第33話 信じるだけでは、国は動かせない
国際工務会議の大ホールで、ルネが大陸規模の大災害を警告してから、すでに七日間が経過していた。
ルネとレオンはこの七日間、決して手をこまねいていたわけではない。王都近郊の演習場に実物大の試験結界を建設する突貫工事。他国の代表たちに、実験への参加と結果の承認を確約させるための泥臭い政治交渉。そして、結果に一切の言い逃れをさせないため、セドリックら有能な技術者を総動員して行った測定系機器の厳密な校正作業。
誰の目にも明らかな「客観的証明」の舞台を整えるために、どうしてもそれだけの時間が必要だったのだ。
だが、演習場の仮設テントの中で図面を見つめるルネの顔には、濃い焦燥が滲んでいた。
「……残り、二十七日」
ルネは無意識に鉛筆の尻を噛んだ。
地脈反転の中心予測日までは、あと二十七日。地脈の揺らぎという誤差を考慮した「最短発生日」に至っては、あと二十四日しか残されていない。
一国の、ましてや大陸規模のインフラを対策するには、気が遠くなるほど短すぎるタイムリミットだった。
「焦るな、エルフォード。まずは目の前の連中を現象で黙らせるのが先だ」
テントに入ってきたレオンが、ルネの肩にポンと手を置いた。
「準備は整った。さあ、君の正しさを証明してこい」
演習場に設けられた観覧席には、各国の工務卿やインフラの専門家たちが、重苦しい顔つきで並んで座っていた。その中には、腕を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らすセレネスのマルセル総監の姿もある。
彼らが見下ろす広大な広場の中央には、セレネス旧式の『単核式』と、ルネの『多点格子式』を比較する、二つの実物大試験結界がそびえ立っていた。
都市結界を丸ごと造ったのではない。中央核と主要負荷経路を実物大で再現し、周辺区画は試験用に簡略化してある。
観覧席と試験区画の間には三重の防護壁が築かれ、観覧席側には独立式の避難扉も用意されていた。
「これより、地脈反転に伴う逆位相魔力の負荷実験を開始する!」
中立の立場として計測を取り仕切るセドリックが、よく響く声で宣言した。
「第一実験。セレネス旧式規格・単核式結界!」
技師たちが巨大なレバーを引き、特殊な魔力発生器から、人工的に作り出された『逆位相』の地脈魔力が単核式結界へと注ぎ込まれた。
マルセルが先日提出した安全証明書によれば、通常方向の過負荷であれば、この結界の中央核は五倍の魔力にも耐えられるはずだった。
だが、逆位相の魔力は全く異なる牙を剥いた。
ヴィィィィン……ッ!
結界の頂点に据えられた巨大な位相安定晶が、聞いたこともないような不快な高周波を発し始めた。逆流してきた魔力が、巨大な魔石の内部で行き場を失い、自らの魔力とぶつかり合って恐ろしい速度で自己増幅(共振)を始めたのだ。
「セドリック先生! 出力計の針が振り切れます! 想定値の三倍を突破!」
計測班の悲鳴じみた報告が上がる。
「危険だ! 緊急停止! 直ちに魔力を遮断しろ!」
セドリックの怒号を受け、技師が慌てて緊急停止のレバーを叩き落とした。外部からの魔力供給は完全に断たれた。
しかし、時すでに遅し。
中央核の内部で極限まで膨れ上がった共振のエネルギーは、もはや止まることを知らなかった。
パキ、パキパキパキッ!
ひび割れる音が響いた直後。
ドゴォォォォンッ!!
耳を劈くような大爆発が演習場を揺るがした。
巨大な位相安定晶が内部から弾け割れ、無数の鋭い破片となって最内側の防護壁に深々と突き刺さる。結界は跡形もなく消え去り、後には黒焦げになった無惨な台座だけが残された。
「ひっ……!」
「ば、馬鹿な……安全証明では、絶対に壊れないはずでは……」
観覧席の各国の代表たちが、青ざめた顔で立ち上がる。マルセルは信じられないものを見るように、ポカンと口を開けて固まっていた。
単核式の致命的な脆さが、言葉ではなく、覆いようのない物理現象として客観的に証明された瞬間だった。
「騒ぐな! 実験はまだ終わっていない!」
セドリックが拡声魔導具で一喝し、観覧席の混乱を力ずくで押さえつけた。
「第二実験! ノルガルド新規格・多点格子式結界!」
再びレバーが引かれ、先ほどと全く同じ、狂暴な逆位相の魔力がルネの結界へと注ぎ込まれる。
バチバチバチッ!
