第12話 昔の庭園と、今の重さ
管理棟の戸口に、土を積んだ手押し車が止まっていた。
コレットが脇を通ると、中から灰色の髪を束ねた女性が出てきた。袖口に白い粉がつき、腕には図面を抱えている。
「東回廊について、お尋ねだそうですね。設備を担当しているイレーヌです」
ヴィクトルが身分証を示すと、彼女は表情を改めた。コレットの紹介も聞き、まず中へと卓を空けてくれる。
旅行記を見せると、イレーヌは挿絵へ顔を近づけた。
「休憩所ができる前ですね。この頃の姿は、初めて見ました」
隣に広げられた現在の図面には、窓のある回廊の横へ建物が足されていた。石の花壇も、古い絵よりずっと大きい。
「増築のたびに、支える力を調整して使ってきたんです。ところが18年前、中核が止まってしまって」
「今は、何が支えているんですか?」
コレットが尋ねると、イレーヌは回廊の下に引かれた線を指した。
「庭園本体から伸びる梁です。あとから補強も加えました。落下を防ぐことはできていますが、人を入れる余裕まではありません」
閉じた柵の向こうは、ただ使われずにいるわけではなかった。止まった設備の代わりに、別のものが重さを受けている。
ヴィクトルは増築の記録をめくった。
「制御が戻ったとしても、現在の重さに合わせ直す必要がありますね」
「ええ。動かせるなら、その前に実測もします」
コレットは旅行記へ目を落とした。自分が触れたときに分かるのは、戻す場所だった。増えた休憩所まで支えられるかは、その感覚だけでは決められない。
「まず、盤を見せていただけますか。何が戻るのか、確かめたいです」
イレーヌは頷き、壁から鍵を取った。
*
制御室は、管理棟の下にあった。
階段を降りると、空気がひんやりした。壁に据えられた盤の中央には、大きな結晶がある。その周りへ線が広がり、外側には目盛りのついた輪が重なっていた。
「中央から、回廊を支える装置へ指示を送ります。この輪で強さを変えるんですが」
イレーヌが少し回しても、隣の計器は動かなかった。
「今は、何も伝わりません」
動力が切れていることを確かめ、コレットは枠へ手を添えた。
中央の結晶には割れ目があった。欠片は受け皿に残り、細い線も切れたまま横たわっている。触れていると、それぞれの収まる位置が分かった。
ただ、外側の輪も、今とは違う位置へ戻りそうだった。
「この輪も動くと思います。目盛りを、写しておいていただけますか」
ヴィクトルが盤へ近づいた。
「全部ですか?」
「はい。どこまで変わるか、まだはっきりしないので」
彼はイレーヌと手分けして、輪の位置を記録した。コレットも一度手を離し、終わるのを待った。
枠へ触れ直すと、先ほどと同じ場所が分かる。
ゆっくり力を流した。
受け皿の中で欠片が寄り合い、結晶の割れ目が閉じていく。ずれていた線が溝へ沿い、結晶の根元へつながった。1本が収まるのを待って、奥の線へ意識を向ける。
外側で金属が鳴った。
目盛りの輪が回り、次の輪も、それを追うように動いた。いくつかはわずかな変化だったが、半周近く回ったものもある。
すべてが止まったところで、コレットは手を離した。
「戻りました」
イレーヌは盤を覗き、すぐ目盛りへ視線を移した。
「ずいぶん変わりましたね」
ヴィクトルが記録と見比べる。イレーヌは棚から調整簿を取り出し、古いページを開いた。
2人が数字を照らし合わせる間、コレットは盤を見つめていた。触れているときには、そこが正しいと感じた。けれど、今の回廊にとっても正しいとは限らない。
「この値です」
イレーヌの指が止まった。
「休憩所を足す前の設定に近い。花壇を大きくするより、さらに前ですね」
「元の形だけでなく、調整の位置も戻ったんですね」
コレットが言うと、彼女は頷いた。
「このままでは、今の重さを任せられません。ここから合わせ直します」
遮断器は、まだ切られたままだった。
コレットはそこを見て、息を吐いた。元へ戻すところまでは、自分にできる。その先を確かめてくれる人がいてよかった。
