第2話 荒地開拓伯令嬢、木剣を折る
追放されたその日のうちに、アクシスは王都を出られなかった。
王城から戻ったときには、地方貴族用の宿舎に王室侍従が待っていた。旅装へ着替えるつもりでいたアクシスは、まだ深緑と金茶の礼装を着たままである。肩には双頭大戦斧・開拓を担いでいた。
侍従は斧からできるだけ離れた場所に立ち、金縁の招待状を差し出した。
「明朝、王立練兵院にて武芸懇親会が開かれます。陛下より、アクシス・キリハルト様にもご出席いただきたいとのお言葉を賜っております」
「わたくし、つい先ほど王都を追放された気がするんですけれども」
「魔寄せの森の引き渡しを、平穏かつ円滑に進めるための懇親でございます。王国より派遣される武官と、あらかじめ面識を持っていただくことは、キリハルト様にとっても有益かと」
「追い出す相手と仲よくなってから追い出そうなんて、ずいぶん気遣いのできる王都ですこと」
侍従は聞こえなかった顔をして、もう一通の書面を示した。こちらには王室法官と内務大臣の印が並んでいる。
アクシスが六十日間、引き渡し責任者として街道、備蓄、兵士を管理するための命令書だった。王国街道の宿駅で継立馬を借りるための通行証も、明日の懇親会が終わりしだい交付されるという。
書類を待たずに出発することはできる。ただし私的な旅人として、自分たちの馬だけで帰らなければならない。十日の道中で宿場の馬を乗り継げるかどうかは、一日の遅れより大きかった。
「招待ではなく、書類を人質にした足止めじゃありませんの」
「明朝、練兵院にてお待ちしております」
侍従は答えず、非の打ち所のない礼を残して帰っていった。
扉が閉じる。アクシスは招待状を丸めようとしたが、すぐ横から伸びてきた手に抜き取られた。
「王室の封蝋がついた書類を握り潰すと、あとで伸ばすのが面倒です」
家令ローデン・フェルクは、折り目がついていないことを確かめてから、招待状を卓上へ置いた。ガルドが遍歴騎士だったころから同行してきた男で、剣を持てば古参兵として戦える。それでも腰の剣より、指についた墨の染みの方がよく似合っていた。
「今から出ますわ。門が閉まっているなら、開けさせますの」
「王都の門番を殴れば、追放される罪が一つ増えます」
「もう追放されてますわ」
「では、今度は牢へ入れられます」
ローデンは旅の地図を卓へ広げた。王都から魔寄せの森まで、荷馬車で十日。馬だけを乗り継いでも、休息もなしに走り通せる距離ではない。
「鎖につながれたわけではありません。代わりに、必要な書類を明日の卓へつながれました。今夜無理に出るより、通行証を受け取って継立馬を使った方が早く帰れます」
「その一晩で、あちらは何をしますの?」
「王命を持たせた早馬を、我々より先に出すのでしょう。お嬢が城へ戻る前に、ガルド様の官職が失効したことと、土地の返還が決定したことを知らせる。先に王国の言葉を入れておけば、城兵や村長がこちらの命令を聞かなくなると考えているのかもしれません」
アクシスは開拓を床へ立てた。石突きが板を鳴らし、壁にかけられた小さな絵が揺れる。
「だったら、なおさら急いで帰らなきゃならねえですわ」
「お嬢が十日かけて走る必要はありません。先に言葉だけを帰せばよろしい」
ローデンは隣室から、布をかけた小さな鳥籠を運んできた。中には灰色の鳥が一羽、落ち着かない様子で止まり木を踏み替えている。
キリハルト城で育てられた鳥便用の鳥だった。王都へ来る際、交渉が決裂した場合に備えて連れてきたという。
「最初から、失敗すると思ってたんですの?」
「三年間の欺罔を告白し、ついでに爵位と王族の婿まで要求する交渉です。成功するつもりで準備することと、成功すると信じ込むことは違います」
「かわいげのねえ家令ですこと」
「お褒めにあずかり光栄です」
日が落ちた後では、鳥を飛ばせない。夜のうちに手紙を書き、明朝の日の出とともに放つことになった。
