第14話 祭りの日の約束
夕食の皿が下げられると、コレットは旅行記を開いた。
アルヴェルの次には、いくつか寄り道のページがある。果樹園の道も気になったが、古都ヴァレリアのところまでめくって、指が止まった。
『灯祭りの夜は、川沿いの石段へ。橋の花が水に映り、流れるたびに色がほどける』
欄干いっぱいに、花の形の灯りが描かれている。
『橋の灯りが半分消えていたので、川岸の制御器を修繕した。蜜焼き栗を買うなら、紙袋は2枚重ねてもらうこと』
コレットは、挿絵の小さな栗を見た。
「これも、秋なんです」
向かいのヴィクトルが覗き込む。その隣を通った宿の主人が、町の名前を聞いて足を止めた。
「ヴァレリアなら、今年の祭りは5日後ですよ」
「今からでも、間に合いますか?」
「西の街道を下れば。途中で泊まりながらでも、十分でしょう」
コレットは鞄から地図を出した。ヴィクトルが杯を寄せ、広げる場所を空けてくれる。
街道を指で辿り、宿を取れそうな町を確かめる。前なら、行きたい場所を先に全部挙げていた。けれど今回は、移動した日に歩き回る予定を入れなかった。
「着いた日は、近くを見るくらいにします」
「それなら、余裕がありますね」
ヴィクトルが頷いた。
コレットは祭りのページへ栞を移した。明日の旅支度をするつもりだったのに、蜜のかかった栗を想像して、また少しお腹が空いた。
*
3日後、ヴァレリアへ着いた。
川を挟んで石造りの家が並び、橋のたもとに屋台の骨組みができていた。店先では色紐を束ねて売り、子供たちが赤や黄色を選んでいる。
馬車を降りると、栗を炒る音がした。
大きな鉄鍋の中で、茶色い粒が転がっている。男が長い匙で返すたび、割れた皮から黄色い中身が覗いた。
コレットは思わず歩みを緩めた。
「祭りの日にも、こちらで買えますか?」
「もちろん。蜜をかけるのは、その場でね」
鍋のそばに、注ぎ口のついた小さな器があった。コレットが見ていると、男は紙袋を1枚広げてみせた。
「今、少し持っていく?」
「いえ、祭りの夜に。橋を見ながら食べたいんです」
旅行記を示すと、男は懐かしそうに灯りの絵を見た。
「この橋だったら、よかったんだけどねえ」
コレットは顔を上げた。
実物の橋にも、透明な花びらを重ねた飾りが並んでいた。昼の光を受けて輝いているが、夜には灯らなくなって久しいという。
「屋台には灯りを出すよ。川岸の灯籠も綺麗だから、見ておいで」
男の声に頷き、コレットは橋を見上げた。
ご先祖が直した設備が、また止まっている。少し残念だったが、祭りそのものがなくなったわけではない。まずは荷物を置こうと、宿へ向かった。
その日は夕方に川沿いを歩くだけにした。
石段へ腰を下ろすと、屋台を組み立てる音が水面を渡ってきた。ヴィクトルも隣へ座り、橋の花飾りを眺めている。
「明日、設備を管理している方にお話を聞けますか」
「ええ。工房へ連絡しておきます」
コレットは旅行記を膝へ置いた。花の灯りを見てみたい。直せるかは、盤に触れるまで分からなかった。
*
翌朝、市の設備工房へ行くと、年配の男性が待っていた。
「照明設備を担当しているロランです」
ヴィクトルの身分証を確かめたあと、彼はコレットへも丁寧に頭を下げた。
「ベルネとリュメールの復旧に携わられたそうですね。保全局の連絡で伺っています」
自分たちより先に話が着いていたことに、コレットは驚いた。
ロランは椅子を勧め、橋の図面を広げた。
灯りが止まったのは12年前だった。花飾りの結晶や外側の配線は交換できるが、色を順に変える中核だけは直せずにいる。
「今は、川沿いへ灯籠を並べています。ただ、あの花をもう一度見たいという方は、多くて」
彼が古い絵を出した。
