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ご先祖の旅行記を辿っているだけなのに、なぜか各地で大歓迎されています  作者: オレンジペコ


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17/24

第17話 最後の旅先は、鏡の湖

 祭りのページへ紙を挟むと、旅行記の表紙が少し浮いた。


 コレットは両手でそっと押さえ、それから先をめくった。温泉町を出た朝は、増えた紙はまだ1枚だった。今は港と高原、それに昨夜の灯祭りの記録がある。


 朝食の卓に、湖の絵を開いた。


 岸辺の家々と遠くの山が、水の中にも描かれている。初めてこの絵を見たとき、幼いコレットは、下にも山があるのかと母へ尋ねた。


『風のない朝は、船で向こう岸へ。湖の真ん中で振り返ると、山が上下に見える』


 セレーヌ湖。


 旅立つ前から、今回の最後に訪ねようと決めていた場所だった。


「次は、こちらです」


 向かいのヴィクトルへ本を向けると、彼は杯を置いた。


「湖ですね」


「はい。ここから帰るつもりで、家にも伝えています」


 ヴィクトルは地図を取り出しかけ、手を止めた。


「では、もう最後の目的地なんですね」


「……そうなりますね」


 自分で決めていたことなのに、口にすると少し意外だった。まだ、次のページを選んで旅を続けられる気がしていた。


 窓の外では、屋台の天幕が畳まれている。昨日の夜には人で埋まっていた道を、荷車がゆっくり通っていった。


 コレットは湖のページへ目を戻した。


「こちらのお菓子も、食べてみたかったんです」


 船着き場の売店の脇に、丸い包み焼きが描かれていた。薄い生地の上をひねって閉じ、中から梨が覗いている。


『梨の包み焼きは、焼きたてを。船で山を眺めながら食べた。底の生地まで果汁が染みているので、残さないこと』


 ヴィクトルが文章を読み、絵へ目を移した。


「梨は、今が収穫の時期だったと思います」


「では、間に合いそうですね」


 コレットが頷くと、彼も地図を広げた。湖までは途中で2泊。急がずに進める道を、2人で確かめた。


 船旅の感想の前には、修繕の記述もあった。


『渡し船が出なかったので、湖岸の設備を修繕した。翌朝は風がなく、対岸の鐘がよく聞こえた』


「船の便は、途中の町で調べておきます」


 ヴィクトルはそう言って、乗り継ぎの町へ印をつけた。


 コレットも出発時刻を手帳へ書いた。まだ湖へ着いていないのに、旅の残りを数えるのはやめておいた。


     *


 ヴァレリアを発つ前に、ヴィクトルは設備工房へ寄った。


 コレットもロランへ挨拶をし、橋の絵を1枚もらった。花が灯ったところを描いた、祭りの案内だった。


「お父上にも、ぜひ。通常の夜は明るさを抑えますが、橋の灯りはこれからも使います」


 工房では、若い職員が昨夜の記録を清書していた。色の変わる間隔を、実際の光と照らして確かめたという。


 ヴィクトルが受け取った資料は、厚い封筒に収められた。帰る頃には、その脇にもう1通、別の手紙を持っていた。


 馬車が町を離れ、平らな道へ出てから、彼が封筒を差し出した。


「ご実家からです。私宛てですが、あなたにも読んでいただきたいものが入っています」


「父から?」


 中には手紙と、古い書き置きの写しがあった。


『家に残るベアトリスの覚え書きを調べた。気になる箇所を写して送る。娘の話と似ているが、これだけで判断せず、そちらの記録とも照らしてほしい』


 コレットは次の紙を取った。


 旅行記で見慣れた、少し傾いた字が写されている。


『知らない盤でも、触れると、どこへ戻すか分かる。仕組みを尋ねられると困る。直したあとに、その土地の設備士へ教わることが多い』


 読み終えてから、もう一度最初へ戻った。


「私と、同じです」


 ヴィクトルが頷いた。


「ベルネで、そう話してくださいましたね」


「ご先祖も、どうして分かるかは知らなかったんでしょうか」


「この書き方では、そう読めます。ただ、当時の作業記録も確認したいと思います。図面があったか、事前に構造を習っていたか。それが分かれば、判断の根拠になります」


 コレットは紙の端を持ち直した。


 ベアトリスは、何でも知っている人だと思っていた。知らない土地へ出かけ、古い設備を直し、食べたいものを食べて帰ってくる。自分には、そのうちの旅を楽しむ部分しか真似できないと思っていた。