アクシスは椅子へ座ると、細長い紙へ思いつくまま文字を詰め始めた。父の死を明かしたこと。爵位の継承を拒否されたこと。土地を返せと言われたこと。世界樹の聖苗を植える計画。王国の早馬。六十日の期限。城と六つの村で準備すべきことは、紙一枚では足りない。
ローデンが、二枚目へ手を伸ばしたところで筆を取り上げた。
「鳥が運ぶのは、お嬢のお気持ちではなく命令です。誰に、何をさせるのかだけをお決めください」
「全部、大事なことですの」
「ならば、全部を一文ずつで」
アクシスは唇を曲げたが、書き直した。
宛先は母リディア、姉カリナ、兵士長ブラム、それから六つの村長。
父ガルドの死が王都へ公表された。爵位継承は認められず、六十日以内の引き渡しを命じられた。王国の使者が来ても、城門を閉ざさず、兵を集めず、危害を加えてはならない。
各村の食料、家畜、荷車、老人、病人、幼い子供を調べる。移転できる者と、土地を離れれば生活できない者を分ける。村の台帳、父が結んだ契約、徴税、出生、埋葬の記録は、隠さず、捨てず、原本の所在を確かめる。
世界樹の植樹使節が来ても、聖苗へ危害を加えない。ただしアクシスが戻るまで、村や畑に関する新しい契約へ署名してはならない。
最後に、残った余白へ小さく書き足した。
『勝手に諦めた者は、帰ったらわたくしが殴りますわ』
「最後の一文は、なくても命令の意味が変わりません」
「そこが一番大事ですの」
ローデンはしばらく紙とアクシスを見比べ、諦めて紙を細く巻いた。
翌朝、王都の屋根が朝日に染まり始めたころ、鳥籠の扉が開かれた。
灰色の鳥は一度だけ宿舎の屋根へ止まり、方角を確かめるように首を振った。それから翼を広げ、魔寄せの森がある北西の空へ飛んでいく。
アクシスは鳥が点になって消えるまで見送り、王立練兵院へ向かった。
◆
王立練兵院には、馬場、弓場、槍の訓練場、屋内外の試合場が集められていた。武芸懇親会が開かれるのは、砂を厚く敷いた屋外の試合場である。周囲には低い観覧席があり、王国の騎士、武官、地方貴族が思い思いに話していた。
鎧兜をつけた者はいない。参加者は綿を厚く入れた稽古着をまとい、木剣や刃を潰した武器を持っている。戦場の殺気はないが、誰がどの武器を持ち、どう歩いているかを互いに測る視線は、昨日の王会議より分かりやすかった。
「何人倒せば帰ってよろしいんですの?」
受付へ来るなり尋ねたアクシスに、ルシアン・アーレントは眉間を押さえた。昨日、国王の傍らを守っていた近衛騎士である。今日は近衛の礼装ではなく、白と紺の稽古着を身につけていた。
「勝ち抜き戦ではありません。武芸を通じた懇親です」
「全員倒せば、十分に懇親したことになりませんの?」
「なりません」
言い切ってから、ルシアンは受付の名簿を確かめた。
「アクシス・キリハルト。得物は大戦斧。魔神戦役式騎士戦力査定、正騎士級」
近くにいた若い武官が、名簿をのぞき込んだ。
「正騎士級? しかし、この方は騎士ではないだろう」
「今の身分は六十日限定の荒地開拓伯令嬢といったところですわね」
「戦力級は騎士身分を示すものではない」
ルシアンが答えた。
魔神戦役式騎士戦力査定。今では戦力級と略されているが、爵位や武術流派の位階とは関係がない。魔物を相手に、どの規模の戦力として扱えるかを測る軍事上の査定である。
訓練を積んだ兵士や一般的な騎士は、戦士級に当たる。正騎士級となれば、騎士と軍馬だけでは止められない大型魔物を食い止め、その防御を破り、戦闘を続けられる者を指す。
「徒歩の斧使いであろうと、基準を満たせば認定される」
「そういえばでかい魔物を何匹か伐ったら、王国から来た役人が勝手に書いていきましたの。あれ、何かのお免状でしたのね」
「その査定の意味を知らずに受けたのか?」
「襲い掛かってくる魔物が、なんとか級だとか名乗ってくださると思いまして?」