試験用の弱い魔力が流されると、中央の結晶に金色の光が灯った。
光が線を巡り、外側の輪へ届く。イレーヌが輪を回すと、横の計器の針が上がった。
彼女の手が止まった。
少し戻す。針も、同じように戻る。
「応答しています」
ヴィクトルが別の計器を確かめた。
イレーヌはもう一度回し、それから後ろの椅子へ腰を下ろした。
「……こんなに軽かったんですね」
長い間、動かしても何も変わらなかった輪を、彼女は見ていた。
戸口にいた管理人が近づく。
「使えそうですか」
「調整ができます。ようやく、重さに合わせられる」
管理人は金色の光へ目を向け、眼鏡を外した。
「では、入口の札も替えられるかもしれませんね」
「試験が済んだら」
「ええ。それは、もちろん」
彼は笑い、コレットへ頭を下げた。
コレットも礼を返した。雲を見たいと言う前に、2人が回廊の話を始めた。休憩所の床、窓の留め具、手すり。開けるとなれば確かめたい場所が、次々に出てくる。
その声を聞いていると、閉じた回廊が、少し近くなった気がした。
*
地上へ戻ると、卓に増築の図面が並んだ。
休憩所は残す。ただ、後から加えた石の飾りは外し、深く盛った花壇の土も減らすことになった。
「花は、移すんですか?」
コレットが尋ねると、管理人が窓の外を示した。
「中央の花壇へ。あちらなら、まだ植えられます」
赤い小花が、手押し車へ丁寧に載せられていた。邪魔だから捨ててしまうわけではないと分かり、ほっとした。
ヴィクトルはイレーヌから図面を受け取っていた。
「明日、実測の記録を照合します。局に残る資料も使えそうです」
「助かります。こちらだけでは、読み切れない箇所があって」
コレットも卓へ近づいた。
「私にも、何かありますか?」
イレーヌは考え、それから首を振った。
「今日は、十分です。回路に気になるところが出たら、改めてお願いします」
「……はい」
少し手持ち無沙汰だった。皆が働いている横で帰るのも気が引けたが、疲れていないわけではない。指先より、細かいものを追い続けた目の奥が重かった。
帰りの橋では、行きより少し楽に歩けた。
ヴィクトルは隣にいた。歩調を合わせてくれているのだと分かっていたが、今日は、門だけを見続けなくても渡れた。
「今夜、よく眠れそうです」
コレットが言うと、彼が顔を向けた。
「お疲れになりましたか」
「はい。お腹も空きました」
答えてから笑うと、ヴィクトルも笑った。
「私もです。宿の夕食まで、あと少しありますね」
坂を下る途中、彼が一度立ち止まった。
コレットも振り返る。庭園の縁を夕日が照らし、東回廊の丸い窓が光っていた。
「まだ、気になりますか?」
「ええ。あの調整輪が動くところを見られるとは、思っていなかったので」
彼の目は、しばらく回廊から離れなかった。
コレットは先へ歩かず、隣で待った。今日、自分が戻したものを、彼はこんなふうに喜んでいる。
「明日も、ずっとお仕事ですか?」
「午前中から、重さを量る予定です。何か行きたいところが?」
「まだ決めていません。……でも、雲が見られる日には、一緒に来られますか」
ヴィクトルがこちらを向いた。
「試験のときではなくて。旅行記にある、朝の景色を」
「ええ」
返事はすぐだった。
「その朝は、空けておきます」
コレットは頷いた。1人で見に来ることもできる。それでも、今日の橋を渡りながら、窓の隣に彼が立つところを考えていた。
宿へ戻ると、食堂からシチューの匂いがした。
階段を上がりかけたコレットは、夕食まであとどのくらいか尋ねた。もう出せると聞き、ヴィクトルと顔を見合わせる。
「荷物だけ、置いてきます」
「私も」
いつもなら、部屋で旅行記を開いてから降りる。今日は本を鞄に入れたまま、先に手を洗った。
窓の外では、庭園の下に薄い雲が流れ始めていた。
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