第10話 荒地開拓伯令嬢、それなら世界樹を伐採して領地を取り戻します
荒地開拓伯令嬢アクシス・キリハルトは紙の上で戦っていた。
同じころ、聖女ネリアも報告書を書き終えた。開拓地の六村は恒久的な生活共同体であり、暫定的な野営地ではない。第一の植定に、キリハルト側の妨害はなかった。住民は聖域化後の伐採、採集、水路、埋葬、相続に関する制限を十分に説明されていない。
最後に、暗根王グロウルート討伐跡は地下根の生死も土壌の安全も確認されておらず、植定候補地にしてはならないと記した。結論は、土地権の確認、住民への説明、地下根の調査が終わるまで、魔寄せの森で再植定を行うべきではない、である。
聖域監督司祭セヴェランは最後まで読み、紙を卓へ置いた。
「聖女の役目は植定です。土地制度へ意見することではありません」
「私の祝福で聖域になるのでしょう」
「そのとおりです」
「ならば、その後に何が起きるかも私の報告です」
「教団の統治を疑う文言は、信徒を惑わせます」
「決まっていないことを、決まっているように書く方が惑わせます」
ネリアは報告書を引き戻した。
「このまま提出します」
セヴェランの表情は変わらなかった。ただし、正本を中央教団へ届ける役目は、自分が預かると言った。
その夜、ネリアは報告書の写しをゼノへ渡した。
「王家へ届けてください」
「教団を信用していないのか」
「私の報告が、途中で短くなる可能性を考えています」
口に出して認めるのは苦しかった。それでも、何も知らずに信じていたころへは戻れない。
剣士ゼノ・ブルーウィロウは写しを受け取った。
「僕の報告も一緒に出す。キリハルト家が父親の死を隠し、官印を使ったことも書いてある」
「構いません」
「六村が実在すること、兵士が街道と村を守っていること、アクシスが署名を強制していないことも書いた」
ネリアは少しだけ笑った。
「監察役は、思ったより面倒な仕事なのですね」
「見たものを、都合よく短くしないだけだ」
窓の外で、伝書鳥が夜の空へ放たれた。
◆
セヴェランもまた、三十日を待っていた。第一の植定が失敗した理由は、すでに分かっている。白泉窪地には魔力が溜まっていた。しかし三十年の根切りと根焼きによって、外から流れ込む道が断たれていた。世界樹を何百年も育てるには、池ではなく川が必要だった。
ならば、川が残っている場所へ植えればよい。地下根図の端に、切断を示す印のない場所が一つある。閉鎖林最奥。古代暗黒樹に分類される暗根王グロウルートと、ガルド・キリハルトが相討ちになった討伐跡である。
安全調査は終わっていない。根が完全に死んだかも確認されていない。だが、魔力はある。
第一の祝福以降、閉鎖林では枯れた黒根に魔性苔が戻り、巡回路付近の魔物が増えていた。地面の下から、一定の間隔で魔力が脈打っている。
異常そのものは、セヴェランが作った話ではなかった。彼はそれを暗根王復活の兆候として王都へ報告した。放置すれば六村と街道を脅かす。世界樹を植えて、地下根ごと清めなくてはならない。
王都からの返書には、別の事情も記されていた。
六村の土地権確認請願が王国土地法院へ届けば、聖域化前の状態を維持する命令が出る可能性がある。そうなれば、植定は審理が終わるまで行えない。
審理には、年単位の時間がかかる。魔力の異常も、巡礼地となるべき新聖域も、それほど待ってはくれない。セヴェランはそう考えた。
第二十八日に出した密書への答えは、第四十九日の夜に届いた。
白く塗られた聖櫃が、森外礼拝所の裏門から運び込まれる。巡回聖具を収めた箱として封じられていたが、中には土と白苔に包まれた若い聖苗があった。近隣大教区が、次年の植定へ向けて育てていた予備枝である。第一の聖苗より幹は細く、葉は五枚しかない。植定可能な最低条件は満たしているが、移送前の養生は短かった。
