第7話 足りない部品は、港で作る
港の工房は、管理所から坂を1本上がったところにあった。
開いた戸から、金槌の音が響いている。コレットが中へ入ると、熱い鉄と油の匂いがした。壁には大きさの違う工具が並び、奥では職人が回転する金属へ刃を当てていた。
「親方。外市場のことで」
マルタが声をかけると、太い腕の男性が顔を上げた。
「また歯車か?」
「ええ。今日は、制御盤を戻せるかもしれない方が来ています」
紹介を受けた職人は、コレットの顔を見てから、卓の下へかがんだ。引き出した木箱の中に、歯車が何枚も重なっている。
コレットはしゃがみ込んだ。
歯の厚いもの、中央に穴を増やしたもの。縁に赤い印がつき、使った日付が刻まれたものもあった。
「これを、全部こちらで?」
「最初は、元と同じ形に作ればいいと思ってな。ところが、同じ重さをかけると歯が曲がる。厚くすれば、今度は周りへ当たる」
職人は作業台の上から、別の1枚を持ってきた。
「こいつなら、収まる。前の試験でも、決めた重さまでは持った。ただ、床を動かす方が直らんから、取り付けて確かめるところまでしか進めなかった」
コレットは歯車の縁を見た。削った跡が細かく残り、角だけが滑らかになっている。
自分が戻せるかもしれない回路のそばで、この人たちは何枚も作り直してきたのだ。
「設備を見てから、もう一度お話を伺ってもいいですか」
「ああ。こっちも仕上げておく」
職人が歯車を置くと、台が重く鳴った。
*
外市場の下へ降りる階段は、細く、急だった。
コレットは手すりを握り、マルタの足元を追った。海が近づくにつれ、水の匂いが強くなる。支柱に当たった波が砕け、靴の先へ雫が飛んだ。
「次の段は、右側が欠けています」
後ろからヴィクトルが声をかけた。
コレットは頷き、足を置く場所を変えた。下ばかり見ていたつもりなのに、欠けたところには気づいていなかった。
防水扉の中は、乾いていた。
壁に制御盤が据えられ、その下を太い軸が通っている。歯車を外した場所には、空いた隙間があった。
動力を止めてあることを確認し、コレットは盤の枠へ触れた。
源泉の設備とは違い、感覚が左右へ広がった。いくつもの線が、離れた場所へ続いている。その途中で、戻るはずのものが収まっていない。
「こちらの線は戻せそうです。ただ、歯車のところは空いたままです」
マルタが図面へ印をつけた。
「歯車を入れたあと、位置を確かめてもらえますか。少しずれるだけで、噛み合わせが悪くなるんです」
「はい。収まる場所なら、分かると思います」
ヴィクトルは、空いた軸と盤を見比べた。
「元の歯車と同じ重さを支える必要がありますか。区画を限って、載せる量を減らせれば」
「西側だけなら、分けられます」
マルタが図面を広げ直した。
「東側を固定したまま、西側だけ動かす。屋台と人の数を決めて、荷の搬入も時間を分ければ……」
彼女は指で区画を囲み、しばらく考えた。
「親方に、もう一度相談しましょう」
工房へ戻る頃には、昼を過ぎていた。
職人はマルタの説明を聞き、古い試験記録を出した。ヴィクトルも椅子を寄せ、支えられる重さと、市場へ載せるものを照らし合わせる。
コレットには決められないことだった。席の端で話を聞きながら、渡された図面が丸まらないよう押さえていた。
やがて職人が、作業台の歯車へ手を置いた。
「この範囲なら、試せる。動かしたあとは、何度か外して歯を見せてもらうぞ」
「ええ。交換のための記録も残します」
マルタが答えた。
ヴィクトルは試験の条件をまとめ、2人へ確かめた。何を確かめ、どこで中止するか。決まったことを読み上げる声を聞きながら、コレットはようやく、あの空いた軸へ歯車が入るところを想像できた。
*
翌朝、仕上がった歯車は、木箱に収められて届いた。
運ぶのも取り付けるのも、職人たちの仕事だった。狭い設備室で重い部品が動くたび、コレットは壁へ寄り、邪魔にならない場所を確かめた。
