90 冒険者のお仕事 ハードモード その3
現状だとヴェノムワスプをまとめて倒せないせいで手詰まりなので、俺とミンは湖まで戻ってセタニアを連れてくることにした。
スケトンのおかげでそれほど時間を掛けずに湖まで着いたが、船はもう遠くまで出されており、ここからでは声が届かない。
待っていたらそのうち戻ってくるだろうが……時刻はもう昼過ぎなので急いだ方がいいな。
はて、どうすればいいのだろうか。
「困ったな。どうやってセタニアがいる場所まで声を届ければいいんだ?」
「……これ、使う。役に立つ」
「なんだ? そんなものでどうするんだよ?」
ミンはどこからともなく取り出したロープを俺の腰に巻きつけ、キュッときつく結んだ。
そしてロープの端を矢羽の上に結びつけてーー
「……渾身の矢」
船へ向かって勢いよく矢を放――ってうわわワォおおおおおおお!!!
俺ごと飛んでるんだが!?
――ボチャン!
「ちょっ、た、たしゅけ……! だ、だれ……ぶ、ぶくぶくぶくぶく……」
無茶苦茶だ! 俺は泳げないんだよ!
確かにこうすれば声がセタニアに届く場所までいけるが、冷静に考えたらセタニアを呼ぶのなら矢文かなんかで十分だよな!?
俺ごと矢を射る必要なんて、どう考えてもなかっただろ!
「モーラノイ! いまいくヨ!」
そんな声が耳に届いた気がする。
でも沈みそうだし、息もできないしで、俺はそれに反応しているどころではなかった。
俺は気を失った。
***
セタニアに助けられて船の上まで辿り着き、彼女……ではなく、おっさんの人工呼吸によって復活した俺はセタニアに事情を説明した。
今後の方針は要するに、俺とセタニアが交代し、俺が護衛をしている間に彼女たちがワスプを駆除するというものだ。
俺の戦闘能力はたかが知れているので、沼竜が出てきたらまずいことになるが……そこはラックがどうにかしてくれることを祈る。
「うん、わかったヨ」
セタニアは素直に頷き、湖の中に再び飛び込むと、とても人間とは思えない、まるでイルカのような動きをしながら岸まで泳いで行った。
「ふぅー」
あとは二人に任せておけば大丈夫だろう。
ようやく一息入れられそうになったので、俺は船の甲板に座り込み、湖の青く澄んだ表面をぼーっと眺めることにした。
魔獣さえ出てこなければやることはないので、楽チンだ。
相変わらず俺の采配は冴えてるな!
――と思っていたのは、一時間前の話。
「冒険者さん、助けてくれ! 沼竜に目をつけられたみたいだ」
漁師のおっさんが指差す方向を見てみると、大きな泥の塊のようなものが船へ向かって前進していた。
マジかよ。俺にはどうにもならないぞ、これ。
セタニアとミンが戻ってくるのは、まだだいぶ先だろうし……俺は生き延びるだろうけど、これって漁師さんたち助からないんじゃないか?
よく考えたら、セタニアにワスプ退治を任せて、俺とミンが二人でここに残ればよかったな。
泳げないし、戦えない俺には何もできることがないので、何もせずにその場でぼーっと佇んでいると、おっさんが俺の肩を掴んでグラグラと揺らし出した。
なんか必死そうな顔つきで、だらだらと冷や汗を流しているぞ。
「早く助けてくれよ! 近づかれたら船ごと食い潰される!」
「えっ!? 奴らって船を食うんですか?」
「そりゃそうだ! あいつらは浮かんでるものなら、なんでもお構いなしにがぶりと噛みつくんだぞ。ここらじゃ、食物連鎖の頂点に君臨しているからな」
それは困る。船がなくなったら、俺が溺れて死んでしまうじゃないか。
どうにかして止めないといけないのだが……何かできることがあるわけでもないのが困りものだ。
「あ、そうだ! 何か水に浮かぶものはありますか?」
一つアイデアが浮かんだので、俺はそれを実行すべく、漁師たちにそんな質問を聞いてみた。
「浮かぶものっすか? これはどうっす?」
若手漁師の一人が俺に渡したのビート板のような形状をした木の板だ。
「……まあ、大丈夫だろ」
俺は板を持って、湖の中に飛び込んだ。
浮かぶものさえあれば俺でも泳げる。泳ぐことができれば沼竜に近づける。沼竜に近づくことができれば、攻撃を一切受けない俺が時間を稼げる。
最近は定番となりつつある、フーン式タンク役作戦だ。
ちなみに今回は恐れのあまりちびっても、湖の中なのでノーダメージというおまけつき。
