第3話 荒地開拓伯令嬢、王都の剣士を叩き飛ばす
「木剣では、彼女の武芸にならないのだろう」
壁際にいたゼノ・ブルーウィロウが、試合場へ下りてきた。
柳葉の紋章を肩につけ、細身の剣を腰へ佩いている。昨日と同じように、アクシスの手ではなく足を見ていた。
「預けてある斧を使っても構わない」
「決めるのは、受けるそなたではない」
ルシアンが止めた。
「あれは四キログラムを超える実戦武器だ。刃を覆ったところで、あの力で打たれれば骨が折れる」
「打つ場所と軌道を先に定める。僕は柳葉流中目録だ。受けられる」
「中目録?」
若い武官が、先ほどの戦力査定と比べるように聞き返した。
「比べるものが違う」
観覧席の前列から、壮年の男が答えた。飾り気のない黒い稽古着をまとい、一本の木剣だけを携えている。ゼノの叔父であり、柳葉流の師範を務めるアーヴィン・ブルーウィロウだった。
「戦力級は、魔物や戦場でどれほどの役割を果たせるかを見る。目録は、流派から何を教えられ、どれだけ正確に使えるかの証だ。高い戦力級だからといって、対人試合に勝てるわけではない。中目録も、特定の戦力級を示す言葉ではない」
アーヴィンはゼノへ目を向けた。
「条件を守れるか」
「もちろんです」
「では、やってみるといい」
ルシアンは納得していなかったが、双方の同意と師範の立ち会いを条件に許可した。
厚い生革が用意され、大戦斧・開拓の両刃へかぶせる。さらに縄を幾重にも巻き、刃が露出しないことを確認する。ゼノは木剣ではなく、刃を潰した稽古用の剣へ持ち替えた。
アクシスが打ち手、ゼノが受け手。三度の打撃を受ければ終了する。アクシスは刃を食い込ませず、ゼノは反撃しない。
「ご自分から言い出したんですもの。折れても文句を言わねえでくださいまし」
「その斧を使えば勝てると思っているなら、試せばいい」
「そういうところは嫌いじゃありませんわ」
アクシスは開拓を持ち上げた。
重みが両手へ戻る。木剣よりもはるかに扱いやすい。重心の位置も、柄を握ったときの楕円の感触も、目を閉じていて分かる。
ルシアンが開始を告げた。
一打目。
アクシスは幅広い斧刀を、ゼノの右肩へ向けて斜めに打ち下ろした。
ゼノは正面から止めなかった。細剣を斧刀の平へ添え、接触と同時に右足を外へ開く。斧の力を自分の横へ通し、重い斧頭だけを砂地へ落とした。
アクシスの体が、わずかに前へ流れる。
ゼノはすでに次の間合いへ戻っていた。
二打目。
開拓を返し、反対側の厚い斧刀で横から打つ。
ゼノは斧頭が速さを増す前に、柄へ近い位置へ細剣を当てた。後ろへ逃げず、アクシスの外側へ回りながら軌道を上へずらす。革で覆われた斧刀が、ゼノの髪を揺らして通り過ぎた。
観覧席から、今度はゼノへ向けた感嘆が上がった。
「柳は折れず、風を知る」
アーヴィンが静かに言った。柳葉流の武訓らしい。
ゼノはアクシスの怪力へ力で対抗しているのではない。大斧が向かう方向を読み、その道から自分だけを外している。アクシスが木を伐るなら、ゼノは風に揺れる葉のように、その力を通過させた。
「その斧なら、受け流せないとでも思っているのか」
ゼノの声には、最初から分かっていたことを証明した余裕があった。
アクシスは開拓を肩へ戻した。
「思ってませんわ」
「ならば、これで分かっただろう」
「でも、それは斬撃の話でしてよ」
三打目。決められた通りの軌道。
しかしアクシスは開拓を九十度寝かせた。
左右の斧刀が上を向き、その広い平がゼノへ向く。木を伐る刃ではなく、四キログラムを超える斧頭そのものが、壁となって迫った。
開拓斧術・大はたき。
ゼノは前の二打と同じように、細剣を添えて流そうとした。