「一度、お願いします」
呼ばれてから盤へ近づき、枠に触れる。
昨日は途切れていた先が、今日は続いていた。ただ、歯車の中心が落ち着かない。
「もう少し奥へ入るみたいです」
職人が固定具を緩め、位置を調整した。
触れ直すと、軸と中心が重なる感覚があった。
「そこです」
「よし。手を離してくれ」
締め直す間に、コレットも一度下がった。準備が整ってから、今度は盤へ力を流す。
浮いていた結晶が台座へ沈み、曲がった線が溝へ沿った。小さな留め具が回り、線を押さえる。奥で外れていた部品も動き、最後に、かちりと音がした。
手を離すと、マルタが灯りを寄せた。
「この線、そちらを通るのね」
彼女は図へ書き足し、職人と一緒に接続を調べた。ヴィクトルも盤を見ていたが、やがてコレットへ顔を向けた。
「上で休みましょう。ここからは、取り付けの確認です」
階段を上がると、明るさに目を細めた。
管理所の軒先で水を飲んでいるうちに、潮が少しずつ高くなってきた。市場の下で鳴っていた金属音が止み、職人たちが上へ戻ってくる。
最初の試験は、何も載せずに行うという。
コレットは入口の鎖の外へ立った。ヴィクトルが各持ち場を確かめ、マルタへ頷く。
低い音が、床の下から響いた。
初めは変化が分からなかった。
けれど、支柱についた白い印が、少しずつ床へ近づいていく。広い板張りの市場が、ゆっくり持ち上がっていた。
「動いてる……」
床の縁から水滴が落ち、岸へ渡す板が角度を変えた。足元にあるのはただの通路だと思っていた。その広さごと、海から離れていく。
「停止!」
マルタの声で動きが止まった。
職人が計器を読み、別の1人が歯車の音を報告する。誰もすぐには喜ばず、それぞれの場所を確かめていた。
「傾き、規定の範囲です」
声が届くと、歯車を作った職人が帽子を脱いだ。額を拭きながら、自分のいる岸と市場の高さを見比べている。
コレットは隣を見た。
ヴィクトルが、少し身を乗り出していた。床が止まっているのに、まだ縁から目を離さない。
「ヴィクトルさんも、初めてですか?」
「動くところは。資料では何度も見たんですが」
彼は支柱の印を指した。
「あそこまで滑らかに上がるとは思いませんでした。荷を載せたときも同じ動きなら――」
奥から呼ばれ、彼は言葉を切った。
「すみません。続きは、あとで」
足早にマルタの方へ向かう背中を、コレットは見送った。昨日、船を眺めていたときより、ずっと嬉しそうだった。
鎖のそばへ、イカ飯の店の女性が来ていた。
「動いたって聞いたんだけど」
「はい。まだ試験は続くそうです」
女性は市場を見渡し、端の角で目を止めた。
「うちの鍋、今度こそ戻せるといいねえ」
コレットも同じ場所を見た。まだ屋台も腰掛けもない。けれど、あの角のすぐ下へ、小舟をつけられる高さになっていた。
しばらくしてヴィクトルが戻ってきた。
「明日から、重りを載せた試験に進みます」
「では、今日はここまでですか?」
「ええ。何か、ご予定は?」
コレットは旅行記を取り出した。朝市の絵の端に、防波堤が描かれている。港へ入る船を、全部見渡せる場所だという。
「ここへ行ってみたいんです。さっきのお話も、歩きながら聞かせてもらえませんか」
ヴィクトルは挿絵へ目を落とした。
「床の話ですか?」
「はい。途中だったので」
「……少し長くなるかもしれません」
「防波堤までなら、時間はありそうです」
彼は沖を見てから頷いた。コレットが本をしまう間に、足元の鞄へ記録を収める。
2人で港沿いの道へ出ると、彼は先ほどの支柱の話から始めた。コレットが振り返って市場を見ると、ヴィクトルも立ち止まり、今度はゆっくり指で示してくれた。
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