第7話 火事の夜、魔法陣を剥がす
秋の訪れを祝う収穫祭の夜。
本来なら消えているはずの未改修区画の街灯が、突然、白すぎる光を放った。
ルネが北通りへ駆け込んだ時には、切断したはずの回路へ無断の迂回線が差し込まれ、屋台の追加照明まで同じ線にぶら下がっていた。停止を前提に組んだ安全計画へ、予告なく負荷が戻されたのだ。
ギィィィン、という耳障りな高周波が鳴り響く。旧式の中央核がどす黒い赤光を放ち、パンッ、と弾けた。
先頭の街灯から噴き上がった青白い火花が支柱を駆け上り、すぐ隣の木造倉庫の屋根へ燃え移った。
「火事だァッ!」
「逃げろ! 火が回るぞ!」
祭りの喧騒は一瞬にして悲鳴と怒号に変わり、人々が我先にと逃げ惑う。
「ルネ先生! 火が!」
「ミナさん、工具箱を持ってきて! ゲルトさんたちも呼んで!」
ルネは燃え盛る街灯に向かって駆け出した。その直後、通りの反対側から、手押しポンプと水桶を持った自警団の消火隊が怒涛の勢いで到着した。
「構わん、一気に水をかけろ! 水魔法を使える奴は前に出ろ!」
消火隊の隊長が声を張り上げ、隊員たちが倉庫と街灯に向けて放水の準備を始める。
「待って! 放水は止めて!」
ルネは隊員たちの前に両手を広げて飛び出し、身を挺してそれを遮った。
「どけ、小娘! 燃え広がっちまうだろうが!」
「普通の水は駄目です! 今は魔力線が逆流して短絡している状態なの。そこに水をかければ、水自体が魔力の導線になって大爆発を起こします! あなたたちも魔力に打たれて大火傷しますよ!」
「なっ……なんだと!?」
魔法の知識がない消火隊員たちが、ホースを持ったまま戸惑いの声を上げる。炎は確実に倉庫の屋根を侵食している。
「ルネの言う通りだ。消火隊は水を使うな!」
混乱する現場を切り裂くように、重く鋭い声が響いた。
人混みを掻き分けて現れたのは、黒い外套を羽織ったレオンだった。その冷徹な灰色の瞳と、公爵という絶対的な立場の威圧感に、消火隊員たちの動きがピタリと止まる。
「公爵閣下……! しかし、このままでは――」
「水の代わりに消火砂を使え。街灯には近づかず、周囲の建物への延焼を防ぐことだけを考えろ。そして手の空いている者は民の避難誘導だ」
レオンは淀みなく指示を飛ばし、完全に現場の指揮権を掌握した。技術的な判断はルネに任せ、自分は人を動かして被害を抑える。その明確な役割分担が、パニックになりかけていた現場に強烈な秩序をもたらした。
レオンがルネに視線を向ける。
「燃えている街灯はどうする?」
「魔力の供給元から切り離すしかありません。大元の線を切ります!」
ルネは工具箱を抱えて追いついてきたミナに向かって叫んだ。
「ミナさん、私についてきて! 燃えている街灯に水をかけないなら、こっちから魔力のネットワークを殺します!」
遠隔像では足りない。魔力流を断つには、自分の足で危険な結節点まで走るしかなかった。
ルネは炎の熱風を肌に感じながら、燃え盛る倉庫のすぐ横の石畳を指差した。
「そこ! その石を剥がして!」
「はいっ!」
ミナが持っていたバールを石畳の隙間にねじ込み、渾身の力で跳ね除ける。露出した土の中に、どす黒く脈動する太い導線が見えた。
「解け!」
ルネは地面に膝をつき、両手で魔力の糸を掴み取るようにして【再配列】を発動させた。物理的な線を切るのではなく、魔力の流れそのものを強制的に断ち切る。
バチンッ、という音と共に、燃え盛っていた街灯への魔力供給が途絶えた。
だが、まだ足りない。直列で繋がっている以上、後ろの街灯から逆流してくる可能性がある。
「次! 十メートル先!」
