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「完成印は押せません」婚約破棄・追放された魔法監査官は、冷酷公爵の国を立て直す~戻れと言われても契約済みです~  作者: 他力本願寺


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第23話 三つの役所と一つの魔法陣

実証試験二日目。石畳が剥がされた南三区のメインストリートで、ぽっかりと口を開けた地下の暗がりを覗き込んだルネは、あまりの惨状に頭を抱えたくなった。


「これは……ひどい。ひどすぎます」


 ルネの【構造眼】が捉えたのは、幅わずか一メートルほどの狭い地下溝の中で、三種類の異なる魔力線が互いの首を絞め合うようにドロドロに絡み合った光景だった。


 波長も太さも全く違う線が、何の絶縁処理もされずに束ねられている。そのせいで魔力が激しく干渉し合い、暗い溝の中でバチバチと赤い火花を散らしていた。


 傍らで図面を確認していたミナが、顔をしかめて報告する。


「ええと……青い線が『水道局』の給水管、黄色い線が『治安維持局』の防犯結界、そして緑色の線が『商業局』の市場冷却網です」


「つまり、この溝の同じ空間を、三つの役所が共有しているのね」


 ルネは忌々しそうに、絡み合った線の一本を指差した。


「見てください。水圧を上げるために青い線を太くしたせいで、隣の緑の線が壁に押し潰されて魔力不全を起こしています。これじゃあ、市場の氷が溶けるわけです。逆に緑の線を直そうとすれば、今度は黄色い結界線が短絡する。修理のたびに業者が別の設備を押し潰して、自分の線だけを上書き敷設しているんです」


 市場の冷却を直せば水が止まり、給水を直せば結界が落ちる。


 これが、南三区の住民を苦しめている生活被害の根本的な原因――無計画なインフラの継ぎ足しが生んだ、物理的な魔力渋滞だった。


「問題の原因ははっきりしました」


 ルネは立ち上がり、背後に控えていたレオンを見た。


「公爵様。この線の持ち主たちを、今すぐ会議室に集めてください」


 一時間後。王宮の工務局に設けられた会議室は、三つの局の役人たちの怒号で満たされていた。


「だから言っているだろう! 我が水道局の給水ラインこそが、市民の生活に直結する最優先事項だ! 結界の線を細くして道を譲りたまえ!」


「馬鹿なことを! 治安維持の防犯結界が弱まれば、南三区は無法地帯になる。そっちの水管こそ別ルートへ迂回させるべきだ!」


「市場の冷却が止まれば、生鮮食品が腐って王都の経済が死ぬぞ! 商業局のラインには一切触れさせん!」


 役人たちは顔を真っ赤にしてテーブルを叩き、互いの権限と縄張りを主張して一歩も譲らない。


 ルネは、その不毛な言い争いを冷ややかな目で見つめていた。


(……くだらない。言葉でどれだけ『自分が正しい』と主張したところで、地下の溝が広がるわけじゃないのに)


 会議が始まって数十分。


 永遠に続くかと思われた責任の押し付け合いに、ルネはパンッと手を叩いた。


「はい、会議はこれで終わりです」


 突然の宣言に、役人たちがぽかんと口を開ける。


「な、何を言っているんだ監査官殿。まだ我々の優先権の調整が――」


「机の上でどれだけ縄張りを主張しても、地下での物理的な干渉は消えません。あなたたちには、現実を見てもらう必要があります。全員、現場に行きますよ!」


 ルネは文句を言う役人たちを半ば強引に立たせ、泥臭い南三区の工事現場へと強制的に連れ出した。


 南三区のメインストリート。


 悪臭の漂う地下溝の前に並ばされた三人の役人たちは、高級な靴が汚れるのを嫌がり、ハンカチで鼻を押さえていた。


「監査官殿、わざわざこんな泥ぐさい場所まで我々を連れ出して、一体何をするつもりだね」


「これを、溝に入れてみてください」


 ルネは、現場監督のゲルトに用意させていた『三本の太い丸太』を、それぞれの役人の腕に押し付けた。


「これは、あなたたちの主張する『絶対に譲れない最大出力の魔力線』と同じ太さの模型です。さあ、この狭い溝の中に、三本同時に、互いに一切触れ合わないように押し込んでみてください」


「はあ? 何を馬鹿な……」


 役人たちは不満げに丸太を抱え、溝の中へと同時に差し込もうとした。


 ガンッ!


