第18話 崩れる地下道で、公爵が笑った
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
王都工務博覧会の中央広場に、腹の底を揺さぶるような重い地鳴りが響き渡った。
誰の陰謀でもない、純粋な自然の猛威。古地図にも記されていない王都地下の未登録空洞が、長年の地脈の変動と地上の重みに耐えかねて、突如として崩落を開始したのだ。
ルネとセドリックが立っていた試験ステージ周辺の美しい石畳が、巨大な蜘蛛の巣のようにひび割れ、次々と陥没していく。
「きゃあっ!」
ルネの足元の地面が、唐突に消失した。
無重力感に内臓が浮き上がり、悲鳴を上げる間もなく、ルネの体は周囲の石材や土砂と共に、すり鉢状に崩れゆく深い暗闇の底へと飲み込まれていった。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
むせ返るような粉塵と土の匂いの中で、ルネは咳き込みながら身を起こした。
完全な暗闇。地上からの光は、崩れ落ちた土砂と瓦礫に遮られてほとんど届かない。周囲からは、一緒に巻き込まれた数名の設営作業員たちの呻き声が聞こえてくる。
「みんな、無事ですか!?」
「い、いてて……足が瓦礫の下敷きに……」
パニックに陥りそうな心を無理やり押さえつけ、ルネは即座に【構造眼】を開いた。
視界が利かなくとも、魔力を持つ物質や地脈の流れは、色と太さを持った線として彼女の目に映る。地下空間の惨状が、脳内に立体図として組み上がっていく。
最悪の状況だった。頭上に積み重なった瓦礫の山は、絶妙なバランスでかろうじて引っかかっているだけだ。少しでも間違った石を動かせば、大規模な二次崩落が起きて全員が生き埋めになる。
ルネは、今にも折れそうな『死んでいる支柱』と、まだ全体の荷重を支えきっている『生きている支柱』を必死に見分けようと目を凝らした。
その時。
ルネから少し離れた場所で、身を屈めていた作業員の一人の頭上から、メキッという嫌な音が鳴った。
限界を迎えた巨大な岩塊が、天井から剥がれ落ちる。
「危ないッ!」
ルネの叫びよりも早く、闇の中を黒い影が弾丸のように飛び出した。
レオンだった。彼もまた、崩落に巻き込まれていたのだ。
レオンは作業員を強引に突き飛ばして庇い、代わりに岩塊の破片が彼の右肩を容赦なく打ち据えた。
ドスッ、という鈍い打撃音。
「……ッ」
レオンの口から短い呻きが漏れた。漆黒の外套が破れ、濃い血の臭いがむわっと広がる。
「公爵様!」
「騒ぐな、かすり傷だ」
レオンは顔をしかめながらも、倒れることなくすぐに立ち上がった。だが、その右腕がだらりと下がり、明らかに深いダメージを負っていることはルネの目にも明らかだった。
「ルネ先生! 公爵様! 無事ですか!?」
遥か頭上の崩落孔の縁から、ミナとゲルトの必死の叫び声が聞こえてきた。
「無事よ! でも、二次崩落の危険があるわ! むやみに土砂を退かさないで!」
ルネは喉が裂けるほどの大声で地上班に指示を飛ばし始めた。ここで彼女が判断を間違えれば、レオンも作業員も死ぬ。
「ゲルトさん! 右から三番目の石柱は完全に死んでいます、絶対に触らないで! 荷重を抜くなら、左側の崩れた土砂から順番にお願いします!」
「分かった! おい、左からワイヤーをかけろ! 慎重に引けよ!」
ゲルトの怒号が響き、地上から太いロープとワイヤーがスルスルと下ろされてくる。
だが、暗闇と死の恐怖に包まれた地下空間では、作業員たちの呼吸は荒く、パニックの一歩手前だった。ルネ自身も、レオンから滴り落ちる血の臭いに平常心を失いかけている。早くしなければ。早く彼を地上へ。
極度の緊張が張り詰める中、肩から血を流しているはずのレオンが、ふと口を開いた。
「……やれやれ」
その声は、いつも通りの冷静で冷徹な、だがどこか呆れたような響きを持っていた。
「今年の博覧会の予算案に、『公爵の治療費』と『見舞い品代』は計上していなかったな」
「え……?」
「このままでは私が持ち出しで医者に払う羽目になる。甚だ非効率だ。経費削減のためにも、早く引き上げてくれ」
こんな絶体絶命の状況で、何を言っているのだろう。
だが、そのいかにも合理主義者らしい、余裕すら感じさせる冗談を聞いた瞬間。
恐怖で強張っていた作業員たちの肩から、フッと無駄な力が抜けた。ルネの胸を締め付けていた焦燥感も、嘘のようにスッと霧散していく。
彼が揺らいでいないのだから、自分も揺らぐわけにはいかない。
「……まったく。公爵様の治療費くらい、私が払いますよ」
ルネは小さく笑みをこぼし、再び【構造眼】に意識を集中させた。
「次、真上の鉄骨を支点にしてワイヤーを引いて! 私が合図したら、一気に引き上げます!」
ルネの正確無比な指示と、ゲルトたち地上班の作業が見事に噛み合っていく。生きている支柱を残したまま、邪魔な荷重だけが次々と取り除かれ、安全な引き上げルートが構築されていった。
数十分後。
ルネとレオン、そして作業員たちは、誰一人欠けることなく地上へと引き上げられた。
「公爵様! ああ、血が……!」
レオンの側近たちが青ざめて駆け寄ってくる。
秋の日の光の下で、ルネは改めてレオンの肩を見た。上等な服は無惨に引き裂かれ、右肩から腕にかけて、べっとりと赤い血がこびりついている。
ドクン、とルネの心臓が強く鳴った。
被害の規模も、支柱の残存率も計算できたのに、彼の肩から落ちる血だけは数字に置き換えられない。
ルネは自分の上着から布を裂き、レオンの傷口へ押し当てた。
「自分で歩けますか」
「問題ない」
「では、離しません」
レオンが何か言い返す前に、ルネは無事な左腕を自分の肩へ回した。
「ぼんやりするな、エルフォード。すぐに医務室へ行くぞ」
「あっ、はい! 私も付き添います!」
ルネはレオンの怪我を気遣いながら、博覧会場に併設された仮設の医務室へと急いだ。
だが、その医務室の扉の前には、異様な一団が待ち受けていた。
場違いなほど豪奢な礼服を着た数名の男たち。その胸に刺繍されているのは、セレネス王国の紋章だ。先の召還状に続き、今度は直接交渉へ来た使者だった。
使者は、血を流しているレオンには目もくれず、ルネを見ると仰々しく一礼した。
そして、恭しく一枚の書状を掲げてみせた。
「ルネ・エルフォード殿。我がセレネス王国王太子、アルベルト殿下からの正式なご依頼をお持ちいたしました」
使者の口元が、歪な笑みの形に釣り上がる。
「事故調査のため、直ちにセレネスへ『一時帰国』していただきたい。今回は、あなたも納得せざるを得ない、破格の条件をご用意しておりますぞ」
死地を潜り抜けた直後の二人を待ち受けていたのは、しつこく絡みついてくるセレネス旧式の厄介な未練だった。