中央樹院の割当簿では、その予備枝はいまも次年の植定を待っている。セヴェランは地方大教区の聖苗管理官から内々に融通を受け、正式な割当変更を待たずに運ばせた。箱を巡回聖具と偽ったのも、中央樹院の樹医を同行させなかったのも、そのためだった。
礼拝所の中庭に仮の養生床を作り、聖水を与える。
第二の聖苗は、第五十八日を待つ。
◆
「礼拝所へ、毎日二樽の聖水が入っています」
第五十二日、カリナが開拓館へ報告した。
「白苔と、温めた土も運ばれています。夜には植物用の湿布を焼いた臭いがしました」
「二株目ですのね」
アクシスは驚かなかった。
「おそらくは」
「中を見られませんの?」
「礼拝所は境界の外です。荷を止めれば、教団の聖具を奪ったことになります」
「では、見張りを増やしてくださいまし。出てきたら、どこへ行くかだけ追いますの」
「承知しました。こちらから人へ刃を向けないよう、全員へ伝えます」
ブラムも、第五十八日前後の当直を増やすと決めた。
「鐘を鳴らす基準を決めておきます。礼拝所の連中が動くだけなら一度。閉鎖林へ入ったら二度。地下根が動いたら三度です」
「三度なら?」
「閉鎖林側の畑を捨て、村の内柵まで退かせます」
収穫前の畑を捨てる決定を、ブラムは迷わず口にした。人間を残すためなら、麦は捨てる。
アクシスはうなずいた。
「お願いいたしますの」
第二の聖苗があると察しても、礼拝所へ斧を持ち込むことはできない。接収命令へ抵抗している今、教団襲撃の罪まで加われば、土地法院へ送った紙は反乱者の訴えになる。
だから、見張る。
法が届くまでの時間を、今度はこちらが守る番だった。
◆
第五十七日の朝、二羽の伝書鳥が魔寄せの森へ着いた。
一羽は開拓館へ下り、もう一羽は森外礼拝所の鐘楼へ消えた。
ローデンが鳥筒から取り出した紙には、王国土地法院の受付符号があった。
「請願と認証写しは受理されました」
その言葉に、広間の誰もすぐには声を上げなかった。
「土地法院は、審理中に土地の状態を変えないよう命じる、暫定的な差し止めを検討しております。正式な書面には王印と法院印が必要です。早馬で運ばれる原本が届くまで、法的な効力はございません」
「いつ届きますの?」
「順調なら、三日後です」
六十日目。
王国へ統治権を返す、その日だった。
「あと三日、何も起きなければ、少なくとも勝手に土地を変えられなくなります」
ローデンは暦の第五十八日と第五十九日を見た。
「ただし、植定禁止は明日解けます」
「何も起こさせないのが、一番難しい二日ですのね」
アクシスが笑ったとき、森外の方角で鐘が一度鳴った。
◆
礼拝所へ呼ばれたネリアは、中庭に置かれた白い聖櫃を見て足を止めた。
蓋は開いている。
白苔の中から伸びる若い幹。銀緑色の葉が五枚。第一の聖苗より細く、根先の色も薄い。
「この子は、どこから来たのですか」
「西部大教区で養生されていた予備枝です」
セヴェランが答えた。
「魔寄せの森へ割り当てられた聖苗は、一株だけだったはずです」
「国防上の緊急措置として、融通を受けました」
「中央樹院の樹医は」
「同行しておりません。植定可能との証明は受けています」
「候補地の土と根を調べた樹医は、どこですか」
セヴェランは、王都から届いた命令書を差し出した。
内務省と中央教団の印がある。閉鎖林の魔力上昇を国防上の危険と認め、再植定禁止の解除後、聖域監督司祭の判断で封鎖措置を行うことを許可する文面だった。
「これは、危険を封鎖する許可です。この子の割り当てを変える許可ではありません」