結界を構成する無数の細い魔力線が、逆流する負荷を受けて赤く明滅する。
次の瞬間、パァン、パァン! と乾いた破裂音が連続して鳴り響いた。
多点格子の一部を構成していた末端の陶石モジュールが、意図的に焼き切れたのだ。それは欠陥ではない。ルネが組み込んだ、システム全体を救うためのフェイルセーフだった。
一部の回路を自ら切り捨てることで、逃げ場のない致死的な魔力を安全な方向へ迂回させ、熱として外へ逃がす。
煙が上がり、結界の光は一時的に弱まった。だが、中央の構造はしっかりと生き残り、防衛インフラとしての最低限の機能を示す青い光を放ち続けていた。
「……計測結果、出ました」
セドリックが計器の数値を確認し、深く息を吸い込んで、高らかに宣言した。
「出力は一時的に低下したが、結界の全体機能は維持されている。魔力の暴走および自己増幅は確認されず。……繰り返す、多点格子式は生存した!」
国際標準の形式で記録されたその宣言は、セレネス旧式の絶対的な安全神話に、完全なる終止符を打つものだった。
観覧席は、もはや反発の声を上げる者はおらず、ただ迫り来る大災害の恐怖と、目の前で生き残ったルネの技術への畏怖に包まれていた。
その日の午後。演習場に併設された会議室は、パニックに陥りかけた各国の代表たちによる、緊迫した対策協議の場と化していた。
「エルフォード院長! すぐに我が国の結界も、この多点格子式に作り替えてくれ!」
「我が国が先だ! 予算ならいくらでも出す!」
すがりつくように懇願する代表たちに、ルネは冷や水を浴びせるように首を横に振った。
「不可能です」
ルネは会議室の黒板に、『24』という数字を大きく書き殴った。
「どんなに予算を積まれても、物理的な時間が足りません。最短発生日までは、あと二十四日。今から大陸中の巨大インフラを解体して全面改修するなど、現実的に不可能です。間に合いません」
「そ、そんな……では、我々は座して死を待つしかないとでも言うのか!」
「そうは言っていません」
ルネは黒板の数字を指の背でトントンと叩いた。
「新しい設備を作るのが無理なら、今ある危険な設備を止め、人をそこから遠ざければいいんです」
ルネの助言を受け、レオンが国際工務同盟の議長として、加盟国共通の『最低限の緊急手順』を即座に提示した。
一つ、高負荷の単核設備は、自己増幅を起こす前に先行して稼働を停止させること。
二つ、病院や水源といった命に関わる施設は、危険な主幹線から物理的に切り離し、独立蓄積槽へと移行させること。
三つ、崩壊の危険が高い脆弱な区画から、段階的に市民を安全な場所へ避難させること。
それは、インフラの維持を諦め、ただ『人の命を救うこと』だけに特化した、極めて現実的で冷酷な救命処置だった。
「……背に腹は代えられん。同盟として、この緊急手順を即日採択する!」
議長国を含む全会一致で、その方針が決定された。
夜。ノルガルド王宮。
緊急の御前会議で、国王はルネとレオンを前に、力強い声で決断を下した。
「我が国も、最短二十四日で国全体を完成改修するような夢物語は追わん。だが……病院、水源、避難路。そして国境の防衛結界。国家の『命綱』となる重要ノードだけは、何としてでもこの期間内に多点格子へと切り替えよ」
「はっ。国家の総力を挙げて、やり遂げてみせます」
レオンが深く臣従の礼をとり、ルネもそれに続いた。
その時、王宮の窓の外で、王都の上空に向けて数条の赤い光が打ち上げられた。
それは、国際工務同盟の緊急通信網を通じて、大陸中の加盟国へ向けて一斉に緊急停止と避難手順が発信された合図だった。
ルネは窓越しにその赤い光を見つめ、静かに拳を握りしめた。
大陸全土が、迫り来る未曾有の大災害への迎撃態勢へと、ついに大きく舵を切ったのだ。




