたのかもしれない。そんな中で、俺たちのために決めてくれた。


「夏樹もそのうちわかるさ」

「……え、あ……そうかな」

「……最後に信頼できるのは、家族だからな」

「……」


 ふっと頭の中に……ももの笑った顔が思い浮かんだ。

 いや待て、まだ家族じゃない。

 けれど、俺にとっては――辛い時に包むようにそばにいてくれた大切な彼女。

 ももとだったら、これからもきっと……


「お兄ちゃん、あのお姉ちゃんのこと考えてる」

 あやめの鋭い一言が飛んできた。

「な……そんなこと」

「そうか、夏樹」

「いや、父さんこれは……」


 すると父さんは静かに頷いてこう言った。

 

「ちゃんと戻れる場所を、大事にな」


「……うん」


 その時、俺は父さんの背中を追って行きたいと思った。

 そして前よりも、家族や彼女のことを守りたい気持ちが芽生えてきた。


 

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