第2話 20年ぶりに灯った光
「どのあたりを戻せそうですか?」
ヴィクトルは図面をコレットのそばへ広げた。
指で示そうとして、少し迷った。紙の上では、盤へ触れたときほどはっきり分からない。もう一度、金属の枠へ手を添える。
「この線です。隣の結晶ではなくて、台座の下へ回ると思います」
白髪の設備士が図面を覗いた。
「その先は?」
「反対側へ出て、結晶の下で留まります。こちらと、こちらに」
示した2か所を見て、彼は眼鏡を押し上げた。
「合っています。そこは、分解しないと見えないんですが」
コレットも盤を見直した。自分が今示した場所は、台座に隠れている。父の工房でも、ずれた部品の収まる先は分かった。けれど、知らない構造を言い当てたことはなかった。
「触ると、分かるんです。でも、どうしてそこを通るのかまでは……」
ヴィクトルはすぐに問いを重ねず、設備士へ向き直った。
「マルセルさん。この区画だけ、切り離せますか」
「ええ。接続板を抜けば、ほかには流れません」
「では、まずそこだけにしましょう。戻したあとも主動力は入れず、弱い魔力で確かめます」
コレットは頷いた。直せそうだとは思う。ただ、湯を送る仕組みまで分かっているわけではなかった。
マルセルが接続板を外す間に、ヴィクトルは盤の配置を書き留めた。手早いが、裏へ隠れた箇所は必ず尋ねている。
「線材はこちらを使えますか」
マルセルが小箱を開いた。細い金属線が、布の上へ揃えて置かれていた。
「切れた分を補うために用意したんです。つなぐ先を決められず、そのままで」
盤の端へ載せてもらうと、途切れていた先が分かった。
「はい。これで足りると思います」
2人の手が離れたのを確かめ、コレットはゆっくり力を流した。
線の先端が持ち上がった。空いていた溝へ沿って曲がり、小さな穴へ潜っていく。盤の奥で金属の擦れる音がし、しばらくして反対側から先端が現れた。
そこで止まっていた線へ重なると、結晶がわずかに向きを変えた。根元の筋が揃い、浮いていた留め具が収まる。
指の奥の引っかかりが消えた。
「……ここは、戻りました」
マルセルは灯りを持ってしゃがみ込んだ。図面を差し入れ、角度を変えて覗く。ヴィクトルも隣へ膝をついたが、しばらく2人とも何も言わなかった。
何か違っていただろうか。
コレットが盤へ顔を寄せかけたとき、マルセルが立ち上がった。
「裏を通っています。留め具も、両方とも」
彼は手にした灯りを卓へ置いた。置き直してから、試験用の計器を引き寄せる。
「光るか、確かめましょう」
コレットは壁際へ下がった。ヴィクトルが間へ遮蔽板を移し、マルセルがつまみを回す。
結晶の中心に、青い光が灯った。
光は細い線を伝い、台座の下へ消えた。反対側から再び現れると、隣の結晶まで届いて止まる。暗かった盤の一角に、枝のような筋が浮かんでいた。
マルセルは計器を見つめ、魔力を弱めた。光が薄くなる。もう一度強めると、針は先ほどと同じ位置へ戻った。
「通っている。漏れもありません」
声を聞いて、コレットはようやく息をついた。
ヴィクトルの筆は止まっていた。
見えない経路を知り、初めて渡された線材を正しい位置へ収めた。事前に構造を知っていた可能性を、彼は頭の中で探した。だが、父の紹介状に記された修繕経験は、形式の違う設備ばかりだった。
研修で読んだ古い技術書に、似た記述がある。
対象に残る設計情報を読み、本来の構造へ戻す力。《復元》。
現在、確認された使い手はいない。過去の記録も、熟練した《修繕》の使い手を誇張したものだという説があった。
ヴィクトルは点灯した回路へ目を戻した。もし記述どおりなら、図面がないために復旧を諦めた設備の扱いが変わる。
「ヴィクトルさん?」
呼ばれ、ようやく紙へ数字を書いた。
「失礼しました。正常です」
コレットが肩の力を抜いた。その顔を見て、彼も声を落ち着けた。まず記録を確かめなければならない。本人へ伝えるときも、推測と事実を分ける必要がある。
マルセルは戸口へ向かっていた。
「エルザ。少し来てくれ」
浴場を案内してくれた女性が、布を手に入ってきた。
「何か要るの?」
「これを」
盤が見えるように脇へ寄ると、エルザは立ち止まった。青い光へ近づき、布を両手で握る。
「点いてる……」
「ああ。まだ一部分だが」
「お湯も出せるの?」
「残りが直れば。そのあと、湯を通して確かめる」
エルザは頷いた。それでもすぐには出ていかず、線を巡る光を見ていた。
「今夜、山鳩亭へ寄ろうかしら。女将さんも、ずっと気にしているから」
「まだ途中だぞ」
「分かっているわよ。途中まで進んだって、話してくるの」
マルセルが笑った。エルザも笑い、それからコレットへ深く頭を下げた。
「ありがとう。明日が楽しみになったわ」
そんなふうに言ってもらえるとは思わず、コレットは慌ててお辞儀を返した。
*
外の腰掛けへ座ると、ふくらはぎがじんとした。石段を登ってすぐ作業をしたせいか、思ったより疲れている。
差し出された水を受け取り、コレットは礼を言った。
「気分は悪くありませんか」
「はい。少し休めば大丈夫です」
ヴィクトルは隣の端へ腰を下ろした。
「作業中の感覚を伺っても?」
「うまく説明できるか分かりませんが」
触れたときだけ、戻す先が分かること。構造の役割までは知らないこと。父のもとでは、必ず仕組みを習ってから作業していたこと。
ヴィクトルは言葉を急かさず、聞き終えてから筆を置いた。
「今回の修繕について、古い記録と照合したいことがあります。確認できたら、あなたにもご説明します」
少し改まった口調に、コレットは杯を持ち直した。
「父にも、聞いた方がいいでしょうか」
「ええ。作業の記録はお渡しします。お父上がご存じのこともあるかもしれません」
父へ手紙を書こう。そう思うと、落ち着いた。どんな順番で説明するか考えていると、マルセルが戸口へ現れた。
「明日の朝も、お願いできますか。残りを調べられるよう準備しておきます」
「はい。朝食のあとでもいいですか」
「もちろんです。9時頃では?」
コレットは頷き、手帳へ時刻を書いた。
「直ったら、明日は入れそうでしょうか」
「順調なら、夕方には。ただ、湯をためる時間もありますから」
それなら、朝のうちに町を見て回るのは難しそうだった。代わりに今日、宿へ戻る途中で川沿いを歩こうか。市場の通りも近いと聞いている。
立ち上がると脚が張り、思わず腰掛けへ手をついた。
ヴィクトルが顔を上げた。
「石段で、少し疲れてしまって」
恥ずかしくなって答えると、彼は山の下へ目を向けた。
「帰りは林の道も使えます。遠回りですが、坂が緩やかです」
道順を教えてもらい、コレットは手帳の予定を見直した。市場は明日でも行ける。
「今日は、宿へ戻って休みます」
「ええ。それがいいと思います」
鞄を肩へ掛け、建物を振り返った。マルセルはもう盤の前へ戻っている。その奥で、青い光が静かに灯っていた。
明日は、あの光の続きが見られる。
コレットは教わった林の道へ向かった。女将に話したいことが多くて、宿までの道は、来たときより短く感じられた。