 鈍い音を立てて、三本の丸太が溝の入り口でつっかえた。当然だ。溝の幅に対して、三本分の丸太の太さは明らかにオーバーしている。


「ほら、さっさと入れてくださいよ。水も結界も冷却も、どれも最優先なんでしょう?」


「む、無理に決まっているだろう! 物理的に入らん!」


「もう少しそっちに寄せてくれ! いや、君の管が邪魔だ!」


 役人たちがムキになって丸太を押し込もうとするが、どうやっても隙間は生まれない。ゲルトが横から一本を強引に足で押し込むと、ミシミシと嫌な音が鳴り、別の役人が持っていた丸太が弾き出されて地面に転がった。


「……分かりましたか?」


 ルネは、息を切らしている役人たちに向けて冷たく告げた。


「これが、あなたたちが何十年もやってきたことです。書類上の優先権がどうであれ、物理法則は無視できません。一つの狭い空間で別々に線を引こうとするから、互いを押し潰し、干渉して火花を散らすんです」


 役人たちは何も言い返せず、泥のついた丸太を抱えたまま押し黙った。彼ら自身の手で、自分たちの縦割り行政がいかに現場の現実を無視した暴論であるかを、視覚的にも物理的にも理解させられたのだ。


「解決策は一つしかありません」


 ルネは溝の前に立ち、持っていた図面を広げた。


「三本の線をバラバラに引くから干渉するんです。これらを統合し、太く強靭な『共通の主幹線』を一本だけ敷設します。そこから各局の設備へ向けて、独立した『分岐モジュール』を設けるんです」


 ルネの指先が、整理された多点格子の設計図をなぞる。


「これなら、溝のスペースは一本分で済みます。干渉も起きず、もし設備が故障しても、分岐口の先だけを単独で修理できます。他の局の設備を止める必要はなくなります」


 ルネの提示した技術的な解決策は、筋が通っていた。


 だが、役人という生き物は、技術の正しさだけでは動かない。


「……確かに、理にかなってはいる。だが、その『共通の主幹線』は一体どこの局が管理するのだ?」


「そうだ。もし共通幹線で事故が起きた場合、我々の責任にされてはたまらんぞ。予算の出処も不明確だ!」


 彼らが再び、自分たちの保身と責任逃れの言葉を口にしようとした、その瞬間。


 静かに成り行きを見守っていたレオンが、漆黒の外套を揺らして一歩前に出た。


「共通幹線の管理と責任分界は、工務卿である私が直接契約として定める」


 レオンの重く冷徹な声が、役人たちの言い訳を一刀両断にした。


「ルネ・エルフォードの設計した主幹線は、国王認可の実証予算を用い、工務卿権限に基づく臨時共同管理契約として敷設・管理する。お前たち各局は、分岐口から先の自局設備にのみ責任を持て。主幹線の異常で発生した損害は王国工務予算から補償し、その決裁責任は私が負う」


「こ、公爵閣下自ら……!?」


「不満があるか? あるなら今ここで言え。契約書から君の局の線を外してやろう」


 レオンの灰色の瞳に見据えられ、役人たちは一斉に首を横に振った。


 法的拘束力を持つ工務卿の決裁により、役所間にそびえ立っていた縦割りの壁が、音を立てて崩れ去った。


 技術的な真理をルネが物理的に突きつけ、残った制度と責任の壁をレオンが権力で破壊する。二人の完璧な役割分担が、王都の硬直したインフラを確実に動かしていた。


「……ふう。これでようやく、まともに線を引けますね」


 役人たちが逃げるように去った後、ルネは現場の木箱の上に図面を広げ、さっそく共通幹線の敷設ルートを引き始めた。


 三十日の実証試験の成功条件を満たすための、安定して保守しやすい多点格子。


 だが、複雑に入り組んだ南三区の地形図の上に鉛筆を走らせていたルネの手が、ふと、ピタリと止まった。


「……どうした、ルネ先生?」


 覗き込んだミナが首を傾げる。


 ルネは図面を凝視したまま、小さく唇を噛み締めた。


 魔力の抵抗を極限まで減らし、最も安定した「完璧に整った配置」を実現しようとすれば、どうしても市場の地下深くにある古い石造りの基礎を迂回するための大規模な掘削工事が必要になる。


 それをやっていては、国王から課せられた『三十日』という絶対の期限には、どう計算しても間に合わない。


 技術者として、配置の完成度を妥協するか。それとも、期限を破るか。


 ルネの前に、次なる試練が静かに立ちはだかっていた。

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