第5話 現場の声
訓練場を吹き抜ける風は乾いていた。
リアはその場に立ったまま周囲を見渡した。
広い。だが、広すぎる気がする。
訓練用の木人。並べられた標的。武器置き場。
どれも十分な広さがある。
それなのに、人の姿はまばらだった。
「リア様」
アルに声を掛けられ、振り向く。
「騎士団のかわりにご案内しましょうか?」
騎士団に頼める雰囲気では無かったので、アルの提案にホッとする。
「よろしくね」
リアも微笑み返した。
「では、こちらへ」
リアはアルと共に歩き出した。
◇◇◇
最初に案内されたのは武器庫だった。
扉を開いた瞬間、金属の匂いが鼻をくすぐる。
剣。槍。盾。整然と並んでいる。
だが近くで見ると違和感があった。
リアは一本の剣を見つめた。
「これは……」
刃が欠けている。
磨かれてはいるが、新品には程遠い。
何度も修理された跡も見える。
「かなり使い込まれているのね」
アルは苦笑した。
「新しいものは高価ですから」
「補充は?」
「最低限と伺ってます」
リアは別の棚を見る。
空いている場所が目についた。
以前は何か置かれていたのだろう。
「足りていないの?」
「……はい」
短い返事だった。
その表情だけで十分だった。
決して誇れる状況ではないのだろう。
◇◇◇
次に案内されたのは防具保管庫だった。
こちらも似たような状況だった。
継ぎ当てだらけの鎧。
補修された革鎧。
何度も縫い直された防具。
使える限界まで使っている。そんな印象だった。
「思ったより厳しいのね」
リアが呟く。
アルは少し困ったように笑った。
「お金が無いので仕方ないんです」
「予算が減っているの?」
「ええ。レオン団長もよく言っています。昔より回ってくる金が減ったって」
リアは無言で帳簿を思い出していた。
◇◇◇
建物を出る。
騎士たちが慌ただしく動いていた。
荷馬車へ荷物を積み込む者。
地図を広げる者。
報告書を抱えて走る者。
誰も暇そうにしていない。
「何かあるの?」
リアが尋ねる。
「街道警備です」
「毎日?」
「ほぼ毎日ですね」
アルが深く頷いた。
「最近は盗賊被害も増えていますので」
リアは足を止めた。
「盗賊が?」
「はい」
アルの表情が曇る。
「以前はここまで酷くありませんでした」
それ以上は言わなかった。
だが、それだけで十分だった。
街道が危険になれば商人は減る。
人も動かなくなる。
市場で見た光景が頭をよぎる。
◇◇◇
ふと前方が騒がしくなった。
視線を向ける。
レオンだった。
数人の騎士を前に立っている。
「その報告書では状況が分からない」
低い声が響く。
「必要なのは推測ではなく事実だ」
騎士たちが背筋を伸ばす。
「次からは被害件数だけでなく場所も記載しろ」
「は、はい!」
厳しい。だが、理不尽ではなかった。
怒鳴り散らしているわけでもない。
必要なことだけを言っている。
リアは少し意外に思った。
すると今度は別の騎士が駆け寄ってきた。
「団長!」
「どうした」
「巡回中の者が負傷しました」
一瞬だけ。本当に一瞬だけだった。
レオンの表情が変わる。
「重傷か」
「いえ、軽傷です」
「治療は」
「既に」
レオンは小さく息を吐いた。
その表情はすぐ元に戻る。
だがリアは見逃さなかった。
安心していた。本当に僅かだったが。
「彼は厳しいけれど、誰よりも騎士のことを見ているのね」
レオンを見つめながら、呟く。
相変わらず怖い。
正直、積極的に話しかけたい相手ではない。
だが――。
少しだけ印象が変わった。
◇◇◇
その後も案内は続いた。
詰所。休憩室。宿舎。
どこを見ても共通しているものがあった。
空いている場所。使われなくなった机。空の寝台。
人がいない。とにかく人がいないのだ。
リアはある部屋で立ち止まった。
十人は使えそうな部屋だった。
だが今いるのは三人だけだった。
「ここも?」
「はい」
アルが頷く。
「昔はもっと賑やかでした」
リアは窓の外を見る。
訓練場。武器庫。宿舎。
どれも人が少ない。
ようやく違和感が形になり始めていた。
訓練場が広いのではない。
武器庫が広いのでもない。
宿舎が広いのでもない。
人が少なすぎるのだ。
「どうして……」
思わず零れる。
アルは少し黙った。
答えに迷うように。
それから静かに口を開く。
「昔はもっといたんですよ」
リアは顔を上げた。
「もっと?」
「はい」
アルは苦く笑う。
「今の倍くらいは」
リアは言葉を失った。
倍―。
その数字の重みは分かる。
訓練場を見渡す。
もし本当に倍の人数がいたなら、この場所の景色は全く違っただろう。
もっと活気があったはずだ。
もっと多くの声が響いていたはずだ。
もっと多くの騎士が街道を守れたはずだ。
風が吹く。静かな訓練場を通り抜けていく。
遠くではレオンの指示する声が聞こえた。
誰よりも忙しそうに動き続けている。
リアはその背中を見つめた。
騎士団は想像以上に疲弊している。
それだけは分かった。
だが、まだ分からないことの方が多い。
どうしてここまで人が減ったのか。
どうして装備が不足しているのか。
どうして街道が荒れているのか。
帳簿では見えなかったものが、ここにはあった。
壊れた装備。不足する人員。荒れ始めた街道。
どれも領地が苦しいのなら説明はつく。
だが――。
リアはふと武器庫で見た光景を思い出した。
新しい装備は高価だ。補充は最低限。
アルはそう言っていた。
リアは静かに目を伏せる。
(でも……)
帳簿の数字が頭に浮かんだ。
何度も確認した数字だ。
見間違えるはずがない。
(どうして?)
胸の奥に小さな違和感が刺さる。
そして、その違和感は確信へ変わり始めていた。
――何かがおかしい。




