第28話 セレネスが、部品の輸出を止めました
その朝、第一陣の出発を目前にして。
ルネは、新設された構造院の長として、現場監督のゲルト、助手のミナと共に王都の資材倉庫へと足を運んでいた。
これから全国の地方へ派遣される改修班に、新しい規格の機材と部材を持たせて送り出すためだ。しかし、巨大な第一倉庫の扉を開けた瞬間、三人は言葉を失った。
「……おい。どうなってやがる」
ゲルトが低く唸る。
山積みになっているはずの木箱が、一つもなかったのだ。
「管理官! 今日出発する第一陣に積む『位相安定晶』はどこだ! まさか船の到着が遅れてるなんて間抜けな報告をするつもりじゃねえだろうな!」
ゲルトが倉庫の奥から飛び出してきた管理官の胸ぐらを掴まんばかりに怒鳴る。しかし、管理官は真っ青な顔で首を激しく横に振った。
「ち、違うんです! 商人の手違いでも、嵐で船が遅れているわけでもありません! セレネス王国の議会が、昨日の夕刻に法案を通したんです!」
「法案……?」
嫌な予感を覚え、ルネが一歩前に出た。
「ええ! 『軍民両用の戦略魔導資材保護法』です! これを名目に、セレネス王国からの位相安定晶の輸出許可が、即日停止されました! 我が国に向かっていたはずの船は、すべて出港を差し止められています!」
軍需資材の輸出規制は議会所管で、王太子府の事前同意を要しない。建設院とグランツ工房に近い保守派は、ノルガルドで新たな国家暫定標準が採択されたことを受け、王太子の頭越しに輸出停止を可決したのだ。
王太子個人の反省とは別に、既得権を守る制度はなお生きていた。
それを聞いた瞬間、ルネは足元がぐらりと揺れるような錯覚を覚えた。
位相安定晶。
それは、膨大な魔力の位相差を安定させるための、極めて純度の高い特殊な魔石だ。
ルネはこれまで、公爵領の橋や街灯、南三区の末端設備などを次々と多点格子化し、高価な専用核への依存を外してきた。だが、ノルガルドの都市と都市を繋ぐ巨大な「既存主幹線」自体は、いまだに旧式の単核網のままなのだ。
新しく作り上げた多点格子網を、その巨大な旧主幹線に接続して魔力をもらうためには、凄まじい位相差を一箇所で吸収して変換する『変換留点』がどうしても必要だった。そして、その一点の変換留点には、セレネス王国が精製技術と鉱山契約を長年独占している高純度の『位相安定晶』が、事実上必須なのである。
マルセル総監の暗躍の証拠を掴ませない、国家の主権行為による合法的な輸出規制。
これでは、どれだけレオンに権力があろうとも、他国の法案を命令一つで覆すことなど不可能だ。
急遽、公爵館へと引き返したルネに、レオンは執務デスクから一枚の羊皮紙を滑らせた。
「報告は聞いている。通商官が以前から北方同盟と詰めていた緊急相互融通協定を発動し、他国に回るはずだった位相安定晶の代替輸入枠を押さえた」
「えっ……! もうですか!?」
ルネは目を丸くした。封鎖を見越して通商官に代替路を探らせていた備えと、その協定を即座に動かした決断が、完全な供給断だけは避けていた。
だが、レオンの灰色の瞳は厳しい色のままだった。
「喜ぶのは早い。代替枠を押さえたとはいえ、迂回ルートを通る以上、第一便の到着は最短でも六週間後だ」
「六週間……」
ルネの顔から血の気が引いた。
それでは遅すぎる。国家改修のスケジュールは、冬の魔力需要期を迎える前に生命線を切り替えるという、一日も無駄にできないギリギリの工程で組まれているのだ。六週間も部品を待っていれば、改修は完全にストップし、その間に旧式インフラが限界を迎える危険は日ごとに増していく。
「……セレネス王国は、私たちの改修を物理的に止める気なのね」
ルネはギリッと唇を噛み締めた。
いくら地方網を多点格子に分散させても、旧主幹線との『変換接続点』に一つの高級部品を使う限り、そこが単一障害点となり、セレネス王国に首根っこを掴まれ続ける。その構造的な弱点を、マルセルたちは正確に突いてきたのだ。
(……なら、どうする?)