武官が返事に困っていると、観覧席から小さな笑い声が聞こえた。
聖女ネリア・ルートレイスが、世界樹の枝をかたどった杖を抱いて座っていた。隣には、聖域監督司祭セヴェラン・ホワイトバークもいる。植樹使節の関係者として、今後同行する可能性のある武官を見るために招かれているらしい。
アクシスと目が合うと、ネリアは笑ったことをごまかすように姿勢を正した。
「聖女様も、これから誰かを殴るんですの?」
「私は観覧です。武芸は学んでおりません」
「それは残念ですわ」
「なぜ残念そうなのですか」
昨日より、いくらか話しやすい声だった。だからといって、植樹を許す気にはならなかったが。
最初に行われるのは双相受打という型稽古だった。二人一組になり、打ち手と受け手を交代しながら、決められた軌道で打撃と防御を繰り返す。姿勢、間合い、打点、受け、力の制御を確かめるものだという。
アクシスは武器掛けから木剣を一本渡された。
「あら、わたくしは開拓を使いますわ」
「最初は全員、木剣で基礎を見る」
「斧でなければ、わたくしの武芸になりませんの」
「だからこそ、共通する部分から確認する」
ルシアンは規則を曲げなかった。
相手は、灰色の稽古着を着た若い騎士だった。戦力査定では戦士級。型稽古の経験は、明らかにアクシスより長い。
先に、アクシスが受け手となる。
若い騎士は木剣を正面から振り下ろした。アクシスは片足を引き、相手の木剣へ自分の木剣を斜めに合わせる。角度をつけて流すつもりだったが、力を逃がし切れず、二本の木剣が硬い音を立てて止まった。
相手の打撃は受けた。姿勢も崩れていない。しかし王都の騎士たちから見れば、上手な受けではないらしい。
「力を止めるのではなく、外へ通してください」
ルシアンに指摘され、アクシスは木剣を見た。
「止めた方が早くありませんの?」
「その膂力を、全員が持っているわけではない」
「不便ですこと」
役目を交代し、アクシスが打ち手となる。
打つ場所は、受け手が斜めに構えた木剣の中央。三度、同じ軌道で打ち込む。
アクシスは右足を半歩引き、膝を曲げた。昨日、国王へ行った礼に似ている。ただし頭を下げる代わりに、木剣を頭上へ上げた。
一打目。
踏み込み、腰、肩、手首を一つにつなげて振り下ろす。木剣がぶつかり、受け手の両腕が沈んだ。
二打目。
ほとんど同じ場所へ打ち込む。乾いた音に、わずかな濁りが混じった。受け手の木剣の表面に、白い筋が走っている。
三打目。
木剣が折れた。
折れた先が砂の上を跳ねる。支えを失ったアクシスの木剣は、そのまま若い騎士の肩へ向かったが、綿入りの稽古着へ触れる前に止まった。
観覧席が静かになる。
「ずいぶん虫食いの多い木剣ですこと」
「三打とも、同じ場所だった」
ルシアンは折れた木剣を拾い、亀裂を確かめた。
「指一本ほども打点がずれていない。木剣を刃に見立てた角度も同じだ。折れた後に止めてもいる。力だけで偶然壊したわけではない」
若い騎士たちの間から、感心した声が上がる。
「ただし、双相受打は道具を壊す稽古ではない。木剣を折らず、同じ打点へ止めるのも技量だ」
「人間を折らずに木剣だけで済ませたんですから、十分ですわ」
「王都では、それを十分とは呼ばない」
「森では、よい木ほど大事に使いますの」
「ならば木剣も大事に使え」
観覧席から、今度ははっきりと笑い声が聞こえた。
ネリアが口元へ手を当てている。隣のセヴェランは笑わなかった。
「あれほどの力を、あのような娘へ六十日も残すのは、やはり危険です」
低い声だったが、アクシスの耳にも届いた。
ネリアは返事をせず、折れた木剣と、無傷で立つ若い騎士を見比べた。
「でも、止めました」
「何か?」
「木剣が折れたあと、あの方は止めました。相手を傷つけないように」
その声には、昨日の王会議では聞かなかった素直な感嘆があった。