斬撃は細い線で入ってくる。接触する場所と角度をずらせば、外へ導くことができる。だが大はたきは、広い面で正面の空間ごと押し潰す打撃だった。
柳葉流の技をもってしても力を逃がすための角度が足りない。
斧頭がゼノの剣を胸元へ押し戻した。
ゼノの両足が、砂地から浮いた。
アクシスは衝突の瞬間、肘を緩めた。ゼノを打ち抜くのではなく、開拓の平へ乗せて押し出す。ゼノの体がふわっと数歩ぶんを飛び、砂の上へ尻と背中から落ちた。
細かな砂が舞い上がる。
観覧席から誰かが息を呑んだ。その直後、ひときわ明るい声が上がった。
「すごい……!」
ネリアが立ち上がっていた。
自分の声が響いたことに気づき、少し恥ずかしそうに杖を抱き直す。それでも座り直さず、砂の中のゼノと、斧を止めたアクシスを見つめていた。
ルシアンがゼノへ駆け寄る。ゼノは咳き込みながら手を上げ、自分で立ち上がった。胸元に押しつけられた細剣の跡はあるが、骨にも関節にも異常はない。
「今のは峰打ちですの」
「両側とも刃ではないか」
ゼノが砂を払いながら言った。
「刃じゃねえところ全部が峰でしてよ」
ぽんぽん、と柄を叩くアクシス。
「それを峰打ちとは呼ばない」
「殺してねえなら峰打ちですわ」
「呼び方の話はあとだ」
ルシアンは二人を黙らせ、ゼノの体と開拓をもう一度確かめた。
刃は革に覆われたまま。アクシスは指定された三度の打撃を行い、受け手へ刃を当てていない。ゼノを飛ばした方向にも人はおらず、重傷も負わせていなかった。
「危険な技ではある。しかし、規則には反していない。三打目を処理できなかった以上、この双相受打はアクシス・キリハルトの勝ちとする」
アクシスは開拓を肩へ担ぎ、観覧席へ向けて礼をした。右足を半歩引き、背筋を伸ばしたまま膝を曲げる。昨日より、ずっとうまくできた気がする。
「斧で叩くだけなら、田舎の木こり娘でも剣士に勝てますのね」
王都の騎士たちから、笑いと拍手が起こった。
アクシスが顔を上げると、ネリアも拍手をしている。セヴェランは白い法衣の袖へ両手を隠したまま、動かなかった。
ゼノは負けたことを怒るより先に、砂の上へ残った足跡を見ていた。アクシスが斧を寝かせた位置、自分が細剣を当てた位置、飛ばされた方向を一つずつ確かめている。
「避ければよかった」
「受けるとおっしゃったのは、そちらですわ」
「次は受けない」
「一度負けた相手が、同じ負け方をしてくださるとは思ってませんの」
「もう一度だ。今度は力と武器を計算に入れる」
「懇親会で一人とばかり遊んでいたら、他の方に失礼ですわ」
アクシスが断ると、今度はゼノが不満そうな顔をした。
「中目録とは、教えた技が使えるという証だ。教えていないものまで斬れるという証ではない」
アーヴィンが、甥へ告げた。
「アクシス殿が正騎士級だから、そなたが負けたのではない。そなたは受け流せる形で来ると思い、受け流せない形を出された。それだけのことだ」
「次は間合いから外れます」
「それを、打たれる前に考えるのが技量だ」
ゼノは口を閉じた。それでも目は、開拓から離れなかった。
懇親会が小休止へ入ると、ネリアが観覧席から下りてきた。
「お見事でした、アクシス様」
「聖女様に褒めていただけるとは思いませんでしたわ」
「私も、あれほど大きな斧を使う方を見るのは初めてです。でも驚いたのは、力よりも……あの方を傷つけずに飛ばしたことです」
ネリアはゼノを見た。彼はルシアンに胸当てを外され、打ち身がないか確かめられている。
「魔物より人間の方が脆いんですの。加減できなければ、わたくしの民の近くで斧を振れませんわ」
「あの森で、ずっとあのように戦ってきたのですね」
