第62話:宮本玲奈
――機内の灯りが落ち、客席は深い静けさに包まれていた。
低く響くエンジンのうなり、シートのきしむ音。遠くでは、客室乗務員の落ち着いた声がかすかに聞こえる。
窓の外は真っ暗で、ところどころに街の光がちらちら瞬いていた。
通路を挟んで隣――直也の肩に寄りかかり、無防備に眠る保奈美ちゃん。
シートベルトを締めたまま、ほんのり赤い頬を見せて、すやすやと寝息を立てている。
その寝顔は幸せそのもので、見ているだけで胸が温かくなる。
(……結局、私もこの子が大好きになっちゃったんだな)
亜紀さんが「天使」って呼ぶたびに笑っていたけど、今なら否定できない。
まっすぐで、人を疑うことを知らない目。
好意や感謝をそのまま表情にのせる無垢さ。
一緒にいるだけで空気を柔らかくする――そんな存在。
……好きにならない理由なんて、どこにもない。
ただし、ひとつだけ。
(あのキスは……許せない)
花火のフィナーレの下。
保奈美ちゃんはためらいもなく「直也さん、大好き!」と告げて、頬にキスをした。
その瞬間、心臓が跳ね上がった。驚き、羨望、嫉妬。
全部が一度に押し寄せ、頭の中が真っ白になった。
あの子に打算なんてない。
あれは純粋な「ありがとう」と「大好き」でしかない。
だからこそ厄介で――そして一番の問題は。
直也が、何もしなかったこと。
避けない。止めない。ただ驚くだけ。
(……直也。あなたは本当に、この子をどうするつもりなの?)
私は、直也をずっと見てきた。
人には優しく、自分には厳しい。
その背中を追い続け、惹かれてきた。
けれど今は――その背中を、保奈美ちゃんも夢中で見つめている。
このままじゃ、誰かが泣く。
私は泣かない。けれど、保奈美ちゃんが泣くのを見たくない。
その想いが、私の心をかき乱す。
……直也を好きでいたい。
けれど保奈美ちゃんを傷つけたくない。
そんな矛盾に、答えなんて出せるはずもない。
シートベルトのサインが小さく光り、機体がふっと揺れた。
保奈美ちゃんは直也の肩に頬を寄せたまま、無邪気に眠り続けている。
直也は眠っていない。窓の外を見つめながら、また何かを考えている。
いつもそうだ。誰よりも先を見て、自分を追い込んでいく。
(……どうして、そこまで走り続けるの?)
問いかけても答えは返らない。
けれど、彼がこだわる「サンタローザ」という街――そこに理由がある気がしてならない。
目を閉じ、深く息を吐いた。
胸の奥ではまだ渦が巻いている。
それでも、このひとときだけは。
眠る天使と、無言で遠くを見つめる直也。
二人を同じ空間で見守れることが、ただ幸せだった。




