第4話 騎士団
朝の空気は、まだ冷たかった。
リアは窓の外を見ていた。
街の音は相変わらず少ない気がする。
人の声も、笑い声も。
「騎士団は、少し空気が違います」
隣のアルが静かに言った。
「違う?」
「はい。領地のことを実際に見てらっしゃる方々の集まりですので」
それだけ言って、アルは口を閉じた。
それ以上は説明しない。
その沈黙が、逆に気になった。
窓の外を見る。
その向こうに、騎士団の敷地が広がっている。
リアは騎士団の訓練所に行く。
瞬間、空気が変わった。
乾いている。
そして、少し尖っている。
鍛えられた金属の匂いと、汗の気配。
規則正しく響く足音。
どこか張り詰めた沈黙。
王都とはまったく違う世界だった。
「……思っていたより、静かね」
リアが呟くと、アルが小さく頷いた。
「騒がしさは、必要最低限に抑えられています」
その言葉の通りだった。
誰も無駄な動きをしていない。
兵士たちは目線だけを動かし、短く指示を交わす。
そこに余裕はなかった。
ただ“仕事”だけが積み重なっているように見える。
リアは歩き出した。
視線をゆっくり巡らせる。
剣の手入れをする者。
地図を睨む者。
無言で走り抜ける者。
どの顔にも共通しているものがあった。
張り詰めた疲労。
「……何か、追い詰められてるみたいね」
リアの言葉に、アルは何も答えなかった。
その代わりに、一歩だけ後ろに下がる。
まるで何かを予感しているようだった。
その時だった。
兵士たちの動きが一瞬止まった。
誰かが来た。そう分かる空気だった。
「何の用だ」
低い声が落ちた。
空気が一段、重くなる。
視線が一斉にそちらへ向く。
その中心にいたのは、一人の若い男だった。
背は高い。無駄のない体つき。
剣を持つ手は、自然にそこにあるような動きだった。
目だけが、冷たく鋭い。
人を値踏みする視線。
その男は、リアを見ていた。
「ここは見学施設じゃない」
短い言葉。感情はない。
だが拒絶だけははっきりしていた。
アルが何か言おうと一歩前に出た。
だがレオンの冷たい視線に、その言葉を飲み込む。
「初めまして。リアよ」
男は答えない。
代わりに視線だけがリアを上から下までなぞった。
装飾の少ない服。歩きやすい靴。
汚れても構わない外套。
その視線は品定めというより確認に近かった。
だが次の瞬間、男は興味を失ったように目を逸らす。
「……お嬢様か。遊び半分なら帰ってください」
静かな声だった。
だが刃のように鋭い。
周囲の空気が固まる。
誰も動かない。口を挟まない。
リアはその場に立ったまま、男を見ていた。
怖がってはいない。ただ観察していた。
この圧。この張り詰め方。
ただの警戒ではない。
何かが崩れかけている時の空気に似ている。
前世でも見たことがあった。
問題が山積みなのに、誰も余裕を失ってはいけない職場。
そんな場所の空気に。
「……あなたが騎士団長?」
リアがそう言うと、男は初めてわずかに目を細めた。
「そうだ」
短い返事。それだけで終わる。
レオン・ベルグレン。
その名が、周囲の空気をさらに硬くする。
リアは一歩も引かなかった。
「見学じゃないわ」
静かな声。
「現状を見に来ただけよ」
「同じだ」
レオンは即答した。
「口で言うだけなら誰でもできる」
その言葉に、わずかに棘が混じる。
だが感情的ではない。
もっと冷えたものだった。
「どうせ変わらないんだ。帰ってくれ。」
リアは少しだけ目を細めた。
その言い方、どこかで聞いたことがある。
前世で、何度も。
退職することになった後輩が諦めたように言っていた言葉。
リアは息を吐いた。
「それは、実際に見てから判断しても遅くないと思うけど」
静かに返す。周囲の空気がさらに張り詰める。
アルが、わずかに息を呑んだのが分かった。
レオンはリアをじっと見た。
長い沈黙。そして。
「……好きにしろ」
吐き捨てるような声だった。
だが、完全な拒絶ではない。
ほんのわずかに、試すような色が混じっていた。
「ただし」
レオンは続ける。
「邪魔だけはするな」
その言葉で、会話は終わった。
彼は踵を返す。
背中は一切振り返らない。
そのまま兵士たちの中へ戻っていく。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
リアはその背中を見ていた。
「……怖い人ね」
「ええ」
アルは否定しなかった。
だが、その視線はどこか遠くを見ていた。
リアは再び視線を戻す。
騎士団の中は、相変わらず張り詰めていた。
だが、その張り詰め方が少しだけ違って見えた。
ただの緊張ではない。
何かを抱えたまま、無理に立っているような空気。
(この場所……)
リアはゆっくりと息を吸った。
帳簿では見えなかったもの。
街では感じなかったもの。
ここには、それがある。
その時だった。
遠くで金属音が響く。
レオンのいる方角だった。
リアは訓練場を見渡した。
そして、ようやく気付く。
(広い……)
訓練場が広いのではない。
そこにいる人が、少なすぎるのだ。
張り詰めた空気の理由が、少しだけ見えた気がした。




