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「完成印は押せません」婚約破棄・追放された魔法監査官は、冷酷公爵の国を立て直す~戻れと言われても契約済みです~  作者: 他力本願寺


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第21話 王都全体が、醜い

国際工務会議の騒動から数日後。


 王都に滞在を続けていたルネは、国王からの設備監査の招請を受け、レオンの馬車で王宮へ向かっていた。


 窓の外には、何層にも重なるように建てられた美しいレンガ造りの家々と、活気あふれる大通りが広がっている。今日は博覧会場への道を外れ、まだ詳しく見ていなかった南側の旧市街を通っていた。


 だが、窓から顔を出して【構造眼】を開いたルネは、ピタリと動きを止め、言葉を失っていた。


「……どうした。気分でも悪いか?」


 向かいの席で書類を読んでいたレオンが、ルネの異変に気づいて片眉を上げた。


「……ひどい」


 ルネの口から、呻くような声が漏れた。


「ひどすぎます。これのどこが王都ですか。ただの毛玉じゃないですか」


 ルネの目に映っていたのは、洗練された街並みなどではなかった。地下を這い、壁の裏を通り、空中で交差する無数の魔力線。旧式、新式、そして貴族や商人が勝手に引いた私設の魔法陣までもが、何のルールも法則性もなく折り重なり、互いに干渉し合っている。


 あちこちで魔力が渋滞して異常な熱を持ち、短絡寸前の火花を散らしているその様は、まさに巨大で不気味な『毛玉』だった。


 これほどまでに直すべき欠陥が溢れていることへの技術者としての猛烈な「興奮」と、国の中枢がここまでずさんな構造で成り立っていることへの「絶望」。二つの極端な感情が同時に押し寄せ、ルネは完全に無言になってしまった。


 馬車が王宮に到着するなり、ルネは出迎えの役人たちに向けてこう言い放った。


「会議室で図面を開くのは後回しです。まずは、今王都で一番問題が起きている現場へ案内してください」


「は……? しかし、まずは工務局の長がご挨拶を――」


「予定を変更する。監査官の指示に従え」


 同行していたレオンが冷徹な声で役人を黙らせ、ルネの視察が強行された。


 最初に案内されたのは、王都でも有数の規模を誇る市民病院だった。


 案内された手術室の入り口で、ルネは目を疑った。魔力で稼働しているはずの強力な手術灯が、チカチカと今にも消えそうなほど不安定に瞬いているのだ。


「これでは手元が狂ってしまいます! 早く魔力を安定させてくれ!」


 中から医師の怒鳴り声が聞こえてくる。ルネが壁の向こうの配線を透視すると、病院の照明システムに繋がっている基幹ラインが、隣接する貴族の邸宅の過剰な暖房設備に魔力を引っ張られ、深刻な供給不足に陥っていた。


 次に向かったのは、市民の胃袋を支える巨大な魚市場。


 そこでは、生鮮食品を保管するための冷却用魔導結界が息継ぎを起こしていた。結界の出力が安定しないため、朝の時点で敷き詰められていたはずの氷がすでに溶け出し、魚の鮮度が落ちていくことに商人たちが頭を抱えている。


 さらに、密集した古い住宅街では、井戸端に集まった主婦たちの切実な愚痴を耳にした。


「また朝から水がちょろちょろとしか出ないわ。王都の給水ポンプはどうなってるのよ」


 それは、朝の炊事の時間帯に一斉に魔力が使われることで局地的な負荷集中が起き、水圧を維持する留点が機能不全に陥っているのが原因だった。


 手術室の灯り。市場の氷。住宅の水。


 役所の会議室で語られる難しい制度の問題ではない。ルネの目の前にあるのは、無秩序な魔力配線が引き起こしている、痛々しいまでの具体的な「生活被害」だった。


「……信じられない。これほど互いの設備が干渉し合っているのに、なぜ誰も整理しようとしないんですか」


 視察を終え、王宮の工務局の会議室にやってきたルネは、集められた役人たちを前に厳しい声を投げかけた。


「各々の被害の原因を特定します。王都全域の魔力経路が記された、最新の全体図を出してください」


 だが、その言葉を聞いた役人たちは、気まずそうに顔を見合わせた。


 やがて彼らが机の上に広げたのは、管轄ごとにバラバラに分断された、色あせた古い図面の切れ端ばかりだった。


「全体図は……その、存在しません」


「はい?」


 ルネは間抜けな声を出してしまった。


「存在しないって、どういうことですか?」


「王都の魔法インフラは、建国以来何十年にもわたって、各省庁や地区の有力者が自分たちの都合に合わせて設備を継ぎ足してきた歴史があります。水路は水道局、街灯は治安維持局、大通りは建設局と管轄が分かれておりまして……お互いの図面を統合したことなど、一度もないのです」


「……つまり、王都の地下でどの線がどこに繋がっているのか、誰も全体を把握していないということですか?」


 ルネの問いに、役人たちは重い沈黙で肯定した。


 ルネは眩暈を覚えた。王都のインフラは、全体を設計する頭脳を持たないまま、手足だけが勝手に増殖し絡み合った『継ぎ接ぎの怪物』だったのだ。


 その日の午後。


 ルネとレオンは、ノルガルド国王との謁見の間に通された。


「エルフォード監査官。我が王都のインフラを見て、どう思ったか」


 玉座から見下ろす威厳ある初老の王に対し、ルネは臆することなく告げた。


「すべてが乱雑です。このまま無秩序な継ぎ足しを続ければ、遠からず王都のインフラは魔力渋滞による大崩落を起こします。今すぐ全域の配線を解体し、私の多点格子式を用いて、全体を最適化した新しい標準規格へと作り替えるべきです」


「ふむ……」


 国王はあご髭を撫で、傍らに立つレオンを見た。


「レオンよ。其方が見込み、国境で千の魔物を防いだという手腕は評価している。だがな、一介の監査官の言葉だけで、王都すべての機能を一時的に止めて大改修を行うなど、民の混乱を招きかねん」


 国王の判断は、為政者として極めて真っ当で慎重なものだった。他国から来た若い娘の提言を盲信し、国家の心臓部を即座に明け渡すようなことはしない。


「全面改修は許可できん。だが……」


 国王は鋭い視線をルネに向けた。


「一地区だけを対象に、三十日限定の実証試験を命じる。そこで目に見える確かな成果が出なければ、多点格子化の計画は白紙とする」


 三十日。


 それは単に線を繋ぎ直すだけの期間ではない。レオンは即座にその意図を理解し、ルネに囁いた。


「これは、密集した旧市街を一から測量し直し、誰がどこを管理するかの責任分界を明確にし、交換部材を規格化して現場の職人を教育する……王都全域に適用できる『完成した標準』を深く作り上げるための実証期間だ」


「やります」


 ルネは迷いなく、国王に向かって深く頭を下げた。


 王宮を退出し、公爵館への帰路につく馬車の中。


「実証試験の対象となる区画ですが、すでに決定しています」


 レオンが手元の書類を読み上げ、ルネに視線を向けた。


「選ばれたのは、王都で最も苦情が殺到している問題の震源地。病院、市場、住宅が極度に密集し、魔力線の干渉が最も酷い――『南三区』だ」


 それは、ルネが今日視察に訪れた、あの惨状の現場だった。


「一番ややこしくて、一番ひどい場所ですね」


 ルネの唇の端が、微かに吊り上がった。


 最も困難な場所で、誰の目にも明らかな結果を出す。


 国家の新しい標準を作るための、濃密な三十日間のカウントダウンが、今まさに始まろうとしていた。

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