夜の橋に、金色と薄紅の花が連なっていた。青白い光もあり、その色が水へ長く伸びている。
コレットは紙へ顔を近づけた。旅行記の挿絵では、全部同じ色だと思っていた。
「ゆっくり変わるんです。端から、次の花へ移るように」
「制御器を見せていただけますか」
尋ねると、ロランは頷いた。
そこへ職員が入り、ヴィクトルへ書付を渡した。市庁舎からの連絡だった。
「午前中に、ご挨拶をお願いしたいそうです。そのあと、昼食の席と、保存庫の見学を用意しています」
コレットは鞄の紐を握った。
午前の挨拶なら、行ける。けれど午後は、祭りの屋台を見たいと思っていた。昨日はまだ品物のなかった店も、今日は開くと聞いている。
ヴィクトルは書付へ目を通した。
「では、挨拶を済ませてから――」
言いかけて、コレットを見た。
「午後も、大丈夫ですか?」
職員もこちらを向いた。
もう用意してくれている。それを思うと、喉まで出た言葉が止まった。コレットは頷きかけ、昨日の石段を思い出した。
「あの、午後は、屋台を見て回りたくて」
声が小さくなった。
「まだ、約束があるわけではないんですけど」
ヴィクトルは手元の紙へ目を落とした。
「そうでしたね。先に伺うべきでした」
彼は職員へ向き直った。
「昼食と見学は、今回は辞退させてください。ご挨拶の時間は、こちらから改めて相談しても?」
職員は頷き、確認してくると出ていった。
戸が閉まってからも、コレットは少し落ち着かなかった。
「失礼ではなかったでしょうか」
「急なお招きですから。お礼と一緒にお伝えすれば、大丈夫です」
ヴィクトルは書付を畳み、コレットへ向き直った。
「私も、せっかくなら保存庫を拝見したいと思ってしまって。すみません」
「見たかったんですか?」
「古い調整記録があるそうなので。ただ、それは別の機会に伺えます」
コレットは彼の顔を見た。自分の行きたい場所を言えたことには、ほっとしていた。でも、彼の楽しみをなくしてしまったのなら、それも気になった。
「お仕事で必要なら、別々に――」
「まず、灯りを見ましょう。そのあとの時間は、改めて相談させてください」
彼はそう言い、卓の図面をロランへ返した。
コレットも頷いた。全部一緒にしなくてもいい。まだうまく話せなかったが、黙って頷くよりはよかったと思った。
川岸の制御室を見学したあと、市庁舎での短い挨拶を終えると、昼を少し過ぎていた。
外へ出た途端、屋台の呼び声が聞こえた。
昨日は畳まれていた布が広げられ、紐や小さな飾りが棚へ並んでいる。コレットは思わず足を止めた。
ヴィクトルが隣から通りを見た。
「午後は、私も空けられました」
「保存庫は、よかったんですか?」
「明日の検査の間に、ロランさんが見せてくださるそうです」
コレットは肩の力を抜いた。
彼は少し間を置き、川の方へ顔を向けた。
「明日の夜も、ご一緒していいでしょうか」
「祭りですか?」
「はい。昼の確認を終えたら、仕事の道具は置いてきます」
コレットは返事をする前に、彼を見た。
同じ宿に泊まり、毎日一緒に出かけている。明日も、そうなるものだと思っていた。それなのに、改めて尋ねられると、急に約束をするのだと感じた。
「はい。私も、ご一緒したいです」
言ってから、少し照れた。
ヴィクトルは頷き、目の前の屋台へ視線を移した。
「今日は、どちらから見ますか」
コレットは並んだ店を見渡した。色とりどりの布の向こうに、小さな髪飾りが光っていた。
「あちらからでも、いいですか?」
歩き出すと、彼も隣へ並んだ。
明日の夜まで、楽しみにすることがもう1つ増えていた。
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