「危険を封鎖するために、必要な聖苗です」
「中央樹院は、この子を魔寄せの森へ預けたのですか」
セヴェランは答えず、別の一文を指で示した。
「明日、暗根王討伐跡へ植定します」
「あの場所は、候補地から外しました」
「安全な候補地で失敗したからです。地下根が切られた土地では、世界樹が育たない。ならば、根が残っている場所へ植えるべきでしょう」
理屈だけなら、間違っていない。
ネリア自身も、閉鎖林の奥から魔力の脈動を感じていた。日を追うごとに強くなっている。放置してよいとは思わない。
「土も根も調べていません。住民の避難も、この子を戻す手順もありません」
「調べている間に、暗根王が復活すればどうなさいます」
「だから、先に調査と避難を行うのです」
「土地法院の命令が届けば、調査のための掘削さえ止められる可能性があります」
「それは、土地を奪うために急ぐ理由です」
ネリアは命令書を返した。
「私は植えません」
セヴェランの目が、初めて厳しくなった。
「聖女の祝福は、あなた個人の力ではありません。教団と王国から使用を託されたものです」
「だからこそ、預かった聖苗を、調べていない根へ渡せません」
「拒否すれば、国防命令への背反となります」
「そのとおり記録してください」
中庭の入口にいたゼノが言う。
「候補地を変更した経緯も、聖苗の割り当ても、ネリアが拒否したことも、僕から王家へ報告する」
「王家の監察役が、暗根王の復活を放置なさると?」
「調査を求めている。放置とは書かない」
セヴェランは二人を見た。
「承知しました。今夜は、改めて手順を検討しましょう」
穏やかな声だった。
ネリアは、その言葉を信じなかった。
◆
第五十八日の夜明け。
再植定禁止が解けるのを待っていたように、森外礼拝所の裏門から一台の荷車が出た。
車輪へ布を巻き、鐘も松明も使わない。白樹騎士が前後を囲み、セヴェラン配下の司祭と教団技師が歩いている。
荷台には、白い聖櫃があった。
街道脇の暗がりで、猟犬コッパが低く唸る。カリナは赤毛の頭を撫で、車輪跡へ指を触れた。
「開拓館へ知らせてください」
後ろに控えていた兵士へ告げる。
「追いついても、こちらから人へ刃を向けないでください。行き先と人数を確かめます」
「カリナ様は」
「先へ行きます。コッパ、お願いします」
森猟犬が地面へ鼻を寄せ、閉鎖林へ走り出した。
同じころ、礼拝所に残っていた若い白樹騎士が、ネリアの宿舎を叩いた。
「聖女様。監督司祭が、聖苗をお運びになりました」
ネリアは外套を羽織り、杖をつかんだ。
「どこへ」
「閉鎖林です」
ゼノも、剣帯を締めながら廊下へ出てくる。
「アクシスを待つべきだ」
「私の祝福を使うつもりなら、私が先に止めます」
「君が行けば、使わせる口実になる」
「行かなければ、私のいないところで聖苗を壊します」
ゼノは一息だけ迷い、若い騎士から馬を二頭借りた。
「僕から離れるな。止めるのは、着いてから一緒にだ」
◆
カリナの使者が開拓館へ着いたとき、アクシスはまだ長靴を履いている途中だった。
「姉上は?」
「先行されています。聖櫃は閉鎖林へ入りました」
アクシスは寝台脇に立てていた大戦斧・開拓を取った。
マルクが地下根図を抱え、トマスが儀礼書を持って続く。ブラムは兵士を集めようとしたが、アクシスが止めた。
「あなたは村へ残ってくださいまし」
「お嬢一人で、白樹騎士の隊へ入るつもりですか」
「戦いに行くんじゃございませんの。まだ」
「その斧を持って言われても、安心できません」
「鐘が三度鳴ったら、閉鎖林側の畑を捨てさせなさいまし。兵は人を戻すために使ってください」
兵士長ブラムは、アクシスの目を見た。
