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「完成印は押せません」婚約破棄・追放された魔法監査官は、冷酷公爵の国を立て直す~戻れと言われても契約済みです~  作者: 他力本願寺


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第29話 高級部品を、規格ごと不要にする

防護ガラスの向こうで真っ二つに割れた陶石の欠片を前に、ルネは深くため息をついた。


 だがそれは、実験が失敗したことへの落胆ではない。


「……私としたことが、なんて醜い発想をしていたのかしら」


 ルネは自分の額をペチッと叩いた。


 高純度で熱に強い位相安定晶と、ただの耐熱陶石。性質も限界値も全く異なる二つの物質を、同じ形の変換留点にはめ込み、同じ働き方をさせようとする。その考え方自体が、素材の特性を無視したひどく不格好なものだったのだ。


 ルネは試験台の上に広げてあった旧式主幹線との接続図面をひったくると、バサッと裏返した。


 真っ白な裏面に、鉛筆を猛烈な勢いで走らせる。


「ルネ先生……? どうしたんですか?」


 ミナが心配そうに覗き込むが、ルネの耳には入らない。脳内で無数の魔力線を解体し、再構築し、あらゆるパターンをシミュレートしていく。


「おい監査官殿」


 難しい顔で唸るルネに、ゲルトが腕を組んで呆れたように声をかけた。


「さっきから何を難しく考えてるか知らねえが、一個の石ころに王都中の負荷を背負わせるから割れるんだ。荷車と同じだろうが。重すぎるなら、引っ張る人数を増やして重さを分散させりゃいいだけじゃねえか」


 ピタッ、と。


 ルネの鉛筆が止まった。


「……ゲルトさん」


「ん? なんだよ」


「あなたって人は……最高です!」


 ルネはバッと顔を上げ、満面の笑みで叫んだ。


 現場の鬼軍曹が口にした、ごく当たり前の物理法則。それが、ルネの脳内で詰まっていたパズルの最後のピースを見事にはめ込んだ。


「そうよ、どうして気づかなかったの! 末端の橋や街灯の負荷を分散させてきたのに、どうして旧主幹線との『接続部分』だけは、大きな変換留点一つで受け止めようとしていたのよ!」


 ルネの鉛筆が、再び、今度は滑るような速さで動き始めた。


「主幹線との接続位相差そのものを、数十の留点へ切り分けて分散させます。これまでの局所多点格子を、主幹線との接続部にまで拡張するんです。名付けて【低負荷多点接続】!」


 ルネが描き出した図面は、これまでの常識を覆すものだった。


 巨大な滝の水を一つの太いパイプで受けるのではなく、無数の細い水路に分けて穏やかに流す。そうすることで、一つの留点が受ける負荷は、従来の数十分の一にまで激減する。


「負荷が下がれば……そうか!」


 ミナがハッとして、割れた陶石の欠片を見た。


「ええ。この低負荷環境下なら、耐熱陶石は高級晶の『代用品』ではなく、安価な『絶縁・交換部材』として機能する見込みが立ちます」


 ルネは力強く頷いた。


「一個の留点にかかる熱はたかが知れています。もし許容量を超えて陶石が一つ割れても、他の留点が力を迂回させるから主幹線は止まらない。あとは割れた陶石だけを、現場の職人がパズルのように新しいものと交換すればいい。……材料は、国内の窯でいくらでも量産できるわ」


 翌日。


 構造院の執務室でルネの新しい接続図面を見せられたセドリック・アーレンは、しばらくの間、図面とルネの顔を交互に見比べ、やがて肩を震わせて高笑いした。


「……ははっ! これは、やられたな。完全に一本取られた」


 王都一の魔法建築家である彼は、即座にこの図面の意味を理解した。


 高純度の位相安定晶の存在を前提とし、極限まで無駄を削ぎ落として出力を高めてきた彼自身の美しい単核塔。それが、この瞬間に完全に「旧規格」になったのだと悟ったのだ。


「高級な部品を手に入れられないなら、その部品を必要とする規格そのものを過去にしてしまう。君という技術者は、本当に恐ろしいな」


 だが、セドリックの顔に悔しさはなかった。むしろ、新しいおもちゃを与えられた子供のように瞳を輝かせている。


「いいだろう。この陶石を使った多数の留点ユニット、私なら現場の人間がもっと交換しやすいように、カートリッジ式に意匠を洗練させられる。点検用ののぞき窓も付けようじゃないか」