ルネとミナは煤で顔を真っ黒にしながら、通りの共通導線を順番に掘り起こしては切断していった。魔力の供給路を物理的に絶つため、まだ燃えていない先の街灯まで意図的に消灯させていく。
パツン、パツンと、北通りの明かりが順番に落ちていく。光が消えるたびに、猛威を振るっていた青白い魔力の炎は急速に勢いを失い、ただのくすぶる木材の火へと変わっていった。
魔力の暴走さえ止まれば、あとは自警団の消火砂で十分に対処できる。
最後の火種が白い煙を上げて鎮火した時、ルネはその場にへたり込んだ。
見上げれば、倉庫一棟の半分ほどが黒焦げになっていたが、周囲の家屋への延焼と致命的な人的被害は食い止められていた。
*
翌朝。
焦げ臭い匂いが残る北通りには、昨夜の騒ぎを聞きつけた多くの領民たちが集まっていた。
彼らの目は、はっきりと分かれた通りの「境界線」に釘付けになっていた。
境界線の奥――未改修のまま残されていた二十本の街灯区画は、火元の倉庫を中心に煤け、無惨な姿を晒している。
しかし、境界線の手前――ルネたちが昨日の夕方までに「五本ずつのグループ」へ分割改修を終えていた区画の街灯は、火災の余波を全く受けることなく、傷一つなくピンピンと建っていたのだ。
「すげえ……」
誰かがポツリと漏らした。
「監査官様が昨日直してた方の街灯は、全然燃えてねえぞ」
「やっぱり、あっちの古いままの配線が危なかったんだ……」
言葉でどれだけ危険性を説くよりも、この光景がすべてを物語っていた。ルネの予測と、それを防ぐための改修工事が間違いなく正しかったことが、誰の目にも明らかな形で証明されたのだ。
「重傷者と死者はいません。煙を吸った方が三人、消火で手を火傷した方が一人。全員、治療所で歩けています。倉庫の荷物も半分は無事です」
ススだらけの顔を拭いながら、ミナがゲルトと共に瓦礫の山から戻ってきた。
ゲルトはまず、切断された赤い封印札と、遮断器の裏へ差し込まれていた焦げた迂回線を地面へ置いた。線の金具には業者組合の刻印があり、作業票には業者長の署名が残っている。
「俺たちが止めた回路を、祭りの直前に誰かが戻した。現場が危ないと分かっていても、認定保証と契約を失う方が怖かったらしい」
続いてゲルトは、ひどく焼け焦げた金属製の箱を下ろした。
「それと、火元になった街灯の根元から、こいつが出てきたぜ」
ドサリと足元に置かれたのは、三十本の街灯を無理やり統括していた、あの旧式の『中央核』を収めた箱だった。
ルネはしゃがみ込み、まだ温かい箱の表面の煤を布で拭い去った。
そこに刻まれていた銘板の文字を見て、ルネの目が細められる。
『グランツ工房製・特別仕様核』
それは、セレネス王国の建設院総監、マルセル・グランツの親族が経営する工房の名だった。
さらに、銘板の下部には、誇らしげな宣伝文句が深く刻まれている。
『大いなる単一の核への集約こそが、唯一絶対の安全を保証する。セレネス中央認定規格・最高級魔石使用』
ルネは、箱に刻まれたその言葉をじっと見つめた。
安全を保証するどころか、過負荷を起こして燃え上がった醜い残骸。
単なる部品の劣化ではない。この巨大な核にすべてを依存させ、それが正しいと信じ込ませる「思想」そのものが、人を危険に晒しているのだ。
(……マルセル総監。あなたの言う大いなる文明とやらは、ただの時限爆弾だわ)
ルネは焦げた銘板から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
直すべき欠陥は、目に見える配線だけではない。この国を蝕む、間違った規格という病そのものを根本から剥がさなければならないと、ルネは決意を新たにしていた。




