第35話 効果実証
リアたちが王都を訪れてから、数日が経っていた。
本来であれば、すでにベルフォード領へ向けて出発しているはずだった。
しかし、数日前から降り続いている大雨によって、街道の状態が悪化していた。
「この雨では、今日も出発は難しそうですね」
宿の窓から外を見ながら、アルが言った。
「ええ」
リアも窓の外へ視線を向けた。
王都の街並みを、激しい雨が濡らしている。
「無理に出発して、途中で立ち往生するわけにもいかないもの。もうしばらく王都に滞在しましょう」
「そうですね」
アルが頷いた。
薬師ギルドに傷薬を認めてもらうことはできなかった。
しかし、アルベルト商会との取引は決まった。
これから契約の詳細を詰め、ベルフォード領へ戻れば、いよいよ本格的な生産と販売に向けて動き出すことができる。
「それにしても、よく降りますね」
レオンが窓の外を見ながら呟いた。
「ええ」
リアは、少しだけ不安そうに空を見上げた。
そのときだった。
衛兵が慌てたように宿の前を通る。
「大変だ!誰か、知らせを!」
「王都近郊の街道で土砂崩れが起きているぞ!」
リアたちは顔を見合わせた。
「土砂崩れ?」
「この大雨ですから……」
アルはそう言いながら険しい表情になった。
外からは会話する衛兵の声が聞こえる。
「被害はどうなってる?」
衛兵の声は切迫していた。
「分かりません。ただ、街道を通っていた商人や旅人が巻き込まれたようです」
衛兵たちの会話からは、事態の深刻さが伝わってきた。
窓越しにその話を聞いたリアの表情が変わった。
「すでに何人か、王都へ運ばれているそうです」
リアは、すぐに立ち上がった。
「行きましょう」
「リア様?」
「人が怪我をしているのでしょう?」
リアは外套を手に取った。
「できることがあるかもしれないわ。行かないと」
◇◇◇
王都の一角には、次々と負傷者が運び込まれていた。
「こちらへ!」
「この人は重傷だ!」
「薬師を呼んでくれ!」
雨に濡れた人々が、次々と運ばれてくる。
泥にまみれた衣服。
裂けた袖。
血の滲んだ包帯。
「これは……」
リアは、目の前の光景に息を呑んだ。
想像していたよりも、被害は大きかった。
「負傷者が多すぎます」
アルが呟いた。
「薬師ギルドから薬は届いているの?」
「届いています。しかし……」
現場にいた薬師が、険しい表情で答えた。
「この人数では足りません」
「足りない?」
「傷薬が、もうほとんど残っていないのです」
リアは、薬師ギルドの反応を思い出した。
――辺境の草を薬と呼ぶとは笑わせる。
――あなた方の薬は、認められません。
薬師ギルドが、これほどの負傷者を想定して大量の傷薬を備蓄しているとは思えない。
「……薬が無くなってしまった」
絶望したように呟いた声が聞こえた。
リアは声の方を向く。
先程まで薬の在庫があった場所には何も置かれていない。
「薬師ギルドからの調達はまだか?」
「無理だ!薬師ギルドにも在庫が無いらしい」
薬師の小声での話し声がリアの耳に届いた。
そのとき、ダリオが慌ただしく駆けてきた。
「リア様!」
「ダリオ?」
「こちらにいらしたのですね」
ダリオは息を整えながら言った。
「アルベルト商会も、土砂崩れの被害にあいました。」
「そんな……。被害は?」
「商会の者や街道を通っていた商人たちが……」
ダリオは言葉を濁す。
「この間渡した薬は、まだ残っているの?」
リアが尋ねると、ダリオは頷いた。
「はい。先日、父上の治療に使った残りを、商会で保管していました」
ダリオは、持っていた袋を開いた。
中には、いくつかの小さな容器が入っていた。
ベルフォード領で作られた傷薬。
リアがダリオの父親の治療のために渡したものの残りだった。
「なら、それを使えば――」
しかし、ダリオは険しい表情を浮かべた。
「それが……」
「何か問題があるの?」
「薬師ギルドが、使用を認めないと言っています」
リアは、言葉を失った。
「……今、この状況で?」
「はい」
ダリオは頷いた。
「薬師ギルドの薬が不足していることは、向こうも分かっています。それでも、薬師ギルドに登録されていない薬を使用することには反対しています」
リアは、負傷者たちを見た。
苦しそうに顔を歪める者。
家族に付き添われている者。
傷口を押さえながら、必死に耐えている者。
「……そう」
リアは静かに言った。
「なら、私達はあの薬を使うことはできないわ」
「リア様?」
「薬師ギルドの許可なく私から勧めることはできないわ」
リアは、薬を見つめた。
薬の安全性を完全に証明できているわけではない。