 彼はすぐさまルネの隣に座り、楽しげに図面の改良を始めた。


「これで、少なくとも生命線設備の改修は、輸出規制だけでは止められませんね」


 ルネがほっとしたように言うと、セドリックはペンを動かしながら「いや、それどころじゃないさ」と皮肉っぽく笑った。


「おそらくセレネス王国は、いずれ我が国が『安い陶石』を使っているという噂を聞きつけ、自分たちも真似しようとするだろう。だが、短期間で真似ることは不可能だ」


「ええ。単核式と多点格子式は、留点の負荷設計から保護手順まで、構造の前提が全くの別物ですから」


 ルネの言葉に、セドリックは頷く。


 セレネス式の単核式インフラに、耐熱陶石をそのまま差し込めば、昨日ルネが実験したように最初の高負荷で即座に大爆発を起こす。


「セレネスがこの安くて止まらない規格に移行したければ、彼らの誇る巨大な主幹線を区画ごとに長期間停止させ、変換接続器を挟みながら、年単位で段階更新していくしかない。……部品の輸出を止めて首を絞めようとした結果、自分たちのインフラ構造そのものが『時代遅れ』にされたと気づいたら、あちらの総監殿はどんな顔をするだろうな」


 それは、資源の独占にあぐらをかいていたセレネスに対する、最も残酷で、最も技術者らしい反撃の形だった。


 もっとも、ルネにとってそれは意趣返しなどではない。


「とはいえ、超高出力の専用核の直近や、製鉄所などの特殊施設には、単点で莫大な負荷を受け止められる位相安定晶が今後も絶対に必要です。彼らが持っている資源の価値そのものがゼロになるわけじゃありませんよ」


 ルネはあくまで冷静に、事の事実だけを述べた。


 だが、もはやノルガルドの国家改修において、彼らの資源は「絶対の命綱」ではなくなったのだ。


 その後三日三晩、構造院の隔離試験場では、同一設計の試作機を複数用意し、過負荷、凍結、振動、連続稼働の試験が並行して繰り返された。


 陶石モジュールは七十二時間の連続負荷を通過し、留点の一割を意図的に破損させても主幹線全体は停止しなかった。三つの窯元に焼かせた試作ロットの差も、セドリックの設計班と独立監査室が別々の測定具で照合した。


 その記録に双方の署名が揃って初めて、レオンは病院、水源、避難路に限る第一陣の出発許可へ署名した。


 一週間後。


 王都の巨大な広場には、何十台もの大型馬車が列をなして集結していた。


 その荷台には、国内の窯元で不眠不休で焼き上げられ、セドリックの設計によってカートリッジ式に洗練された『陶石モジュール』が、山のように積み込まれている。


 馬車の周りでは、公爵領から集められ、そして王都で新たに訓練を受けた現場の職人たちが、慌ただしく出発の準備を整えていた。


「おい、第三班! 北部の寒冷地仕様のモジュールは積み忘れねえな!」


 馬に跨ったゲルトの野太い号令が、広場に響き渡る。


「よし、全員揃ったな! まず一か月で、病院、水源、避難路みてえな命綱から止まらなくする! 住宅や街灯は、その後に順番だ!」


「おおおおっ!!」


 職人たちの力強い鬨の声が上がり、第一便の馬車がゆっくりと車輪を回し始めた。


 セレネス王国による悪意の封鎖を越え、ルネ・エルフォードが設計した新しい標準が、今、王都からノルガルド全土へ向けて力強く脈打ち始めていた。

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