 ところが、ご先祖も説明に困っていたらしい。


 指を添えると戻す場所が分かり、あとで人に教わる。自分と同じ順番で仕事をしていたのだ。


「父は、この本を何度も見ていたのに、気づかなかったんですね」


「お父上の手紙に、そのこともありました。ご自宅で扱う設備では、構造を学んでから直していたので、違いを確かめる機会がなかったと」


 コレットは父の文章を読み進めた。


『教えたとおりにできていると思っていた。お前も、そう思っていただろう。知らない設備で試さなかったのは、間違いではない』


 最後の一文を、しばらく見ていた。


 ヴィクトルは続きを急かさなかった。コレットが紙を重ねると、しまいやすいよう封筒を開いてくれた。


「この写しは、私が持っていても?」


「もちろんです。私の分も入っています」


 コレットは旅行記と同じ場所へ収めた。見慣れた表紙が、今までより少し身近に感じられた。


     *


 翌日の午後、乗り継ぎの町で、ヴィクトルは保全局の出張所を訪ねた。


 湖への連絡と、ベアトリスの作業記録の照会を頼むためだった。報告を出す際、家から届いた写しのことも親展で伝えるという。


 コレットは用事が済むまで、近くの広場で待つことにした。


 大きな木の下へ座り、母の追伸を読む。温泉卵はうまくできたらしい。父が先に制御盤の図を広げたので、食べる間だけ片づけてもらったと書いてあった。


 笑っていると、隣の腰掛けから甘い匂いがした。


 旅支度の女性が、紙包みを開いている。丸い菓子の上を割ると、中から蜜色の梨が現れた。


 コレットは、つい見てしまった。


「これ? 湖の船着き場で買ったのよ」


 目が合うと、女性が笑って包みを少し上げた。


「すみません。旅行記に載っていて、気になっていたものですから」


「あら、湖へ行くの?」


「はい。明日、着く予定です」


「なら、朝に買うといいわ。炉から出したばかりは、生地が軽くてね」


 女性は欠片をつまみ、膝へ落ちないよう手を添えて食べた。


 コレットは本の絵と同じ形だと分かり、嬉しくなった。


「船に持って乗れるんですよね」


 尋ねると、女性は少し顔を曇らせた。


「今は、大きな渡し船が出ていないの。私は荷物があるから、岸を回る馬車で来たんだけど、時間がかかってね」


「船が、故障しているんですか?」


「湖の流れを整える設備だそうよ。小舟は見かけたけれど、詳しくは分からないわ」


 コレットは礼を言い、湖の絵へ目を落とした。


 菓子は買える。けれど、船から山を見ることはできないかもしれない。


 あとから戻ってきたヴィクトルへ話すと、彼も同じ知らせを聞いていた。


「島の設備が止まっているそうです。現地で、管理している方に伺いましょう」


「ご先祖が直したのは、湖岸でしたよね」


「ええ。同じ場所かどうかも、確認が必要です」


 コレットは本を閉じた。まだ見てもいない設備を、直せるとは思わなかった。ただ、話は聞きたかった。


 宿へ向かいかけたところで、ヴィクトルが足を止めた。


「もう1つ、照会の返事が来ています。ベアトリスについてです」


 コレットも立ち止まった。


「以前、こちらの出張所から調べてもらっていた記録がありまして。修繕を頼んだ側の報告が見つかりました」


 通りを荷車が過ぎた。ヴィクトルは声を落とす。


「当時も中核の図面がなく、担当者には直せなかったそうです。ベアトリス自身も、内部の構造を知らないと答えています」


 宿の小さな客間を借り、2人で資料を並べた。


 コレットが実際に行った作業。家に残っていた、ご先祖自身の感覚。そして、別の場所に保管されていた当時の記録。


 ヴィクトルは1つずつ確かめ、コレットへ向き直った。


「ベアトリスも、《復元》の使い手だったと考えるだけの根拠が揃いました」


 コレットは、旅行記の表紙へ手を置いた。


 自分の力を知ったときから、父に尋ねても答えのないことがあるのだと感じていた。困ったとき、誰に聞けばよいのかも分からなかった。


「ご先祖も、知らないものを直すのは、怖かったでしょうか」


 ヴィクトルは写しへ目を落とした。


「そのことは、まだ分かりません」


 少し間を置き、続けた。


「ただ、直したあとで設備士に教わったとあります。1人で全部決めていたわけでは、なさそうですね」


 コレットは頷いた。湯を流す判断をしたマルセルや、庭園の重さを合わせたイレーヌを思い出した。


「私も、その方が安心です」


「ええ。湖でも、一緒に話を聞きましょう」


 コレットは顔を上げた。


 ヴィクトルは資料を揃えながら、返事を待っていた。すぐ隣に相談できる人がいる。そのことを、今は素直に心強く思った。


「お願いします」


 旅行記へ湖のページを開く。


 山の絵の下に、梨の包み焼きがあった。明日、あの売店を見つけたら、まず船が出る朝にも焼いてもらえるか聞いてみよう。


 ヴィクトルが、隣から絵を覗いた。


「最後の旅先ですから。少し長く泊まれるよう、宿も相談しておきましょうか」


 コレットは頷いた。


 湖を急いで発たなくてよいことが、菓子の話を聞いたときとは違う嬉しさで、胸に残った。

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