「じゃあ、行ってきますね。俺のことは放っておいても大丈夫なんで、出来るだけ早く岸へ逃げてください」
「ほ、本当に大丈夫なのかね?」
「大丈夫、大丈夫。心配しないでください」
パシャパシャと水面を蹴りながらノロノロと前進している、そんなどう見ても頼りなさそうな俺に、漁師達が不安そうな顔を向けている。
まあ、無理もない。俺も彼らの立場にいたら、間違いなく悲愴感に包まれていただろう。あんな弱そうな泳げもしない奴が沼竜に勝てるわけがないと考えていたはずだ。
それに、その考えはあながち間違ってはいない。
確かに俺が沼竜に勝つことはないからな。
だが、負けることもないのだ。
「おーい、へっぽこドロドロ糞まみれドラゴンやーい。俺は美味しいぞ! こっちへこーい!」
ある程度船から離れてから、俺は挑発的な声で沼竜の注意を引いた。
「グワァン……?」
あくびのような鳴き声を放ち、沼竜は水の中から頭を上げた。
そして奴はくるりと振り向いて俺のことをギロリと睨んだ。
沼竜の顔は、おおよそ顔と呼べるようなものでは無い。
胴体らしきでかい泥の塊より、一回り小さな泥の塊にでっかい口のようなものが付いているだけだ。
それだけなら可愛い泥人形のような敵で済むのだが、残念ながら奴の口の中には何千本もの鋭い歯が生えていた。一度咥えられれば、間違いなく生きて出られないだろう。
「あの……よく考えたら、あいつらの方が筋肉ついてるし美味しいかもよ?」
あの口を見て気が変わったので船の方を指差してみたが、どうやらもう手遅れのようだ。
沼竜は水をかき分けるように進みながら、まっすぐ俺向かっている。
「お、おい、ちょっと待て。ちょっとタンマ!」
「グギャアーーーンッ!!!」
もちろん俺の泳ぐ速度では逃げ切れるわけがなく、沼竜は大口でガブリと俺に襲いかかった。
「冒険者さん!」
船の方から、俺の安否を心配する声が届く。
そう心配するなよ、お前ら。
これが聞こえているということは、俺はまだ生きているということだからな。
「ははは、残念だったな泥トカゲ! お前の汚ねぇ口は絶対に俺に――って、オプグプワガチャボケッ!」
ビート板! 俺のビート板はどこへ行ったんだ!?
――バリ、ボリ、バリ、ボリ。
――ごっくん。
そこか!
たまたま手にしていた木の板はラックの対象外だったらしく、粉々に砕かれて沼竜の胃袋に収まってしまったようだ。
「お、おい! う、うぷ……だ、誰か、俺を……お、おぽ、た、助けてくれ!」
「グギョオオアアアアウゥウウ!」
俺の懇願に答えてくれようとしているのか、沼竜は俺を水の中から掬い出そうと何度も大口でかぶりついてくる。
だが、もちろん当たらないので、それはどれも失敗に終わった。
まずいな。何か都合よく近くに浮いているものは……あった!
ソファイリの貯蔵箱だ。
どうやら必死にもがいている間にポケットから出てきたらしい。物理学的な理由はわからないが、ともかくあの貯蔵箱は浮かんでいる。助かるにはあれを使うしかない。
俺は水を反発するように水面に乗っている貯蔵箱を右手で握った。
「助かった……」
俺は安堵のため息をついた。
仕組みはわからないが、俺が上に座っても貯蔵箱はわずかに沈むだけで、凄まじい力に押されているかのように浮かび上がろうとしてくる。
みかんぐらいの大きさしかないのに、どうやってそんな強い浮力を発揮しているのだろうか?
……まあ、細かいことはいい。
とりあえずセタニアが来るまでここでじっとしていよ……ん?
少しずつ沈んでないか?
いつの間にかおへその辺りまで水が届いているぞ?
沈み出しているということは浮力が……そうか!
貯蔵箱が蓋の隙間か何かから水を取り込んでいるんだ!
さっきまでは中身の殆どが空気だったから浮いていたが、俺が無理やり沈ませたせいで、段々と水の割合が増えているのか。
この調子だと石みたいになって、むしろ俺を沈めてしまいかねないぞ。
「おっさん! 沈む! 俺を助けーー」
「冒険者さん、助けてくれ! 魔物がもう一匹出てきたぞ!」
どうやら向こうもまずいことになっているみたいだ。
ここからは大きな水しぶきしか見えないが、間違いなく何かが船に近づいている。
こっちの沼竜も流石に攻撃が外れすぎて飽きたのか、俺を放置して船の方へ向かい始めた。
これは……御愁傷様としか言いようがないな。
とりあえず貯蔵箱が沈む前にセタニア達が戻ってくることを祈るとするか。




