第8話 高価な魔石は、誰のため?
煤の臭いは、一晩経っても完全には消えていなかった。
ルネの仕事部屋のデスクの中央には、昨夜の火災現場から回収された真っ黒な金属箱が鎮座している。セレネス王国の『グランツ工房』が製造した、街灯三十本を統括していた専用の大型魔石――『中央核』の残骸である。
だが、ルネが眉間を寄せて睨みつけているのは、その焦げた箱ではなく、隣に広げられた一枚の書類だった。
「……信じられない。桁を一つ間違えているんじゃないかしら」
それは、地元業者組合から公爵領へと提出されていた、街灯保守に関わる部品の納品書だった。
記載されている専用核の単価は、市場で一般的に流通している同等容量の魔石に比べて、なんと四倍という異常な高値がつけられていた。
さらにルネを苛立たせたのは、備考欄に小さく書かれた一文だ。
『最高の安全を維持するため、本専用核は異常の有無に関わらず、年一回の全数交換を強く指定する』。
三十本もの街灯の負荷を一つに背負わせ、法外な値段の部品を毎年買わせる。安全保証と供給継続を引き換えにした、利用者側だけが抜けられない商売になっていた。
「監査官殿、過去五年分の修理記録と調達台帳を持ってきたぜ」
ノックと共に、分厚いファイルの束を抱えたゲルトとミナが入ってきた。
「ありがとう。さっそく、この専用核の交換履歴と、昔のままの汎用魔石を使っている区画の故障頻度を比較してちょうだい」
三人はデスクに書類を広げ、数字の突き合わせを始めた。
結果は、ルネの予測通りだった。いや、予測以上に露骨で酷いものだった。
「……おかしいですね」
ミナが、計算結果を書き込んだメモを見つめながら首を傾げた。
「このグランツ工房製の高い専用核を入れた区画の方が、安い汎用魔石を使っている古い区画よりも、圧倒的に故障が多くて交換の周期が短いです。高い部品を入れているのに、どうして……?」
「単体の短距離設備なら、高出力の専用核は優秀よ。問題は、三十本もの広域回路へ同じ方式を広げ、保守条件まで一社へ縛ったことです」
ルネはペンを置き、溜息をついた。
「巨大な一つの核に三十本の線の負荷を全部集めれば、当然、無理がかかって焼け切れるのが早くなる。その設計自体が間違っているの」
「なら、どうして組合はこんな割に合わねえ真似を?」
ゲルトの疑問に、ルネは業者組合と結ばれた『契約書』の束を引き抜いて示した。
「契約書の文面を見て。ここには、『セレネス王国の中央認定規格へ統一することこそが、最も確実で安全なインフラ管理である』という思想が繰り返し強調されています」
ルネの指先が追う条文には、認定部品以外を使用した場合、いかなる事故の保証も受けられないという縛りが事細かに記載されていた。
「組合の業者長は、確かにグランツ工房側から個人的なリベートを受け取っていたのでしょう。でも、問題の根っこは彼個人じゃないわ。この『セレネスの認定網から、指定の高額部品を買い続けなければならない』という契約構造そのものが、地方の領地から延々と金を吸い上げる寄生虫のようなシステムになっているのよ」
「なるほどな。安全という名目で、自分たちの規格を押し売りする仕組みってわけか」
ゲルトが忌々しそうに、焦げた専用核の箱を睨みつけた。
昼下がり。
報告を受けたレオンは、執務室に地元組合の業者長を呼び出していた。
昨夜、レオンに契約違反を突きつけられ、青ざめた顔で改修工事に走った業者長は、今も脂汗をダラダラと流して小さくなっていた。
「こ、公爵閣下。仮復電は、認定保証金と祭礼契約を守るためでした。暗い通りで事故が起きれば、それも我々の責任になる。火災を起こす意図など――」
「だから監査官の停止命令を隠れて覆したのか」
レオンは、焼け残った作業票と切断された封印札を机へ置いた。
業者長は言葉を失い、脂汗を流した。
「寛恕を求めるつもりか?」
レオンは冷ややかな灰色の瞳で、机の上の納品書をトントンと指で叩いた。
「セレネス旧式の認定規格への統一。それが安全を担保するという条文を盾に、お前たちは市場価格の四倍もの専用部品を領地に買わせてきた。だが、現実に起きたのは過負荷による発火と、倉庫への延焼だ」
「そ、それは……」
「私は、無能な業者に払う金は一銭も持ち合わせていない」
レオンは立ち上がり、冷徹な宣告を下した。
「グランツ工房をはじめとする、セレネス認定部品の独占供給契約は本日付で破棄する。理由はもちろん、明白な安全維持義務の違反だ。これについて異議は認めない」
「そ、そんな! 契約を打ち切られれば、我々組合は立ち行きません!」
「ならば、適正な価格で勝負しろ。今後は特定の認定業者との随意契約は結ばない。我が領地の基準を満たす汎用部品であれば、すべて公開入札で調達する」
業者長は絶望したようにへたり込み、そのまま護衛の騎士に両脇を抱えられてつまみ出されていった。
一部の人間を罰するだけでなく、仕組みそのものを無価値化する。レオンの手腕は、相変わらず無駄がなく正確だった。
「いいのか、監査官。君の母国の利益を一つ潰したことになるが」
部屋に残ったルネに、レオンが問いかける。
ルネはふっと微笑んだ。
「あの国の利益がどうなろうと、私の知ったことではありません。それに――私は、一部の特権階級しか触れないブラックボックスのような高級品を、決して良い構造だとは思いません」
ルネの脳裏には、町工房の汎用部品で直せるようになった石橋の姿と、それを見て喜んでいた現場の職人たちの顔が浮かんでいた。
「どこにでもある安い部品を使って、地元の職人さんがいつでも簡単に交換し、直せること。一部の人間がいなくても、当たり前に生活が回っていくこと。それこそが、魔法構造の本当の美しさですから」
「……同感だ。一部の天才や特定業者に依存するシステムは、リスクでしかない」
レオンは満足げに頷き、新たな調達計画書にサインを書き入れた。
領地のインフラに寄生していた悪質な契約構造を切り捨て、風通しが良くなった日の夕暮れ。
公爵館の門を、泥まみれの早馬が一頭、駆け抜けてきた。
「王都からの急使です!」
慌ただしい足音と共に、レオンの執務室に一通の封筒が届けられた。
ルネは、レオンのデスクに置かれたその手紙を見て、ピタリと動きを止めた。
上質な羊皮紙の封筒。だが、何よりルネの目を引いたのは、そこに押された血のように赤い封蝋だった。
深く刻み込まれているのは、双頭の鷲――セレネス王家の紋章である。
レオンがナイフで封を切り、中の書面を素早く目で追う。その端正な顔立ちに、微かな険が走った。
「……セレネス王国の王太子からの、正式な召還状だ」
レオンは静かな声で、書面の内容を読み上げた。
「『王都南環結界の破断事故に関する重要参考人として、魔法構造監査官ルネ・エルフォードの即時帰国を命じる』……だそうだ」
ルネは小さく息を呑んだ。
婚約を破棄し、解任の言葉と共に自分を追放したアルベルト。その彼が、今になってルネを呼び戻そうとしている。
窓の外では、完全に日が落ち、夜の闇が広がっていた。セレネス王宮の未練がましい手が、ここまで伸びてこようとしていた。




