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ご先祖の旅行記を辿っているだけなのに、なぜか各地で大歓迎されています  作者: オレンジペコ


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第1話 雪山の見える露天風呂

こんにちは、オレンジペコです。

新作を読みに来てくださって、ありがとうございます。


今回は、古い旅行記を片手に、温泉やおいしいもの、綺麗な景色を楽しみに出かける令嬢のお話です。旅先での出会いや、少しずつ育つ恋心も、一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。


それでは、コレットの旅にお付き合いください。

 馬車が石橋へ差しかかると、コレットは膝の上の旅行記を開いた。


 川沿いの赤い屋根。その奥に立つ、先の細い鐘楼。窓の外と挿絵を見比べ、もう一度、外を見る。


「あった……」


 家で何度も眺めた町が、目の前にあった。橋のたもとには絵にない建物が増えている。それでも、鐘楼の向こうへ山が重なる眺めは同じだった。


 コレット・ベルナール、20歳。地方の小さな男爵家に生まれ、設備士である父の仕事を手伝ってきた彼女にとって、これが初めての長旅だった。


 幼い頃からの夢は、ご先祖ベアトリスと同じ場所を旅すること。


 400年前の有名な女性設備士が残した旅行記には、修繕した設備のほかに、景色や料理のことが書かれている。コレットは子供の頃、母に読んでもらうたび、いつかここへ行くのだと話していた。