主を守るため兵を連れていくか、主が守ろうとしている者のそばへ残るか。答えを出すまでに、長い時間はかからなかった。
「二度目までは、そちらで何とかしてください」
「三度目は?」
「こちらの仕事です」
ブラムは踵を返し、各村の民兵長へ伝令を走らせた。
アクシスたちは閉鎖林へ入った。
人の住む管理林とは、空気から違う。木々の枝が幾重にも重なり、明けきらない空を隠している。地面には古い地下根が背骨のように浮き、第一の植定より前にはなかった黒い苔が、湿った光を放っていた。
前方で、大鎌が鳴る。
カリナの黒刈が魔蔓を断ち、道を塞ぐ根草を払っていた。
「姉上!」
「車は先です。半刻ほど離されています」
カリナは息を乱していなかった。
「根が動いています。足元へ気をつけてください」
マルクがしゃがみ、土の隆起へ欠けた指を当てる。
「もう儀礼を始めています」
「まだ着いてもいませんのに?」
「地下では、着いています」
土の下から、心臓のような振動が伝わってきた。
◆
暗根王討伐跡は、閉鎖林の中へ開いた巨大な穴だった。
地面がすり鉢状に沈み、中央に黒い切株が残っている。十人が手をつないでも囲めないほど太く、炭化した根が大地へ放射状に食い込んでいた。
切株の側面には、古い斧痕がある。
父の一撃だった。
アクシスは十五歳のとき、ここからガルドの遺体を運び出した。それ以来、討伐跡へ入っていない。
その斧痕の前に、白い聖苗が置かれていた。
セヴェランの司祭たちが切株の周囲へ聖水を撒き、地面に白砂の輪を描いている。教団技師が聖苗の根包みを開き、掘った穴へ細い根を下ろしていた。
「おやめなさい!」
ネリアの声が、穴の斜面から響いた。
ゼノと二人、アクシスたちより先に着いている。
ネリアは司祭たちを押しのけ、聖苗へ近づいた。
「私は植えないと申し上げました。この子を土から上げてください」
「すでに、地下根が反応しています」
セヴェランは切株のそばに立っていた。
「予備儀礼を行っただけです。土地を清め、植樹穴を祝福する。聖女の祝福とは別のものです」
「根包みを開いて、土へ入れています」
「魔力の流れを確かめるためです」
教団技師が、聖苗の根元へ手を入れた。
「監督司祭様。根が、勝手に開いています」
白苔の中から、細い白根が伸びていた。土へ触れた先で震え、何かを探すように深く入っていく。
「引き上げてください!」
ネリアが叫ぶ。
技師が幹を支えた瞬間、地面が鳴った。
白砂の輪を割り、黒い根が突き出す。一本が技師の足首へ巻きつき、別の根が司祭を倒した。白樹騎士が剣を振り下ろすが、木質の表面に刃が弾かれる。
「離れて!」
ネリアの杖から白い光が走った。根の動きが一瞬鈍り、騎士たちが捕らえられた者を引く。
だが、黒根は聖苗へ集まっていった。
土の下から上がる魔力が、細い幹を揺らしている。五枚の葉が裏返り、白い根先が黒く染まり始めた。
「このままでは、魔力が逆流します」
教団技師が青ざめた。
「聖苗だけでは受け切れません。流れを整えなければ、ここで破裂します」
セヴェランがネリアを見た。
「お救いください、聖女様」
ネリアは彼を睨んだ。
「あなたが、始めたのでしょう」
「いま責任を問う間にも、根は人を捕らえています。あなたが祝福しなければ、この場の者が死にます」
黒根に倒された司祭が、土を掻いている。白樹騎士二人が引いても、足が抜けない。
セヴェランは、ネリアが見捨てられないと知っている。
その善意を、植定の最後の道具にした。
「白樹騎士は、作業員と司祭を斜面の外へ運んでください!」
ネリアは杖を地面へ突き立てた。
「聖女様、祝福を」
「先に人を出します。あなたの成功のためではありません」