ルネは頭の中で猛烈な速度で計算を回し始めた。
六週間待つわけにはいかない。だが、位相安定晶なしで旧主幹線と繋げば、変換留点が熱でメルトダウンを起こす。
(部品を探すんじゃない。一つの部品に依存する『接続思想』そのものを捨てるのよ……! 私の多点格子を、第二段階へ進化させるための!)
ルネが図面に覆い被さるようにして思考の海に沈み込もうとした、その時。
「ルネ先生! あの、少しよろしいですか?」
仕事部屋の扉が開き、ミナが両手で何かを抱えるようにして入ってきた。
「どうしたの、ミナさん」
「これ、さっきゲルトさんに聞いて、王都の窯元から急いで持ってきたんです」
ミナがデスクの上にゴトリと置いたのは、赤茶色をした分厚い石の欠片だった。
「地元の窯元で、炉の壁に使われている『耐熱陶石』です。これ、王都の近郊でいくらでも安く焼けるし、熱にはすごく強いんですけど……これを削って、位相安定晶の代わりに留点材として使えませんか?」
ミナの素朴な提案に、ゲルトが後ろから呆れたように声をかけた。
「おいミナ。そりゃあ熱には強いが、ただの安い焼き物だぞ。あの高級な魔石の代わりになるわけがねえだろうが」
だが、ルネはミナの持ってきた耐熱陶石を手に取り、その表面を指先でなぞった。
「……いいえ、やってみる価値はあります。まずは同じ形の変換留点へこの陶石を入れて、一対一の代替試験をしてみましょう」
「本当ですか!?」
ミナが顔を輝かせる。だが、ルネの表情は極めて冷酷な技術者のそれだった。
「ええ。でもミナさん。これだけは先に言っておきます。今の私たちの設計図のまま、位相安定晶と同じだけの集中負荷をこの陶石に受けさせれば……確実に、性能不足で割れます」
「えっ……」
一時間後。
構造院の地下に設けられた隔離試験場。
頑丈な防護ガラスの向こう側には、旧式主幹線と同等の魔力負荷を発生させる装置と、そこへ接続するための単核型の試作変換留点が設置されていた。留点の中央には、ミナが持ってきた耐熱陶石が削られてはめ込まれている。
「魔力供給、開始します。出力、三割……五割……」
試験技師の声が響き、装置が低く唸りを上げ始める。
陶石に膨大な魔力の位相差が流れ込み、赤茶色の表面が危険なほどの高熱を帯びて赤熱し始めた。
「出力八割……旧式主幹線の通常負荷に達します!」
その直後だった。
ピキィン……ッ!
鋭く乾いた音が試験場に響き渡った。
防護ガラスの向こう側で、耐熱陶石の表面に一本の亀裂が走り――次の瞬間、パァン! という破裂音と共に、陶石は真っ二つに割れて砕け散った。
行き場を失った魔力が火花を散らして短絡し、安全装置が働いて強制終了のサイレンが鳴り響く。
「ああ……やっぱり、駄目か」
ゲルトが落胆の声を漏らし、ミナも肩を落とした。
セレネス旧式の高級魔石を、地元の安い陶石でそのまま代用するなど、やはり都合の良い夢物語だったのだ。誰もがそう思い、重い空気に包まれた試験場の中で。
ただ一人、ルネ・エルフォードだけが、真っ二つに割れた陶石を見つめ、魅入られたように目を輝かせていた。
「……素晴らしいわ」
ルネの唇に、挑戦的で、どこか嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「代替材料なんて、最初から探す必要はなかったのよ。……ええ、捨てられるわ。高級材料を必要とする『構造そのもの』をね」