「三年ほどは、わたくしが。三十年なら、父上と姉上と、開拓団のみんなですわ」
ネリアは素直にうなずいた。王会議で聞かされた六つの村と、その住民の暮らしが、初めて目の前のアクシスとつながったようだった。
しかし次の言葉を探す間に、その手が世界樹の杖を少し強く握った。
「それでも、魔寄せの森を清めるのは私の役目です」
先ほどより、わずかに声が硬い。
「武芸では、私には何もできません。けれど、聖苗を守り、大地へ根づかせることなら、私も負けるつもりはありません」
感心したままではいられないらしい。アクシスと年の近い少女として、ほんの少し張り合う気持ちが出たのだろう。
「競うところを間違えてますわ。わたくしは、その聖苗を根づかせねえと言ってんですの」
「分かっています。それでも私は、自分の目で魔寄せの森を見ます。そのうえで必要だと思えば、植えます」
昨日まで、教団から聞かされたことだけを信じていた少女とは、少しだけ言葉が違っている。それでも結論は変わっていない。
「でしたら、どちらが森を救うか、勝負ですわね」
アクシスが言うと、ネリアは驚いた後、小さくうなずいた。
「はい。負けません」
そのとき、練兵院の外から馬蹄の音が聞こえた。
内務省の紋章をつけた騎手が二人、王都の北門へ続く大通りを駆け抜けていく。背には、王命を入れる革筒を負っていた。
魔寄せの森へ向かう早馬である。
ゼノが、アクシスの視線を追って騎手へ気づいた。彼はアクシスが懇親会を放り出し、その後を追うと思ったらしい。わずかに重心を前へ移した。
アクシスは動かなかった。
観覧席の端にいたローデンと目が合う。家令は、鳥籠を持っていた方の手をわずかに上げた。
籠は、もう空である。
アクシスは早馬を見送り、口元だけで笑った。
◆
昼前には懇親会が終わり、アクシスへ引き渡し命令書と通行証が交付された。
宿舎へ戻って旅装へ着替え、荷物を馬車へ積み込む。開拓は革覆いを外し、いつものようにアクシスの肩へ戻った。
王都の門には、ルシアンとゼノ、それにネリアが見送りへ来ていた。セヴェランの姿はない。
「そなたの戦力査定が、誇張ではないことは分かった」
ルシアンが言った。
「同時に、力を落とすべきところで落とせない未熟さもある。木剣まで折る必要はなかった」
「褒めるか叱るか、どちらかにしてくださらない?」
「両方だ」
アクシスは鼻を鳴らしたが、悪い気はしなかった。王都の騎士にも、看板と鎧だけではない者がいる。
ゼノはまだ、開拓を見ていた。
「森では、魔物を相手にしているのか」
「魔物は礼をしてから決められた場所へ打ち込んではきませんの」
「ならば、次は森で見せてもらう」
「次は避けるんじゃありませんでしたの?」
ゼノは答えなかった。
「アクシス様」
ネリアが呼んだ。
「魔寄せの森で、またお会いしましょう」
「ええ。お客としてなら歓迎いたしますわ。苗木を持ってきたら、道に迷うかもしれませんけれども」
「道を塞ぐおつもりですか?」
「森の道は、いつだって危険がいっぱいですの」
アクシスは教本どおりの礼を一つ残し、馬車へ乗り込んだ。
車輪が動き始める。王都の城壁と白い尖塔が、少しずつ遠ざかっていった。
「ずいぶん機嫌がよろしいようで」
向かいへ座ったローデンが言った。
「木剣を一本折って、王都の剣士を一人飛ばして、聖女様と勝負の約束をしましたもの。十分に懇親できましたわ」
「王都側が想定した懇親でないことだけは確かです」
王都は、アクシスの足を半日止めた。
しかし彼女の言葉は、すでに灰色の翼で王国の空を越えている。
魔寄せの森へ続く街道の遥か先を、一羽の鳥が飛んでいた。




