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第18話:沸き立つ思い(宮本玲奈)

 ――胸の鼓動が鳴り止まない。


 五つ星ホテルのロビーに足を踏み入れた瞬間から、私の中で何かが浮き立つのを感じていた。

 大理石の床、シャンデリアの光、エントランスに並ぶ黒塗りの高級車。


「これが……シリコンバレーで迎えられるラグジュアリーな待遇」


 頭では冷静に受け止めようとしても、心のどこかで舞い上がってしまいそうになる。


 ――いけない。

 私は必死に自分を戒めた。


 こういう時に浮かれるのは亜紀さんの役割。

 むしろ私は、絶対に浮かれてはいけない。

 私が崩れたら、誰が直也を現実的に支えるのか。

 私が直也を守るのだ。


「……」

 だからこそ、隣で窓際に駆け寄って夜景を見て、素直に感嘆の声をあげる亜紀さんの姿を、むしろ優しい気持ちで眺めてしまった。

 ――いいな。そうやって感情を表に出せるのは、亜紀さんらしい。

 私は、私が果たすべき役割を、地道に果たすのみ。


 部屋に荷物を置くと同時に、早速私はタブレットを開いた。

 やるべきことを最短で片付けなければ。

 それが、今の私にできる唯一の冷静さの保ち方だ。


 まずはAACの大田代表への連絡。

 ――「こちらに到着しました。近日中にお時間をいただきたい」

 同時にDeepFuture AIのCEO、イーサンにもコンタクトを送る。

 ――「最優先でのご面会をお願いしたい」と。


 返信が届くまでの間に、次の準備に移る。

 直也が従来からコンタクトしていたIT系スタートアップ数社のTOP・ファウンダーたち。

 彼らとは「非公式の打ち合わせ」枠でいい。

 けれど、こういう緊迫した状況では、むしろカジュアルな会合が直也にとってもヒントとなる可能性がある。

 ――直也なら、絶対にそういう場を好む。


「玲奈。ずっと仕事してるな」

 後ろから直也が声をかけてきた。

 振り返ると、柔らかい笑みを浮かべている。

「無理するなよ。

 時差ボケもあるし、とりあえず今日は身体を休める事を最優先しよう」


 ……その言葉に、危うく胸の奥が溶けそうになる。

 でも、だからこそ余計に自分を律した。

「休むのは後。

 直也にとって必要な人脈は、ここで全部押さえておきたいので、可能な限り今週中に調整しましょう」


 自分でも驚くほど、きっぱりと言えた。

 そうでもしなければ、この非日常に飲み込まれてしまいそうだから。


 ――必死なのだ、私も。

 だから冷静に見えるように振る舞うしかない。

 亜紀さんのように浮かれるのはできない。

 私の役割は、直也の横で「いつでも実務を片付けておく」こと。


 夜景に夢中な亜紀さんを横目に、私はタブレットに視線を落とした。

 心臓の鼓動を必死に押さえ込みながら。


※※※


 五井アメリカ支社長、そしてシリコンバレー支社長。

 本来なら彼らが揃って同席するだけで、胃が縮こまりそうなほどの緊張感になるはずだった。


 でも今、私の心臓を占めているのは……。

 「直也と同じテーブルにいる」という現実。

 しかも舞台は、サンノゼ中心部の最上級ホテルのレストラン。


 シャンデリアの柔らかな光。

 窓一面に広がるシリコンバレーの夜景。

 白いクロスの上に並んだ銀のカトラリー。

 グラスには、琥珀色のワインがゆらめいている。


 ――非日常すぎて、どうにかなりそうだ。


「一ノ瀬くん、まずはとにかくアメリカ来訪を歓迎します」

 支社長が穏やかにグラスを掲げる。

「現地は我々が全面的にバックアップする。君たちは安心して状況の推移を見守ってくれればいいよ」


 直也が軽く頭を下げる。

「ありがとうございます。

 本社の指示もあり、最初の一週間はステークホルダーへの説明と、日米同時進行プランへのご理解をいただくことを最優先にする予定です」


 私は黙ってメモを取りながら聞いていた。

 でも視線は、どうしても直也の横顔に吸い寄せられてしまう。

 真剣な眼差し、ワイングラスを持つ手の力強さ、時折見せる柔らかな笑み――。


(ダメ、仕事に集中しなきゃ……)

 必死に自分を叱咤した。

 だけど、胸の奥で湧き上がる熱はどうにも抑えられない。


 メインディッシュのフィレステーキが運ばれてきた頃。

 ふと、直也がこちらを見た。

「玲奈、アメリカの食事は量が多いだろう。

 時差ボケもあるし、大丈夫か?」


 ――心臓が一瞬止まる。

「え、あ、ええっ……! 大丈夫。美味しいです」

 声が裏返ったのを自覚して、慌ててグラスに口をつけた。


(落ち着け、落ち着け、私……!)


 亜紀さんが隣で、わざとらしくナイフとフォークを鳴らした。

 ……気づいてる、絶対。

 でも今だけは、少しくらい夢に浸らせてほしい。


 食後のデザートが運ばれた頃、支社長が話を締めくくった。

「一ノ瀬くんのプランはもうこの国の最高権力者にも、間違いなく届いている。

 今後、一気に加速すると信じて、まずは目先のできる事を進めるとしましょう。

 我々も全力で支援するので、何でも必要なものがあれば言って欲しい」


 テーブルの全員がうなずく。


 その中で、私の心臓だけが別のリズムを刻んでいた。

 ――あくまでも五井の内輪な会食であることは分かっている。

 でも、直也と同じ席で、同じ料理を食べ、同じ時間を過ごしている。

 それだけで、胸がふわふわして仕方がない。


 ホテルのエントランスを出た夜風が、火照った頬を冷やしてくれた。

(いけないな、私……)

 冷静に振る舞おうと必死なのに、心は完全に直也に支配されてしまっていた。


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