騎士たちが動く。ゼノも黒根の間へ入り、捕らえられた司祭の身体を支えた。
「ゼノ」
「聞いている」
「記録してください。私は、この場所を植定地として認めていません。セヴェラン司祭は、私が拒否した後に予備儀礼を始めました」
「記録する」
「いま行うのは、この人たちを生かして、根を鎮めるためです」
「それもだ」
ネリアは聖苗の前へ膝をついた。
片手を白い幹へ、もう片方を黒い土へ置く。
「天へ枝を、地へ根を。荒ぶる流れをその身へ受け、清き巡りとしてお返しください」
祝福が開いた。
白い光が聖苗を包み、暴れていた黒根の魔力を一つの流れへ束ねる。人の足へ巻きついていた根が緩み、白樹騎士が司祭たちを引きずり出した。
ネリアは流れを閉じようとした。
できなかった。
白泉窪地では、どれほど呼びかけても返事がなかった。ここでは、大地そのものが聖苗へ食いついてきた。
根づかないのではない。根づきすぎていた。
暗根王の残根に溜まっていた魔力が、濁流となって白い根へ入る。細い根が膨れ、黒根の内側へ食い込む。聖苗が魔力を吸っているのか、暗根王が聖苗を飲み込んでいるのか、区別がつかない。
「止まって……!」
ネリアは祝福を引いた。
今度は根の側が、彼女を離さなかった。
白い光へ黒い筋が混じり、手の甲から腕へ這い上がる。ネリアの身体から、さらに魔力を吸い上げようとする。
「ネリア!」
ゼノが踏み込んだ。
黒根へ刃を当てても、硬い魔力に弾かれる。力で押さず、剣先を沿わせ、ネリアの祝福が表面の黒さを薄める瞬間を待つ。
白く明滅した一筋へ、柳葉流の刃が入った。
根が切れる。
ゼノはネリアの肩を抱き、地面から引き離した。
その瞬間、聖苗が伸びた。
白い幹が、槍のように天へ突き上がる。一丈、二丈、周囲の木々を追い越し、枝が朝の空を押し広げた。銀緑色の葉が一斉に開き、森中へ白い光が降る。
誰もが、ほんの一瞬だけ息を呑んだ。
「ご覧なさい」
セヴェランが両手を広げた。
「世界樹は、この地をお選びになった」
白い幹の中へ、黒い筋が走った。
根元から枝先へ。血管のような線が樹皮を裂き、銀緑色の葉の半分を黒紫へ染める。枝の間から、棘を持つ魔蔓が垂れ下がった。
一本の枝が身をよじり、セヴェランへ打ち下ろされる。
横から、巨大な鉄の面が割り込んだ。
アクシスの大斧術・大はたきが枝を受け、斜面側へ叩き流す。地面が抉れ、黒い葉が散った。
「奇跡にしては、ずいぶん行儀が悪い木ですこと」
アクシスは開拓を返し、ゼノとネリアの前へ立った。
「遅い」
「婿候補が聖女様と駆け落ちしたと聞いて、追いかけてきましたの」
「いま言うことか」
「ご無事なら結構ですわ」
ネリアはゼノの腕から離れようとしたが、膝に力が入らない。両手には、細い黒根の痕が残っている。
「アクシス、あれは……」
「あとで伺いますの。まず生きて帰りますわよ」
地面から、新しい根が噴き出した。
「右へ下がってください。太い根には触れないでください」
カリナの静かな声が通る。
大鎌・黒刈が地表を走り、足へ絡む細根と魔蔓を刈った。一本の太い根へは刃を入れず、その周りを切り開いて退路を作る。
「司祭の方は、負傷者を連れて斜面へ上がってください。白樹騎士の方は、左側を支えてください」
命じられた者たちが動き始める。
アクシスは、倒れていたセヴェランの襟をつかんで引き起こした。
「自分で植えた木に食われるところでしたわね」
「これは、植定直後の魔力変動です。聖女様が流れを整えれば――」
「まだ言いますの?」
黒い根が、暗根王の切株を内側から割った。世界樹の白い根と、暗根王の黒い根が、接ぎ木のように癒着している。どちらかが一方を消したのではない。一つの幹へ、二つの性質が同居していた。