薬師ギルドが反対している以上、何か問題が起きたとき、責任を負うのは自分たちになる。
だからこそ、患者や家族に薬の情報を伝えたうえで、選んでもらう必要がある。
リアは、負傷者たちへ視線を向けた。
「でも」
リアは、ゆっくりと続けた。
「使うかどうかを決めるのは、薬師ギルドだけではないわ」
ダリオが目を見開いた。
「患者本人や、その家族にも選ぶ権利はあるはずよ」
リアは、近くにいた一人の男性へ声をかけた。
「すみません」
男性は、腕に深い傷を負った若い女性に付き添っていた。
「はい?」
「私はベルフォード領の代理領主、ヴァレリア・ベルフォードです」
リアは、持っていた薬を見せた。
「こちらは、ベルフォード領で作られた傷薬です」
男性の表情に警戒が浮かんだ。
「傷薬……?」
「はい。ただし、薬師ギルドにはまだ認められていません」
リアは、正直に伝えた。
「薬師ギルドは、この薬を使用することに反対しています」
男性の表情が曇った。
「ですが、ベルフォード領の騎士団では、これまで何度も使用しています」
リアは続けた。
「あなたのご家族にこの薬を使用することを強制するつもりはありません」
リアは、女性の傷を見た。
「でも、薬師ギルドの薬が足りず、すぐに治療を受けられない可能性があります」
男性は娘の顔を見た。
「この薬を使うかどうかは、あなたが決めてください」
リアは薬を差し出した。
「使用しないという選択も、もちろん構いません」
男性は、しばらく黙っていた。
そして、娘の手を握った。
「このまま待っていても、薬がないんですよね?それなら……」
男性は、リアを見た。
「その薬を使わせてください」
「本当に、よろしいのですか?」
「はい」
男性は、強く頷いた。
「このまま薬がない状態で待つしかないなら……、娘がどうなるか分からない。できることがあるなら、お願いします」
「分かりました」
リアは頷いた。
「では、使用します」
◇◇◇
1人の患者への使用をきっかけに、ベルフォード領の傷薬は少しずつ使われ始めた。
もちろん、勝手に使用したわけではない。
患者本人、あるいは、意識のない患者の家族。
それぞれに薬のことを説明し、使用するかどうかを確認した。
「……お願いします」
「この薬を使わせてください」
そうして、ベルフォード領の傷薬は、一人、また一人と負傷者に使用されていった。
最初は、薬師たちも警戒していた。
「本当に大丈夫なのか?」
「薬師ギルドに登録されていない薬だぞ」
しかし、時間が経つにつれて、少しずつ変化が現れ始めた。
「傷口の状態が安定している」
「腫れも、思ったよりひどくなっていない」
「この薬を使った患者は、経過が良いようだ」
薬師たちは、複雑な表情で傷口を見つめた。
「……まさか」
薬師ギルドが認めなかった薬。
薬師ではない女性が作った薬。
辺境の薬草から作られた傷薬。
それが今、多くの人々の傷を治療していた。
「ベルフォード領の薬を使った患者の経過を、記録しておいてください」
1人の薬師が言った。
「ギルド長には?」
「……報告する」
その頃、リアは負傷者たちの様子を見つめていた。
「リア様」
アルが声をかける。
リアは、少しだけ微笑んだ。
「少なくとも、必要としている人の手に届けることはできた」
「はい」
アルが頷く。
その日の夜、王都のあちこちで噂が広がっていた。
「ベルフォード領の薬を使ったら、傷の状態が良くなったらしい」
「薬師ギルドが認めていない薬だろ?」
「でも、実際に助かった人がいるんだ」
「アルベルト商会が扱っているらしいぞ」
そして翌朝、アルベルト商会には、多くの問い合わせが殺到していた。
「ベルフォード領の傷薬を売ってくれ!」
「次の入荷はいつだ?」
「うちにも卸してほしい!」
ダリオは、積み上げられた問い合わせを見つめていた。
「……これは、思った以上ですね」
リアは、その言葉に苦笑した。
「そうね。でも、もう王都には在庫がないわ」
「……え?」
アルがダリオに伝える。
「昨日の災害で、ほとんど使い切りました。それに、ベルフォード領から追加の薬が届くまでには、しばらく時間がかかります」
リアは、空になった薬箱を見つめた。
薬の需要は、想像以上だった。
そして今、ベルフォード領の傷薬は、王都中の人々に求められ始めていた。
「……急いで帰らないといけないわね」
リアは、静かに言った。
薬を作るために。
必要としている人たちへ、届けるために。
その日、ベルフォード領の傷薬は、初めて大規模な災害の現場で、その価値を証明した。
そして同時にベルフォード領には、これまで以上に大きな需要が押し寄せることになる。