 出発の日、母はその本を鞄へ収めながら、「ようやくね」と笑った。 父は旅先で古い設備を見学したくなったときのために、身元と修繕経験を書いた紹介状を用意してくれた。


 道具は、鞄の留め具や金具が緩んだときに使えるものだけ、小さな革袋へ入れた。家では何でも工房へ持ち込めたが、旅先ではそうもいかない。


 父は中身を確かめ、工房の棚から小ぶりなねじ回しを選んで、長いものと取り替えてくれた。


 長く馬車に揺られ、腰も脚も重かった。それでも最初の町が見えてくると、窓へ寄らずにはいられなかった。


 湯の町ベルネ。ここで楽しみにしているのは、山側の露天風呂だった。


『湯が止まっていたので、源泉の設備を修繕した。露天風呂からは雪の残る峰が見える。肩まで浸かると、風の冷たさが心地よい』


 その下には、小鉢の絵がある。


『湯上がりの温泉卵は、もう1つ頼めばよかった』


 自分は2つ頼もう。旅に出る前から、そう決めていた。


 馬車を降りると、冷たい風が栗色の髪を頬へ押しつけた。耳へ掛け直し、屋根の向こうを見上げる。高い峰の谷筋に、白い雪が残っていた。


 あれを、お湯の中から見るのだ。


 コレットは荷物を持ち直した。まずは宿へ置いて、それからお風呂へ行こう。山鳩の看板を探しながら、坂を登り始めた。


     *


「お昼なら、煮込みを出せますよ」


 山鳩の看板が下がる宿でそう言われ、コレットはすぐに頷いた。


 部屋へ荷物を置いて戻ると、食堂の卓に湯気の立つ皿があった。白い豆と塩漬け肉の煮込みだった。汁を吸わせたパンを食べるうち、馬車で冷えていた体が温まってくる。


 女将が空きかけたパン籠を見て、もう一切れ足してくれた。


「よく召し上がるのね」


「朝から、冷たいものばかりだったので」


 少し照れながら答え、コレットは旅行記を取り出した。


「こちらのお風呂へ行きたいんです。歩いて行けますか?」


 女将は挿絵を覗き、手にしていた水差しを卓へ置いた。


「上の露天風呂ね。行けるんだけど、今はお湯が出ないのよ」


「……故障ですか?」


「ええ。もう20年になるわ」


 コレットは絵へ目を落とした。生まれる前から、止まっている。


「下の浴場は入れるの。別のお湯だからね。ただ、この山が見えるお風呂は」


 女将の指が、岩に囲まれた浴槽をなぞった。


「仕事のあとによく行ったわ。石段で冷えた足を、お湯へ入れるのが気持ちよくてね」


「温泉卵も、そこで?」


「裏の湯壺で作っていたのよ。小鉢へ割って、干した川魚の薄いだしをかけるの。黄身を少し崩して、白身と一緒にすくうとおいしくて」


 コレットは小鉢の絵を見つめた。やっと来られたのに、どちらも楽しめないらしい。


「建物を見ることはできますか?」


「もちろん。今も調べている人たちがいて、掃除も続けているから」


 それなら、山の見える場所へは行ってみたい。


 道を教わって席を立ち、腰の重さを思い出した。先に少し休もうか迷ったが、窓から雪山が見えると、やはり落ち着かなかった。


     *


 石段の途中で、コレットは足を止めた。


 振り返ると、赤い屋根の間を川が流れていた。景色を眺めながら息を整え、ふくらはぎを軽くさする。馬車を降りてすぐ、張り切って登るには長い石段だった。宿で少し休んでから来ればよかった。


 浴場へ着く頃には、頬がすっかり赤くなっていた。


 入口を掃いていた女性が声をかけてくれた。


「見学? どうぞ。中は少し濡れているから、気をつけてね」


 脱衣所を抜けると、空が広がった。


 岩で囲まれた浴槽が、山へ向かって張り出している。底は洗われ、桶も伏せて並んでいた。ただ、湯口だけが乾いている。


 コレットは縁へしゃがんだ。低い位置から見ると、雪山が岩の向こうへ収まった。挿絵よりずっと大きい。白い雪の間に、深く青い影がある。


「そこ、人気の場所だったのよ」


 掃除の女性が隣へ来た。


「宿の女将さんも、そうおっしゃっていました」


「あの人は、なかなか上がらなくてね」


 女性は笑い、桶を1つ置き直した。


「ずっと、お掃除を続けているんですか?」


「ええ。湯が戻った日に、泥だらけじゃ困るでしょう」


 コレットは、空の浴槽を見た。湯さえ満ちれば、今すぐ誰かが入れそうだった。


 帰り際、脇の建物から工具を載せた台車が出てきた。押しているのは白髪の男性で、その後ろを黒髪の青年が歩いている。


 コレットは鞄の紹介状を確かめ、声をかけた。


「あの、源泉の設備を調べていらっしゃる方ですか?」


 青年が足を止めた。整った顔立ちに、灰青の目が印象的だった。見られると少し緊張して、コレットは封筒を両手で差し出した。


「コレット・ベルナールと申します。父のもとで修繕を手伝っていまして。設備を見せていただけないでしょうか」


「保全局のヴィクトルです。拝見します」


 保全局。その名を聞き、背筋が伸びた。経験ある設備士でも、採用されるのは難しいと父から聞いている。


 彼は汚れた指を拭いてから封筒を受け取った。


「エドモン殿のお嬢さんですか。お父上の調整記録は、局でも参考にしています」


 父の仕事がここまで届いている。それが嬉しくて、コレットは頷いた。


 ヴィクトルは隣の設備士と相談し、まず状態を説明しましょうと建物へ案内した。


 配管や弁は、すでに整備されていた。直せずに残っているのは、湯を送り出す指示を出す中核だという。


 制御盤の蓋が開くと、細い金属線と結晶が現れた。


「図面が失われていて、元のつながりが分からないんです」


 初めて見る構造だった。けれど、途切れた線へ目を向けると、その先が気になった。


「触れても大丈夫でしょうか」


 ヴィクトルは動力の遮断を確かめ、設備士に残った魔力を測ってもらった。許可を得て枠へ指を添えると、冷たい感触の奥に、続きが分かった。


「この台座の裏に、溝はありませんか。下を回って、反対側へ戻るような」


 白髪の設備士が顔を上げた。


 棚から図面を取り出し、卓へ広げる。描かれた溝は、コレットが示したとおりに曲がっていた。


「この図を、ご覧になったことは?」


 ヴィクトルに尋ねられ、首を振る。


「いいえ。その先に、留め具が2つありますよね」


 設備士が紙の端をめくった。その手が止まり、ヴィクトルも図面を覗き込んだ。


 2人の沈黙に不安になったが、指の奥の感覚は消えなかった。線はそこへ通り、結晶の下で留まるはずだ。


「ここなら、戻せると思います」


 ヴィクトルは盤の裏側を確かめ、それからコレットへ向き直った。


「……もう少し、詳しく教えていただけますか」

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