第38話 保湿軟膏開発
「まずは、薬草の成分をもう一度確認しましょう」
薬草工房に戻るなり、リアはそう言った。
「傷薬を作るときと同じ薬草を使うのですか?」
アルが尋ねる。
「ええ。ただし、傷薬と同じ薬草をベースに他の薬草も加えようと思うの」
リアは、机の上に並べられた薬草を見つめた。
「傷薬は、傷口に使うためのもの。でも、今回作りたいのは乾燥や肌荒れを防ぐためのものよ」
「なるほど」
アルが頷く。
「作り方を変える必要があるのですね」
「そういうこと」
リアは頷いた。
前世では、肌の乾燥を防ぐために、さまざまな化粧品が存在していた。
化粧水。乳液。クリーム。美容液。
けれど、この世界には、それらが存在しない。
いきなり複雑な化粧品を作ることはできない。
必要な材料も、製造設備も、知識も足りない。
だからこそ――。
「まずは、できることから始めるわ」
リアは、薬草を手に取った。
「まずは、乾燥した肌に塗って、肌を守るための軟膏を作りましょう」
「軟膏?」
セレスが尋ねた。
「ええ。傷薬を作る技術も応用できるはずよ」
リアは、薬草を見つめながら考える。
「薬草の成分を抽出して、肌に塗りやすい形にする。そして、乾燥を防ぐための油と混ぜるの」
「油ですか?」
アルの質問にリアは頷く。
「ええ。油だけでは匂いやべたつきが気になるかもしれないけれど、薬草と組み合わせれば、使いやすいものにできる可能性があるわ」
リアは前世を思い出していた。
リアは前世でいわゆる敏感肌だった。
そのため、化粧品によっては、逆に皮膚が赤く腫れてしまったこともあった。
「肌に塗っても問題がないか、慎重に確認しないといけないわね」
リアは真剣な表情になった。
「傷薬と違って、化粧品の使う場所は皮膚も薄くて、すぐに酷くなってしまうかもしれないから」
「そうですね」
アルが頷いた。
「まずは試作品を作り、効果と安全性を確認しましょう」
「ええ」
リアは笑った。
それから数日間、薬草工房では新たな試作品の開発が始まっていた。
「この割合では、少し固すぎるわね」
リアは、小さな容器に入った軟膏を見つめた。
指先ですくおうとすると、硬く固まっている。
「これは確かに塗りにくそうね」
セレスが指で触れながら言った。
「もう少し柔らかくしましょう」
「こちらはどうですか?」
別の試作品をアルが差し出す。
リアは指先で少量を取った。
「……」
指先の体温で、軟膏がゆっくりと溶けていく。
リアは手の甲に薄く伸ばした。
「うん」
「どうですか?」
「さっきよりいいわ」
リアは、何度も手を動かした。
「伸びもいいし、塗ったあとも肌がつっぱらない」
セレスも試作品を手の甲に塗る。
「本当ね」
セレスは、自分の手を見つめた。
「べたべたする感じも、思ったほどないわ。それから、皮膚が赤くなったりするような異常もないわね」
「なら、これを基本にしましょう」
リアは頷いた。
「でも、まだ完成ではないわ」
「まだですか?」
アルが尋ねた。
「ええ」
リアは試作品を見つめた。
「実際に使う人の感想を聞かないと」
◇◇◇
そこからさらに数日後が経った。
リアは試作品を持って領民たちのもとへ向かっていた。
集められたのは、前回肌の悩みを話してくれた女性たちだった。
「これが、先日話していた商品ですか?」
「ええ」
リアは、小さな容器を見せた。
「まだ商品ではないわ。試作品よ」
「ベルフォード保湿軟膏と呼んでいるの」
「保湿……?」
この世界ではあまり聞き慣れない言葉に女性達は不思議そうな顔をする。
「乾燥した肌に塗って、肌を守るためのものよ」
リアは、使い方を説明した。
「まずは少量を手に取って、乾燥している部分に薄く塗ってみて」
「顔にも使えるんですか?」
1人の女性が尋ねた。
「今の段階では、まず手や腕などで試してみて。顔に使う場合は、肌に異常がないか確認してからにしましょう」
リアは慎重に説明した。
「もし、赤みやかゆみなど、何か異常があればすぐに使用をやめて教えてちょうだい」
「分かりました」
女性たちは、興味深そうに軟膏を見つめていた。
「では、使ってみますね」
1人の女性が、手の甲に少量を塗った。
「……あら?」
「どうしました?」
「思ったより、すっと伸びます」
別の女性も軟膏を手に取った。
「本当ですね」
「油を塗ったときとは違うわ」
「匂いもそれほど気になりません」
女性たちは、次々に自分の手へ軟膏を塗っていった。
リアは、彼女たちの反応をじっと見つめていた。
「しばらく使ってみて、感想を教えてほしいの」
「はい!」
「毎日使ってみますね」
「手荒れが良くなるといいなぁ」
◇◇◇
それから数日後、リアは、再び女性たちを集めていた。
「どうだったかしら?」
リアが尋ねると、女性たちは顔を見合わせた。
「とても良かったです!」
1人の女性が、勢いよく答えた。
「水仕事をしたあとに塗ると、前より手が荒れにくくなりました」
「私もです!」
別の女性が手を見せる。
「冬になるとひび割れていたところが、ずいぶん落ち着きました」
「畑仕事のあとに使ったら、肌がつっぱらなくなりました」
「私も、手が前より柔らかくなった気がします」
次々と上がる声に、リアは目を輝かせた。
「本当に?」
「はい!」
女性たちは、嬉しそうに頷いた。
「これ、売るんですか?」
「え?」
リアが聞き返す。
「商品にするんですよね?」
別の女性も続けた。
「ぜひ売ってほしいです!」
「私も買いたいです!」
「家族にも使わせたいわ」
リアは、思わずセレスを見た。
セレスは、にっこりと笑っている。
「どうやら、大好評みたいね」
「そうみたいだわ……」
リアは、手の中の試作品を見つめた。
傷薬のときとは違う。
今回は、命に関わる傷を治すための薬ではない。
それでも――。
肌の悩みを解決したい。
そんな女性たちの願いに応えることができた。
リアは、ゆっくりと笑った。
「分かったわ」
リアは、女性たちを見渡した。
「このベルフォード保湿軟膏を、正式な商品にしましょう」
「本当ですか!?」
「ええ」
リアは力強く頷いた。
「まずは、ベルフォード領の女性たちに向けて販売を始めるわ」
女性たちから歓声が上がった。
「楽しみです!」
「これで冬も安心ですね!」
「家族にも教えなくちゃ!」
リアは、その様子を見ながら微笑んだ。
傷薬に続く、新たな商品。
今度は、女性たちの肌の悩みを解決するための商品だった。
「他にも、もっといろいろな商品が作れるかもしれないわね」
リアが呟く。
「化粧水に、クリームに……」
「リア様?」
アルが尋ねる。
「いえ」
リアは、楽しそうに笑った。
「まだまだ、作りたいものがあるなと思って」
ベルフォード領の新たな産業は、また一歩前へ進み始めていた。