マルクが地割れを追い、顔を上げる。
「根が、閉鎖林の外へ向かっています」
「どちらへですの?」
「白泉の水路です。その先は、第二村と南の畑へ続きます」
遠くで、鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
兵士長ブラムが、地下根の異常を知った。六村の避難が始まる。
世界樹はなおも伸びていた。すでに開拓館の見張り塔を越える高さとなり、枝が周囲の木を押し倒している。白い樹皮の下を黒い筋が脈打つたび、地面の根が一尺ずつ進んだ。
トマスが、割れた切株を見た。
「浄化ではありません」
「世界樹は、魔力を取り込んで清めます」
セヴェランが反論する。
「清めた魔力は、土地へ巡りを返すものです。これは、取り込んだ魔性を自分の成長へ使っているだけだ」
ネリアは、ゼノに支えられながら黒い巨木を見上げた。白い流れは残っている。自分が祝福した世界樹の命も、確かに幹の中にある。
同時に、その白さを道にして、暗根王の飢えが地上へ伸びている。世界樹と暗根王を接ぎ合わせたその姿には、名前がない。あるいは、黒聖樹。
「トマス司祭の言うとおりです」
声は掠れていた。
「この樹は、魔力を清めて返していません。食べて、大きくなっているだけです」
「聖女様。植定直後の一時的な混乱で判断なさってはなりません」
「私は、根の中にいました」
ネリアがセヴェランを見る。
「あなたより、いまのこの子を知っています」
セヴェランは黙らなかった。
「それでも、世界樹です。聖苗は明確に新根と新芽を伸ばした。三度の日の出を越えれば、この地は聖域となります。聖樹へ刃を向ければ、王国と教団の双方に対する冒涜となる」
アクシスが、ゆっくり彼へ向き直った。
「二日守れば、王国兵へ引き渡せる。三度目の日の出には、教団が植定成立を宣言する。ですから、今日ここへ運び込んだんですのね」
「暗根王の復活から、王国を守るためです」
「その結果が、これですわ」
「世界樹の力が安定すれば、暗根王は清められます」
黒い枝が横薙ぎに振るわれた。
ゼノがネリアを抱えて下がり、刃を枝の外側へ当てる。軌道がわずかに上がったところへ、アクシスが斧の平を叩きつけた。
枝が斜面へ逸れ、白樹騎士たちの頭上を通り過ぎる。
「安定するまで、何人食わせるおつもりですの?」
セヴェランは答えなかった。
ネリアが、自分の足で立った。
「この樹を植えた祝福は、私のものです」
「聖女様」
「セヴェランさまに強いられました。それでも、祝福を流したのは私です」
黒い根脈の残る手を握る。
「私が植えたものなら、私には止める責任があります」
「聖女に、世界樹を伐る権限はありません」
「聖樹の名を守るために、人と土地を食わせることが信仰なのですか」
セヴェランの言葉が止まった。
「暗根王とのつながりを切らなくてはなりません。どこまで伐れば、この子を残せるかは、私が見ます」
ネリアはアクシスを見た。
許可を請う目ではない。自分の責任を、彼女の斧へ託す目だった。
アクシスは、黒聖樹を見上げた。
父を殺した暗根王の根。
自分たちの土地へ持ち込まれた世界樹。
二つが一本となり、六村へ向かって根を伸ばしている。
「最後に、確かめますわ」
セヴェランへ言う。
「世界樹が根づけば、ここは聖域となり、わたくしたちの土地ではなくなる。だから、刃を向けるなと。そうおっしゃいますのね」
「そのとおりです。いかなる理由があろうと、聖樹の伐採は――」
「でしたら、話は簡単ですわ」
アクシスは双頭大戦斧を肩へ担いだ。
六村の警鐘が鳴り続ける。
夜明けの空を、白と黒の枝が覆っていく。
「それなら、世界樹を伐採して領地を取り戻しますわ」




